キネマな日々

ちょっとマイナーな映画三昧

その夜の妻

2005-08-05 | 小津安二郎
二枚目スターだった岡田時彦をはじめて起用した作品。このあと4本の小津作品に出演して常連となるが30歳の若さで夭折します。娘は岡田茉莉子で、のちに小津の「秋日和」に出演しています。
「その夜の妻」は雑誌「新青年」に掲載されたオスカー・シスゴールの小説を原作にしていて、強盗を刑事が追うというサスペンスな内容で、戦後の小津調とは異質な感じがしますが、夜のビルディング街の撮影が斬新で新鮮な感じがします。

「その夜の妻」(1930年 松竹蒲田)

父ありき

2005-08-04 | 小津安二郎
2003年は小津安二郎生誕100年にあたる年で、その記念事業として、松竹で製作された作品がDVD-BOXになり、他社で製作されたものも、すべてデジタル修復されて発売されました。修復前にビデオ化されていた古い作品は音や映像がひどく、「父ありき」などもセリフが聞き取れないほどでしたが、修復版ではグレーゾーンの濃淡が鮮明で影に隠れていたのが見えるようになったり、背景のかすかな音が聞こえるようになってます。小津作品の看板役者といえる笠智衆が、はじめて小津作品で主演した作品で、出演にあたって監督から「お能の面でいこう」とクギをさされたというエピソードがあります。わざとらしい演技はしてくれるなという意味で、その後笠智衆は小津監督自身の映し鏡のように毎回出演していきます。

写真は「大地の妻」(1938/松竹大船)の笠智衆。桑野通子と。

「父ありき」(1942年 松竹大船)
「大船日記」笠智衆著(扶桑社)

パリ、テキサス

2005-08-03 | 外国映画
「パリ、テキサス」は、カンヌのパルムドールを受賞したヴィムヴェンダース監督の代表作。のちに「ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ 」に出演するライ・クーダーが音楽を担当しています。家族を捨てて放浪の旅に出た男が息子と再会して、少しずつ心を通わせていくのだけど、道の両側に別れて歩く親子がやがて並んで歩くシーンがあります。小津監督の「晩春」で、能舞台の観劇の帰り道、父親(笠智衆)の再婚話を知った娘(原節子)が道の両側に別れて歩くシーンがあり、親子の気持ちの距離をあらわすのに小津を意識して撮ったといわれます。

「パリ、テキサス(PARIS,TEXAS)」(1984/仏、西独)

東京物語

2005-08-02 | 小津安二郎
CATVで小津安二郎監督の「東京物語」を観る。途中からというよりほとんど後半の葬式のシーンから見出したのだけど、「東京物語」は幾度も観ている作品。読経の途中で大坂志郎が抜け出し原節子と会話をする。敬三役の大坂が「僕、孝行せなんでなぁ、いま死なれたらかなわんね…さればとて墓に布団も着せられずや」とボソっと語る。このシーンを撮影するにあたって何度もテストを繰り返したエピソードは有名ですけど、小津監督は大坂志郎の演技のどの部分に不満を感じ、何を演出したかったのか。

ヴィム・ヴェンダースが1983年に撮った小津監督へのオマージュといえるドキュメンタリー「東京画」の冒頭で、「東京物語」の冒頭のシーンにかぶせて「20世紀になお"聖"が存在するなら、もし映画の聖地があるならば、日本の監督、小津安二郎の作品こそふさわしい」と語りだす。「東京物語」のお葬式のシーンを観てヴェンダースのこの言葉をふと思い出し、聖地を巡礼するような気分で、フィルムが現存する全作品を通して観てみることにしました。

「東京物語」(1953年 松竹)

お楽しみはこれからだ!

2005-08-01 | 外国映画
和田誠の本の受け売りだけど、「お楽しみはこれからだ!(It's show time!!)」は、初のトーキー映画「ジャズシンガー」(1927/米)でのアル・ジョルスンのセリフ。つまり映画史上最初のセリフでもあります。その後はショーの司会者の常套句みたいになってて、「ALL THAT JAZZ 」でロイ・シャイダーも言ってたような。

映画は面白い。リュミエール兄弟が興行としての映画を作ったのが1895年。それから100年以上もの間、無数の映画が作られてきましたが、1930年代からテレビが普及するまでの期間が、技術的にも、興行的にも、役者やスタッフのレベルも、もっとも成熟した映画の黄金時代でした。