行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

彼岸会

2017年03月21日 | 禅の心
 関牧翁老師の言葉から

 三寒四温という盆地特有の京都にも、ようやく春が訪れようとしています。

ここ十有余年来、冬は比較的暖かく、「暖冬異変」という言葉もピンとこなくなったようです。

が、やはり暖かい春を待つ心に変わりはありません。

雪解けの水はにごり、河水が増水すると、

やがて奈良二月堂のお水取りの行事があり、

春は一段と身近に感じられます。

 日は一日一日と長くなり、

水だけでなく、人の心も和んできます。

長かった冬もまさに終わりを告げようとしているころ、

お水取りがすむと春が来るというのは、

かつては奈良を中心とした関西地方だけの言い伝えでした。

それが今では全国的に有名になりました。

お水取りには、観光と参拝をかねた人々が集まりますが、

この行事の前後には暖冬異変のときでも、

必ずと言ってよいほど雪しぐれが見舞います。

気象条件が一種の信仰の神秘にまでつながっているのでしょう。

それは古人の心が天地自然とともにあることを示しているともいえます。

 しかし、なんといっても

「暑さ寒さも彼岸まで」

ということわざの方がはるかに当を得て、

全国的に知られています。

お水取りの行事を知らない人でも、

彼岸は知っています。

彼岸は梵語の波羅密多から翻訳されたもので、

「到彼岸」

すなはち迷いのこの岸から悟りの彼の岸に到る、

という意味です。

彼岸は理想の国、桃源郷、浄土であり、

涅槃の岸のことです。

春分、秋分の日を中心に、

一年中でもっとも気候の中庸を得た一週間を期して、

この地上に仏国土の建設をこいねがう行事が、

春秋の両彼岸会なのです。

 同じ仏教国でありながら、

インドと中国にはこの風習はありません。

日本独特の習慣で、

いつ頃から始まったかは、

はっきりしませんが、

聖徳太子が春分の日に四天王寺の西の楼門の上に衆僧と共に立って、

落日をのぞみ往生をこいねがう、

いわば西方浄土を拝されて、

この日特に仏道を修し、

穢土の此岸を去って浄土の彼岸に到る因縁にもとづいて、

春と秋の二回つくられたと伝えられています。

それはちょうど現代になって何々週間と定められているのと軌を一にしています。

私は、この春秋二回に限らないで、

常に心を日に日に新たにして、

悠久に向かって絶えることなく生活の向上を目指していけば、

彼岸はすなはち此岸であり、

人々の却下が彼岸の理想郷になると考えています。
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