タイミングを逃していたのですが、やっと観てきました!
相変わらずの大迫力なので、ぜひとも映画館で観てほしい作品です。
今回の戦利品はパンフレットのみ。
(※パンフ写真の下からネタバレ感想に入りますのでご注意下さい)
制作の方々のお話が載っていて興味深いです。
裏方さんあっての映画なのだな、と感心しきりでした。
さて感想ですが、一言で表すと「ツマラナカッタ」でしょうか。
いや、面白かったんです!
原作での宗次郎の電信「ミエナカッタ」をもじってみただけです。
↑このシーンが削られてしまったことへの抗議も多少混じります。
とはいえ、原作では館内での戦闘だったのが、映画では「煉獄」という艦船で戦うことになっているので削られるのは仕方ないのですけどね。
原作では、剣心はまず宗次郎に奥義「天翔龍閃」を放っていたのです。
その秘密を志々雄に報告するはずが、「ミエナカッタ」となってしまい、でも流石は志々雄様、そこから奥義の正体を見破ってしまう…となるはずが。
原作に忠実である必要はないし、原作にこだわって逆に変になられても嫌なので、そこは問題ないのですが。
しかし中途半端に原作通りにされると、初めて観る人は「??」となるんじゃないかと思います。
宗次郎が剣心との戦いの途中から、体がついていけなくなったり感情が混乱してきたりするのですが、そこに説明がないので分かりにくそうでした。
そうかと思うとだいぶ端折られていたり。
志々雄配下の十本刀も全員きちんと戦っていないのが心残りです。
だったら十本にしなくてよかったのに、と思っていたらそれについてはパンフに色々書いてありました。が、やはり半端感は拭えず…。
十本刀の中で、廃仏毀釈の被害者で政府を恨む安慈さんが好きなのですが、「二重の極み」という技はただの強いパンチになっていました。
左之助との交流も単なる対戦だし。残念。クローズアップされただけいいのかもですが。
何がいけないって、師匠との絡みが長すぎたんです!
大事なのは分かるけど、そこをもう少し短くして、その分の時間を他へ回してほしかった。
『京都大火編』のラストシーンをかっさらった「謎の男」は、剣心の師匠で福山雅治氏でしたとさ。
ハマリ役でよかったとは思います。無駄に野生の色気を振りまいておられました。
あとは陰気な横槍男・蒼紫様もいけませんね。時間使わせてましたね。
まあ仕方ない。
剣心との戦闘シーンは、師匠にコテンパンにされて実はそんなに強くないんじゃ…!?という疑惑の持ち上がりかけた剣心の面目躍如に必要でしたからね。
いやいや、他にも大事な理由があったかも。
そして一番不要というかしっくりこないシーンが、剣心の「市中引き回しの上斬首」という「茶番」です。
「人斬り抜刀斎は死んだ!」ということを周知するためとはいえ、長くてしかし地味めです。
やるならもっと派手にやればいいのに。
実際には首を刎ねる予定じゃなかったから、「茶番」の目撃者は多すぎてはいけない、という深慮でしょうか?
しかしこのシーン、原作左之助及び左之助ファン(私だ)が哀れではないかと。
左之助は幕末に「赤報隊」(実際にあった集団)に属していたという設定で、慕っていたお頭を政府の裏切りで処刑されてしまったという過去を持っているのです。
なので映画では刑場に駆けつけた左之助が柵越しにわーわー言ってましたが、原作左之助なら絶対に柵を壊してましたよ!
…と涙に暮れてみたり。
よかったところは…志々雄様が笑っちゃうくらい強くて、戦闘シーンが圧巻だったこと。
強豪達を千切っては投げ斬りつけては蹴飛ばし、と単なる殺陣じゃない戦闘は、リアルで面白かったです。
あの包帯スーツであの動き、藤原竜也氏はすごい人です。
演技もよかったですし。いつもより声が低くて心底怖い人になってました。
モチロン佐藤健君もすごかったのですが、彼は完璧に剣心になっていて、人間離れした動きをしててもそれが普通に見えてしまうという。
他の俳優さんたちも自然で浮いている人がいなくて、とてもよかったです。
結論:『るろうに剣心』3作は夢に似ています。
急にポエムを語りだしたのではなく。
現実ではありえないようなこともあるけど現実の延長上にはありそうで、そして夢を見てる間は特に疑いはしない、というあたりが。
さて、映画も見終わりましたし、原作マンガ一気に読み返しますか!
そしてまたじっくり映画を見直したい!
相変わらずの大迫力なので、ぜひとも映画館で観てほしい作品です。
今回の戦利品はパンフレットのみ。
(※パンフ写真の下からネタバレ感想に入りますのでご注意下さい)
制作の方々のお話が載っていて興味深いです。
裏方さんあっての映画なのだな、と感心しきりでした。
さて感想ですが、一言で表すと「ツマラナカッタ」でしょうか。
いや、面白かったんです!
原作での宗次郎の電信「ミエナカッタ」をもじってみただけです。
↑このシーンが削られてしまったことへの抗議も多少混じります。
とはいえ、原作では館内での戦闘だったのが、映画では「煉獄」という艦船で戦うことになっているので削られるのは仕方ないのですけどね。
原作では、剣心はまず宗次郎に奥義「天翔龍閃」を放っていたのです。
その秘密を志々雄に報告するはずが、「ミエナカッタ」となってしまい、でも流石は志々雄様、そこから奥義の正体を見破ってしまう…となるはずが。
原作に忠実である必要はないし、原作にこだわって逆に変になられても嫌なので、そこは問題ないのですが。
しかし中途半端に原作通りにされると、初めて観る人は「??」となるんじゃないかと思います。
宗次郎が剣心との戦いの途中から、体がついていけなくなったり感情が混乱してきたりするのですが、そこに説明がないので分かりにくそうでした。
そうかと思うとだいぶ端折られていたり。
志々雄配下の十本刀も全員きちんと戦っていないのが心残りです。
だったら十本にしなくてよかったのに、と思っていたらそれについてはパンフに色々書いてありました。が、やはり半端感は拭えず…。
十本刀の中で、廃仏毀釈の被害者で政府を恨む安慈さんが好きなのですが、「二重の極み」という技はただの強いパンチになっていました。
左之助との交流も単なる対戦だし。残念。クローズアップされただけいいのかもですが。
何がいけないって、師匠との絡みが長すぎたんです!
大事なのは分かるけど、そこをもう少し短くして、その分の時間を他へ回してほしかった。
『京都大火編』のラストシーンをかっさらった「謎の男」は、剣心の師匠で福山雅治氏でしたとさ。
ハマリ役でよかったとは思います。無駄に野生の色気を振りまいておられました。
あとは陰気な横槍男・蒼紫様もいけませんね。時間使わせてましたね。
まあ仕方ない。
剣心との戦闘シーンは、師匠にコテンパンにされて実はそんなに強くないんじゃ…!?という疑惑の持ち上がりかけた剣心の面目躍如に必要でしたからね。
いやいや、他にも大事な理由があったかも。
そして一番不要というかしっくりこないシーンが、剣心の「市中引き回しの上斬首」という「茶番」です。
「人斬り抜刀斎は死んだ!」ということを周知するためとはいえ、長くてしかし地味めです。
やるならもっと派手にやればいいのに。
実際には首を刎ねる予定じゃなかったから、「茶番」の目撃者は多すぎてはいけない、という深慮でしょうか?
しかしこのシーン、原作左之助及び左之助ファン(私だ)が哀れではないかと。
左之助は幕末に「赤報隊」(実際にあった集団)に属していたという設定で、慕っていたお頭を政府の裏切りで処刑されてしまったという過去を持っているのです。
なので映画では刑場に駆けつけた左之助が柵越しにわーわー言ってましたが、原作左之助なら絶対に柵を壊してましたよ!
…と涙に暮れてみたり。
よかったところは…志々雄様が笑っちゃうくらい強くて、戦闘シーンが圧巻だったこと。
強豪達を千切っては投げ斬りつけては蹴飛ばし、と単なる殺陣じゃない戦闘は、リアルで面白かったです。
あの包帯スーツであの動き、藤原竜也氏はすごい人です。
演技もよかったですし。いつもより声が低くて心底怖い人になってました。
モチロン佐藤健君もすごかったのですが、彼は完璧に剣心になっていて、人間離れした動きをしててもそれが普通に見えてしまうという。
他の俳優さんたちも自然で浮いている人がいなくて、とてもよかったです。
結論:『るろうに剣心』3作は夢に似ています。
急にポエムを語りだしたのではなく。
現実ではありえないようなこともあるけど現実の延長上にはありそうで、そして夢を見てる間は特に疑いはしない、というあたりが。
さて、映画も見終わりましたし、原作マンガ一気に読み返しますか!
そしてまたじっくり映画を見直したい!