「テルモピレーの戦い」は、むかし何かで読んで、感動した記憶があります。なにしろ 300名のスパルタ兵で、21万のペルシャ軍と戦い玉砕。この時間稼ぎで、ギリシャに勝利をもたらした史実ですから。このお話、愛国心教育にはもってこいです。スパルタと言えば、「スパルタ教育」がすぐに思いうかびます。石原慎太郎氏がお好きですね。
それはともかく、6月9日上映の300<スリー・ハンドレッド>を観に行こうと思っています。
ところで、「この映画に対しイラン政府がイラン人の先祖であるペルシャ人を激しく冒涜しているとして批難している。」そうです。
史実:
ペルシア戦争さなかの紀元前480年、テルモピュライ(テルモピレーの戦い)で、スパルタを中心とするギリシア軍とアケメネス朝ペルシアの遠征軍の間で行われた戦闘で、スパルタ王レオニダスは他の諸都市の兵4000を先に逃亡させた後、自ら300人のスパルタ兵を率いてペルシャ軍を迎え撃つと、3日間持ちこたえて全員が玉砕した。
この時間稼ぎが、アテネ海軍にペルシア軍を海上で迎撃する態勢を整えさせ、サラミス沖の海戦での勝利を可能にした。その勇敢な戦いぶりが全ギリシア人から称賛を受けた。(スパルタ - Wikipedia から)
ペルシア戦争後は、
デロス同盟の盟主であったアテナイとの対立を深め、ペロポネソス戦争へと突入した。籠城戦を選択したアテナイに疫病が蔓延したこともあり、前404年に勝利してギリシアの覇権を獲得した。しかしその勝利によって流入した海外の富が突然の好景気をスパルタにもたらした。質実剛健を旨とするリュクルゴス制度は大打撃を受け、市民の間に貧富の差が生じたため、スパルタ軍は団結に亀裂を生じて弱体化した。紀元前371年、レウクトラの戦いでエパミノンダスに率いられたテーバイ軍に破られ、覇権を失った。(スパルタ - Wikipedia から)
映画評:
---------
教育論:
スパルタとアテナイ(教育比較)