愛と呼ばれるモン/自閉クンと共に

甲斐ファンであり、自閉症の子の父親でもあります。 そんなボクの日常を日記として書き綴ってみたい・・・

往復1230キロの旅

2016年08月15日 20時12分00秒 | タンコロ

今年からタンコロには夏休みが無くなった。
もう学生じゃないんだから当然と言えば当然だけど、知的障害があるからね。
身体は大きくても精神年齢は低いんだよ。
職場も就労支援ということもあるけれど、月間23日は就労しないときちんと賃金は出ないから世間でいう夏休みがない。
けど、特に賃金を意識してタンコロを就労支援先に出しているわけじゃないから、5,6月頃には夏休みを取ら陽と思ってたんだ。
1泊旅行はGWにも行ったけれど、せっかくだからそれ以上ということで、何処がいいと考えた時、牧場は空気もいいし、タンコロが好き放題に遊べるだろうと思ったものの、なかなかいいところが思いつかないでいたんだ。
ある日、牛乳を買った時、瞬間的に小岩井農場が思いついたんだけど、岩手だし、遠いかなと思った。
新幹線移動では楽しみどころが一極集中でないと苦しく、現地で思ったように遊べないかなと思って、車での移動を決断したんだ。
宿がなかなか頃合いのところが見つからなかったけれど、早めに予約できた。
タンコロの好きな甲斐バンドのCDを作って、車に乗り込み、いざ出発。
お盆前とあって、東北道は空いていたけれど、なんといっても片道600キロもある。
栃木、福島、宮城、そして岩手といくつもの県を走破しなければいけないから、一県一休憩の割で車を走らせたんだ。
福島は郡山のパーキングで昼食。
いい天気で、気温も高い。
でも、東京の暑さとは性質が異なるので、厚さが頭の上から降ってくるようだった。
助手席に乗ったタンコロは、ニコニコして、時に甲斐バンドの曲を思い切り歌い、宮城のパーキングに酔った時は大好きなソフトクリームをペロペロなめて楽しそうだった。
ボクはそんなタンコロに乗せられてスピード狂となってしまい、走ってる時のスピードは150キロ前後。
さすがに仙台を濾した頃は、神経が疲れてしまい、宮城県がとにかく長く感じたよ。
岩手もさすがに長いな・・・日本一広い県だから当たり前だけど、それでもスピード狂になったおかげで現地にはかなり早めにっ到着したよ。
神経はヘロヘロだったけれど、夕食はバイキング。
タンコロは大好きな麺類と焼き肉類を取りまくり、食べ過ぎてアップアップしてた。
入浴し、部屋に戻った途端、爆睡。

翌日は念願の小岩井農場へ。
いやあ、広いのなんのって。
岩手山の麓に広がる農場とは言っても、現実は牧場であり、立派な観光地になっていた。
けれど、青い空にそびえる岩手山は壮大な感じがあって素敵だったし、牧場そのものも広大な緑が原が思いきり広がっているようだった。
タンコロはとにかくバンジートランポリンに乗りたかったらしく、凄く楽しんでいたね。
変形自転車なんかもあって、ボクと二人で思い切り乗り回していた。
牧場だけあって、乳製品が美味しくて特にアイスクリームと飲むヨーグルトが良かったねえ。
昼食はオムライスレストランに行ったけど、まるでとろけるようだった。
東京の喧騒を逃れて避暑地へ・・・そんな思いもあったけれど、標高2000メートル近い小岩井農場は気温34度以上。
温度的には東京と変わらなかったけれど、とにかく空気が良くて環境が良かったね。

この日は花巻温泉まで行って、またもやバイキングを楽しみ、露天風呂まで楽しめた。

最終日は、なんと40年ぶりに平泉は中尊寺金色堂に寄ってみた。
最寄りの駐車場から金色堂までは登り路で長く感じられたけど、オヤジに連れられて中二の時に行ったきりの金色堂は何とも印象的で見入ってしまったね。
何故かタンコロは中尊寺が気に入ったみたいで、ニコニコしながらお堂の中をしっかり見て、しっかり手を合わせていたよ。
下り道の途中で見た北上川がよかったね。

平泉から高速で南下し、途中矢吹インターで白河の南湖公園へ向かったよ。
ここで南湖ダンゴを堪能するのは、いつものパターンだけど、東日本大震災の影響がまだ色濃く残っていた。
白河からまた高速へ上がって、若干渋滞気味ではあったけれど、そこはテクニックで意外と早めに帰宅できた。

常に助手席に座っていたタンコロは疲れただろうけど、生来の性格からか何故かタンコロの顔を見てるとほんわかするよ。
高速運転を長くすると神経が疲れるけど、タンコロの顔を見てほぐされるようだったからね。

旅先で食べて意外とうまかった冷麺、それにしっかり喜多方ラーメンも買ってきて、タンコロのためになったかな。

知的障碍という言葉を使うと何とも言えない印象を受けるかもしれないけど、それと生来の性格は別物。
そんなタンコロの脳裏にこの旅が残っていてくれれば、ボクはそれだけでもうれしいよ。

・・・それにしても1230キロはやっぱり遠かったなあ。








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甲斐のお勉強

2016年07月11日 21時10分51秒 | タンコロ
就労支援先でタンコロは問題を起こしたり、真面目に仕事に取り組んだり、いろいろしてくれる。
パン製造と袋詰めが基本作業ということもあって、就労支援先は衛生的なことに気を使ってる。
だから朝、職場に着くと、エプロンにマスク、帽子をかぶり靴も履き替えるなど、着替え室にこもって着替えることから始まるんだ。
けれど、その着替え室から出てこなかったり、着替えが遅かったり・・・
作業に入っても、なかなか指導してる人のいうことを聞かなかったり。
交換ノートでそれを知ると、家ではかなりきつく言い聞かせてる。
朝、ボクが通勤するときもタンコロに、
「今日もちゃんとお仕事するんだぞ」と声掛けして。
言葉にして分るかどうかは分からないけど、タンコロには、
「お仕事は我慢だぞ。」、「我慢しなくちゃな」
と我慢を教えようとして、「我慢」を言葉にして声をかけてるんだ。

そんなタンコロは、仕事を終えて帰宅した後の一つの楽しみとして、部屋に籠って、甲斐バンドや甲斐よしひろの曲を聞き込んでいることが多くなったんだ。
ボクの影響を大いに受けるタンコロは、その影響で聴き始めたと思うんだけど、これをタンコロに言わせれば、
「甲斐のお勉強」。

「HERO」、「氷のくちびる」、「レイン」が大のお気に入りで毎日のように聞いてるね。

ボクは一部のカバーアルバムを除いて、ほとんどのアルバムを持ってるんで飽きることはないだろうけど、それでもいろんな曲をいろいろ聞いて、よく覚えてるね。
車に乗って聞こうとすると、一緒に歌ってるものね。
重度自閉の子って、結構記憶力が凄いんだよ。
こっちが感心する位、良く曲だけじゃなく、曲にまつわる出来事を覚えてる。

本当にタンコロにとって「甲斐のお勉強」だね。









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人の気持ち

2016年05月23日 21時17分53秒 | 自分のこと
いろんなことが起きて、うまく書けないかもしれない。
ボクの周りで事が起き過ぎているんだよ。

結婚と前後して、嫁さんの両親について良い想いはしたことがない。
自宅の購入資金を出してもらったこと自体、全く意外なことでそれは感謝したけれど、その義父はとにかくボクに直接ではなく、ボクの周囲に色々言う人だった。
義母はそれをカバーすることもなく、頭に乗って時に小言を言ってた人。
この2人は自分の子供がきちんと巣立つようにするのではなく、何が起こってもとにかく反対し、家から家族はは出ない様にした人たちだった。
だから、カミさんにしても生活館というか、巷の主婦の様に立ち回れず、家の事だってボクに言わなければならないこととどうでもいいことの区別がついていない。
義弟にしたって、義父がその兄と共同の会社を経営してたこともあって、その会社を継がせることを理由にいろんな資格を取らせていたけれど、その会社の代表者は義父の兄であって、副社長だった義父の息子が会社を継げるわけもない。
家の付き合いごとを面倒がって、この義弟にさせていたからこの歳になっても仕事経験はないし、もちろん独身。
その義父が身体を患い5年近く自宅療養の後に亡くなり、それと前後して義母が認知症になった。
その面倒を見る羽目になった義弟は、精神を患い、何度か騒動を起こしたのち、入院から自宅療養となった。
認知症の義母は、もちろん一人暮らしなどできないから、止む無くボクの家で引き取ったけれど、義理が一人暮らし出来ないことに誰も気が付かず、同居を言いだし即断したのはボク。
同居にあたっての役所的なことはすべてボクの方で片づけてきたけれど、それと並行して認知症の義母のことと精神病となって一人暮らしをしている義弟のことをフォローしろと言い続けてるのもボクだった。

時間が経てば当たり前だけれど、障碍児だったタンコロも障碍者となって、職に就くことももちろん就いた後だって気は許せない。

ボクの父親は、10年くらい前に脳血栓にかかってしまい、誰かのフォローがないと生きていけない状態となった。
ボクの母親にしたって、若くして軽度の脳血栓をやっていて少し影響は残り、投薬していたものの、それでも父親の面倒を見ていた。
その父親が昨年の9月に呼吸器不全で緊急入院し、一命はとりとめたが、今は施設の厄介になってる。
母親はせっかちで人の文句を言いながら人の面倒を見るような人だった。
今でもそうだど。
面倒を見てないといけない・・・いや、面倒を見ることしか出来ないと言った方が良いかもしれない。
裁縫も家事についてもきちんとマメにする人だったけれど、歳をとってからはそういうことも出来なくなった。
数年前難聴みたいになり、うまく人の言うことが効けないため、思い込みで行動するようになった。
これって、人のことを悪く言うことが並行してるから始末が悪い。
面倒を見てた父親が施設に入ったことで、心のバランスを崩し、最近は心療内科に通うようになったけれど、ボクはタンコロと同居してる義母の面倒を見てるので精一杯だったし、その母親や乳屋についてはボクの兄に任せるしかなかった。
その兄と母親の折り合いが良くない上に、母親と心療内科の医者の関係もうまくないらしい。
兄はボクに状況説明もしてくれないどころか、ボクガ連絡しないと何も話してくれない。
ボクが聴かないから悪いと母親に言ってるようだけど、目の前以外のことで状況的に変化が起こったって、ボクに分かるはずもないのに。

人の個と悪く言う母親とつっけんどんで怒ってばかりの兄では、心のバランスを崩してる母親が良くなっていくわけもなく、ここ数か月、ボクは毎日電話し様子をうかがいつつ、時に母親の元へ行って話を聞き、いろんなこ戸を言い聞かせてる。

家事はしようとしなければ何もわからず、今時のように極端に言えば手抜きをし、チンで何でも食べられる世の中は、家事を上手にこなす人を減らしてる。
ウチの母親もそうだし、義母は勿論、ウチのカミさんだってそう。
仕方のないところもあったけれど、仕事をしてるボクが週末は勿論、平日も食事を作り片づけをしてることがおかしいと思わないとダメだろうな。

仕事にしたって、とにかく現場での苦労が分からないといけないだろうと思うし、そうでなきゃいけないと思うけれど、データと数字のコントロールで仕事を進めようとしてる者が評価され、本当の意味で苦労してる者が評価されてない状況はおかしいと思うけれど、もうそういう状況説明をしていくことにも疲れてきた。

人の気持ちを汲みつつ、事に当たらないと、事は歪むし、何の解決にもならないということに何故誰も気が付かないのだろうとよく思う。
人の世話ばっかりして、苦労を背負い込むようになってる自分がバカみたいに思えてきて、結構時間が経ったなとよく思うんだ。
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カツサンド

2016年05月15日 22時03分37秒 | タンコロ
今、タンコロの通ってる就労支援先でも昼食は給食になってる。
学校へ行ってた時からタンコロは給食好きなんで、それは良かったなと思ってるんだけど、それでも生ものや野菜を食べない傾向は続いているんだ。
タンコロなりに食べようとしてると聞いてるけれど、家では食べてくれないね。
ただ、味噌汁とかカレーは大好きなので、そのルーなどの中に野菜のエッセンスをできるだけ取り込んで食べさせてる。

障碍者の努力はなかなかわからないし、身につかないけれど、家では良く手伝いをしてくれるタンコロ。
食事前のテーブル拭きやお茶出し、灰を出すこともそうだし、食べ終えた後の片付けも率先してやってくれる上にお風呂掃除までしてくれる。

ボクが夕食作りをし始めて、何年経っただろう。
ボケた義母の面倒を見てるけど、ボケる前から家事に関してはとにかく何もできない、しない人で、何故か向こうの家庭では当たり前のようになっていた。
だから、出来ないカミさんに強要もしないけど、今のボクの夕食作りはタンコロのためにやってるようなもの。
これはタンコロの好物だから、どう工夫したらもっと旨くたべてくれるのかなとか、今度はこれを食べさせなくちゃと言った具合で、週明けには早くも週末のメニューを探してる。

ウチでは初めて夕食にパンを出してみた。
それがカツサンド。
茹で卵を作り、そこからたっぷりのタルタルソースを作り、豚カツを上げてちょっとさました後にパンにタルタルソースを塗って豚カツを挟んだもの、普通のソースをパンに塗って豚カツを挟んだもの。
タンコロが食べてるもの以外には、レタスやトマトを挟み込んだカツサンドや、2枚のベーコンの間にチーズとしそを挟み込んで揚げたベーコンカツサンドも作ってみたよ。
豚カツを上げてるボクを見て、タンコロは「トンカツ~♪」と喜んでいたところにカツサンドが出てきたものだから、驚いたみたい。
不思議そうな顔つきで恐る恐る食べてたけど、食べ終えて「美味しかった~♪」と言ってくれたので、一安心。
まあ、タンコロの大好きなわかめ卵スープも作って出したし、これはこれでよかったのかな。

さて、来週末は・・・ともう考え始めてるけど、一つは決まってるんだよ。









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元気だよ、タンコロは

2016年05月07日 23時29分58秒 | タンコロ
タンコロは4月から就労支援先に通ってる。
家から徒歩20分くらいのところにある市役所に、支援先から送迎バスが来るので、そこまで一人で歩いて行き、そして帰ってくるという毎日。
ようやくここまで来たんだという想いももちろんあるよ。
でも、あくまで就労支援なので1年契約でもあるし、つぶさにタンコロの様子は見て行かなくちゃという想いの方が強いね。
就労支援先との契約の際、説明会と契約をしに、ボクも行ってきたけど、事前説明が杜撰。
賃金受療や費用支払いを取ってみても、各金融機関をめぐって結構な騒ぎだった。
肝心要のタンコロも通って自分がすることや支援先での行動に慣れるまで、結構時間がかかったかな。
ひょっとすると今でも馴染めていないところもあるかもしれない。
始めの頃は、帰宅した早々、家の中で大声出したりしてね。
うまく会話ができないので、意思疎通に関しては一苦労なんだよ。
ボクやカミさんは慣れているけれど、支援先ではね。
家には認知症の義母害てボケをかましたりしてるので、カミさんはタンコロだけに集中するのが難しい。
だから、ボクは帰宅後毎日夕食を作り、後からづけをしてるんだ。
タンコロに関しては、静観し、カミさんから様子を聴きながら様子を伺っているよ。

一つ、今の時点で気にかかっているのはタンコロの休みが土曜日曜だけで、祝日であろうと支援先に通わなければならないこと。
土曜日曜にしても月に一日は支援先に行かなきゃならないし。
平日休もうものなら、振り替えてどこかの土曜日曜に出なくちゃいけない。
だから、このGWは名ばかりで基本的にタンコロには休みがなかったんだよ。
世間様はGWということもあるし、何とかしたいと思って先週の土曜日に茨城の大洗まで泊りで遊びに連れて行ったし、初めて昨日の金曜日は休みにして野球観戦に連れて行ったんだ。

そんな具合でいろいろ気を使ってはいるんだけど、タンコロ自体は元気そのものなのが救いだね。
毎日タンコロにはお仕事どうだった?と聞くんだけど、タンコロからはお決まりのように、「楽しかった!」という返事。
その後に今日は何したの?と聞くと「パン、作った」とか言って、パン生地をこねる真似をしたりするんだ。
やっと、仲良しになれた友達もできたらしく、その子の名を呼んで嬉々としてるよ。
ぼく
今のところはこれでいいと思ってるし、何よりタンコロが元気で、家のこともいろいろ手伝ってくれてることがうれしいね。

先月から、ボクの母が精神的なバランスを崩し、ボク自身、手を取られている状況でもあるんだ。

でも、タンコロはタンコロなりにボクの手を煩わせない様にしてくれてることが、とにかく有り難いんだよ。









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あれから5年・・・そして卒業

2016年03月12日 22時24分09秒 | タンコロ
5年前の昨日、東日本大震災が起こってしまった。
日中に起こってしまった大震災のため、震災直後帰宅どころか連絡もとれず、タンコロはどうしたのか、家蔵はどうしたのかで、物凄く不安になっていた。
ボクの帰宅は翌日。
やっと動いた電車を乗り継ぎ、途中からタクシーで帰宅したときはもう昼直前だった。
タンコロの顔を見た時、思い切りホッとしたけれど、本当の苦労はその直後からやってきたんだ。

あの震災から5年目の昨日。
中等部から6年もの間通い続けた特別支援学校の高等部の卒業式を迎えた。
当初、ボクは会社を休む予定もなかったし、休めない位忙しかったけれど、その忙しさから来た疲労とたまったストレスから身体が言うことを効かない状態となって、急遽休暇を取った。
けれど、こうなったらタンコロの節目の卒業式だけは行こうと思い、タンコロの学校に向かったよ。

1組の出席番号1番のタンコロは、卒業証書の授与も井野一番で、名前を呼ばれたときの返事も立派、卒業証書を校長からもらう時の態度も立派、退場するときも胸を張って立派だったよ。

ここまで来たんだ・・・という想いが当然のように頭の中に浮かんできた。
小学校こそ地域の小学校に行かせたけど、これで思ったのが障碍児の教育は地域の小学校ではできないんだということ。
言うことは立派なのかもしれないけれど、問題のある教師の多かったことには驚かされた。
学校長からして問題あるし、教育委員会まで乗り込んでいったこともあった。
障碍を持たない子供についても、しっかり指導できない教師が多いのだから、当然なのかもしれないけれど、そんなことは現場に入って見なければ分からない。
教育、指導にしても大人の行う仕事についてもそうなんだけど、資料上の数字だけ見て現場を知ったような気になるのはかなり危険を伴う。
それが分かっていない社会が怖い。

で、タンコロの場合は中学入学と同時に特別支援学校に行かせることにしたんだ。
それが正解だったかどうかはすぐには分らないけれど、少なくとも地域の小学校に行かせる時と状況はかなり違うな。
極端に言えば、教師で悩むことが極端に減ったんだよ。
教育指導方法も、就労に向けてのこともそうなんだけど、障碍児に向けてのものが明確だった。
ボクの住む県が、まだ障碍者理解が進んでないこと自体は大きな問題だけど。

卒業は一つの区切り。
これから就労支援という方向に進むことになったタンコロが、どう変化し成長していくのか。
震災から5年という月日は、障碍という障壁が明確になってきてしまったということと同時に、目に見えた成長ももたらしてくれた。
今後も無駄にはできない時がまっているけれど、しっかりタンコロのことは受け止めて支えていきたいよ。









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続けてみたよ・・・五麺

2016年02月28日 20時42分42秒 | タンコロ
タンコロを始め、内はみんな面が好き。
先週は水曜日にスパゲティを作ろうということは前から決めてたけれど、会社からの帰り、面を続けてみようと思いつき、今夜ようやくゴールにたどり着いた。

水曜日に作ったスパゲティは、お手製のミートソースに、オイスターソースで仕上げた出汁スパ、それにタンコロの体好きなタラコスパの3種。
ミートソースが殊の外うまく出来上がり、出汁スパも大好評。

木曜日は鳥南蛮蕎麦。
これも出汁の取り方が良かったらしく、一旦茹で上げて水で洗った蕎麦を水を切った上で、熱湯にくぐらせたから暖かいというか熱々の傍が出来上がった。

金曜日は多種類の野菜を織り交ぜたヤキソバ。

昨日は、本来豚肉の唐揚げを乗せるパーコー麺で、豚肉の唐揚げではなく、しっかり塩コショウした豚肉を小麦粉をまぶし、卵で絡めて焼き上げたものを野菜たっぷりチャンポンの上に乗せてみたら、これまたうまかったね。

今夜はタンコロの大好きなうどんをメインの一つにした味噌鍋。

この時期に生シャケは手に入らないので、生サーモンを多めに入れて味噌味にしたんだ。
旨かったねえ。
暖まったし、タンコロは夢中でうどんを食べていたよ。

一日一麺じゃないけれど、こういう具合に毎日麺を食べるのも良いもんだよ。

どれもうまくできたし、暖かく食べられたから、カミさんには食べるのが止まらず、太らされると言われちゃったよ
(笑)









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新年もあけてもう2月

2016年02月13日 17時19分14秒 | タンコロ
本当に気が付いてみたら、もう2月という感じかな。
仕事はとにかく忙しく、1月下旬には倒れてしまうという環境の中、未だにこんなに忙しい状況はないという感じで抜け出せていないよ。

でも、ボケた義母を抱えつつ、ボクの父親も施設に入ったまでは良かったけれど、それでどうも実母がバランスを崩したらしく、心身ともに具合が良くない。
気にしつつ、でもウチのことも気が抜けない状態で、とにかく毎日過ごしてる。

週末位は・・・ということで、ルーティンではないけれど、お決まりの家事をこなし、翌週のメニューを考えつつ買い物をし、そして夕食を作ってる。

年末と年明け、タンコロは就労支援先の実習もきちんとこなし、残り少なくなったスクールライフを満喫してるらしい。
知的障碍を伴う自閉症だからね。
これまでの学校生活と4月以降の就労の区別がはっきりついてるわけでもないけれど、とにかく目の前のことをまじめに一生懸命取り組んでくれればいい、という目で見ているよ。

そんなタンコロは、以前からそうだったけれど、ボクが学生の頃から聴いている甲斐バンドや甲斐よしひろを気に入ってしまい、一遍に5枚以上のCDを自分の部屋に持ち込んで聴きまくっているんだ。
なんだかそんな様子のタンコロを見ていて、可愛いなあ、良く続くもんだと思いつつ、これも自閉症の症状の一つなんだよな、と思ってる。

ウチにいるとき位、好きなことを思い切りやればいいと思うし、ボケた婆さんがいるので制約されることも多いしね。
週末の日曜日は、そうしながら転機がある程度良ければ公園に行って思い切り自転車に乗せている。
これもここんとこのお決まり事。
タンコロのストレスを発散させてやらないとということなんだけど、これはボクにとっても良い息抜きになってるんだ。

ところが明日、気温は上がるものの天気の具合が良くないということで、急遽久しぶりにカラオケに行くことにしたんだ。
前回、タンコロがハマったからなあ。
今回も思い切り歌ってほしいよ。









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暮れ行くこの年

2015年12月31日 22時17分33秒 | タンコロ
まあ、大変な年だった。
あんまり振り返りたくないようなことが多かったけど、それでも何とかここまで来たな、という感じかな。

ここにきてお袋が腰を痛め、正月を一緒に過ごせなくなってしまった。
ウチはボケた義母がいるんで、そうは簡単に出かけられないし、腰痛はとにかく安静にしてることが大事で、何もしてやれないし。
親父も施設での年越しとなってしまったけど、一度は死の淵までいってしまったし、何処まで持つかなあ。

義母の認知症もそうだけど、義弟の精神病なんかもあったりして、気を許すわけにもいかず、自分の親のことは兄貴に任せておくしかないんだ。

義父が本当に家庭とか子育てという意味では、自分本意でやってしまい家族を外に出そうとしなかった失敗者だったので、とんだトバッチリを喰ってしまったということなんだけど、残された者がそういうことに誰も気が付いていないことも悔しい限り。

そんな犠牲を伴いながら、今年もここまでやってきた。
大晦日とお正月は、とにかくおいしいものを食べさせてやりたくて、昨日も盛大に天ぷらを揚げてやったし、今夜はカニと海老をメインにした鍋だったんだ。



大量に仕入れておいたカニと海老。
それにタンコロが大好きな鶏肉をメインに、野菜たっぷりの鍋だけど、お正月にお袋に会えなくなって食べられなくなった会津名産の「こづゆ」を想定し、昨夜から戻しておいた干し貝柱からとった出汁で作ってみたら、想定以上に味が野菜に沁み込んで、とにかくおいしかった。

せめて年越し位、美味しいものを食べて年越ししたいもんだと思ってたからよかったね。

来年以降も同じような状況は続くし、ゴールが見えない状態であることも確か。

状況判断を素早く正確にし、時に適度な息抜きをということを心掛けて新年を迎えたいよ。









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もう大晦日

2015年12月31日 01時18分18秒 | タンコロ
やっと、昨日から年末年始の休みに入ったよ。
休みと言ったって、やることは多いし、自分だけが休みじゃないから外出しなくちゃいけない用事は昨日のうちに済ませておこうということで、買い物に行ったんだ。

食材はほとんどこの前日曜日に済ませておいたけど、年末じゃないと買えないものや日持ちがしないものは今日揃えたんだけど、やっぱり人出が凄かったね。
昼食も外で済ませて、いったん帰宅し、税金や保険などの振込みも済ませて、帰宅した後やったのは洗濯。

カーテンは遮光カーテンやその他の日除け用のカーテンも洗い、次にタオルケット、そして掛布団のカバーなど結局6日いくら洗濯したかな。
やっとの思いで洗濯物を干し終えてる最中、介護サービスに行ってた義母が帰宅。

そして夕食の準備。
昨日は天ぷらだった。
先に冷凍状態にしておいた大量のカニ、エビは自然解凍させておいたので、後は水切り。
水切りを終えた後、野菜等を天ぷらとして食べられる大きさに切り分けておいて、いざ揚げてみたら1時間位天ぷらを揚げていたよ。

カニはそこそこのものだったけど、凄かったのは海老。
大ぶりの海老で量も凄かったから、揚げるのも大変だったしね。
その他にホタテ、カボチャ、ゴボウ、大場、鶏肉と揚げたけど、揚げ具合はよく、海老に目がないタンコロは本当のよく食べてたね。

食事の後片付けを終えた後、一息ついて入浴。
この時お風呂場の掃除もしたので、後は今日掃除をするだけ。
なかなか手の届かなないところも手入れするけど、やり始めが早ければ、少しは休める日になるだろうな。

本当に大変だった今年、
親父が倒れて入院したり、老人ホームへに入所したと思ったら今度はおふくろがとんでもない腰痛にさいなまれてどうなることか・・・

来年も大変な1年になりそうだけど、夏前にお愉しみもあるので、とにかくやれることは早めにやって、自分のペースを塚本思ってるよ。
そうそう、春にはタンコロも就職だしね。






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