「おめた」は「お前たち」の意。
例文
※織田信長と豊臣秀吉と徳川家康は幼馴染と言う仮定での会話
豊臣秀吉 「おださー あっこの はたけに
うまそうな トマトが なってたで
ちょっと たべてかねーかい。」
織田信長 「あっこの はたけは とくさんちの はたけじゃーねーかい。
とくさの おやじは おっかねーで
みっかったら なに されるか わからねーじ。」
豊臣秀吉 「そんなん みつかったら みつかったの ときせー。
さー いきましょや。」
※二人は畑でトマトを採り始めました。
徳川家康 「こらーっ おめた だれのはたけの
の父 トマト とってるだー。
どこのー がきだー。」
例文の標準語(?)訳
豊臣秀吉 「織田信長さん、あそこの畑に
美味しそうなトマトがなっていますので
少し食べてゆきませんか。」
織田信長 「あそこの畑は徳川家康さんの家の畑ではないですか。
徳川家康さんのお父さんは恐いですから
見つかったら何をされてしまうか分かりませんよ。」
豊臣秀吉 「それは見つかってしまったら見つかったの時ですよ。
さー行きましょう。」
※二人は畑でトマトを採り始めました。
徳川家康 「こらーっ、お前たち、誰の畑の
の父 トマトを採っているのか分かっているのか。
どこの子供ですか。」
訳を読んでそう思ったのです。
「おめた」では察しもつきません。
この「おめた」はあまりいい時には使われず、怒られる時や、説教される時などに使われているような気がしています。
「おめたは 利口だなー」などと使われると、何か裏にあるのではないかと勘ぐってしまいます。
おめでた が短くなったのかと思いました^^
通常私の周りでは同義語は
あんたら、おまえら、じぶんら、おのれら等が使われますが、
”じぶんら”は使う使わないが人によってある言葉で普通の呼びかけ
”あんたら”は一般的な呼びかけ
”おまえら”は少し怒気を含めた呼びかけ
”おのれら”は、完全に怒りを含んだ呼びかけです。
私の年代ですとまだ使っていますが、若者が使っているのをあまり聞いたことがありません。
徐々に消え去ってゆく言葉なのかもしません。
「おめた」が無くなったら、今回の例文のような時には何を使うのか考えてみましたが、「おめた」以外に思いつきませんでした。