春の訪れをたしかに感じた先の日曜日、松乃木がインしたわけだが、ここでひとつスペシャルな企画をお願いしたい。
前任の白浜がやってくれた新旧変身企画はとても好ましいものだった。わたしだって二回行ったくらいだもの。
倉庫や納屋の奥などでほぼ死蔵に近くなっている品々を掘り出して再び光をあてる展示を行なって、公衆に見直しを提案する営為は博物館の意義である。さらに半歩進みそれらの価値を再認識させようとするのは大きな目的である。
その意味で先頃の赤銅博物館でS2代白浜が展示されたことはじつに有意義であった。動態で展示されていたことがとりわけ意義深い。現行の太鼓台のわきで旧幕を飾っていることとは大きく意味合いが違うのだ。
先般の白浜の変身そのものは、そんな肩肘はった展示ではなく気まぐれや洒落であったのだろうが、あかがね史上でも最上級の好展示といっても過言ではない。図らずもハクブツカンガクできてしまったキュレーターは微笑したことだろう。わたしもかつては博物館学概論を履修した学徒、祝福とともにきわめて大きく評価しておきたい。
さあ、ここでハクブツ企画を終わらせしまってはじつに勿体ない。好企画も単発では弱い、二の矢、三の矢を継いで有効というものだ、追撃が切に望まれる。松乃木も入場が淡泊で愛想なしだったせいで下げた評判を、少しリカバリしたいところだろう。
え、松乃木はそんな旧幕やらお持ちでないって?
なにも旧幕を掘り出して見せることだけを勧めているんじゃない。あえて言うと意気や大人の冗談のようなものを示してくれたらと思うよ、いつも博物館の意義を求めるわけでもない。白浜であり得たように、あら変わり映えがあったのならもう一遍見てみようか、とリピート需要を掘り起こす試みも博物館にとって重要な目的だ。つまりどうするのか。所有してないなら、有るところから借りてくればいい、意味のあるメタモルフォーゼが可能になる。
天幕を替える---→赤白青の市松へ。
重旗を着替える---→イカリ紋へ。
ついでに名札も?
もしそんな(あれこれ言わないが)展示を見たら、その時わたしは河合奈保子が水着で復活してくれたような喜びを感じるんじゃなかろうか。言われなくても愛ある補正をかけて鑑賞するであろう、つまりはエバーグリーン。
一週間でいいから。……ダメ?
前任の白浜がやってくれた新旧変身企画はとても好ましいものだった。わたしだって二回行ったくらいだもの。
倉庫や納屋の奥などでほぼ死蔵に近くなっている品々を掘り出して再び光をあてる展示を行なって、公衆に見直しを提案する営為は博物館の意義である。さらに半歩進みそれらの価値を再認識させようとするのは大きな目的である。
その意味で先頃の赤銅博物館でS2代白浜が展示されたことはじつに有意義であった。動態で展示されていたことがとりわけ意義深い。現行の太鼓台のわきで旧幕を飾っていることとは大きく意味合いが違うのだ。
先般の白浜の変身そのものは、そんな肩肘はった展示ではなく気まぐれや洒落であったのだろうが、あかがね史上でも最上級の好展示といっても過言ではない。図らずもハクブツカンガクできてしまったキュレーターは微笑したことだろう。わたしもかつては博物館学概論を履修した学徒、祝福とともにきわめて大きく評価しておきたい。
さあ、ここでハクブツ企画を終わらせしまってはじつに勿体ない。好企画も単発では弱い、二の矢、三の矢を継いで有効というものだ、追撃が切に望まれる。松乃木も入場が淡泊で愛想なしだったせいで下げた評判を、少しリカバリしたいところだろう。
え、松乃木はそんな旧幕やらお持ちでないって?
なにも旧幕を掘り出して見せることだけを勧めているんじゃない。あえて言うと意気や大人の冗談のようなものを示してくれたらと思うよ、いつも博物館の意義を求めるわけでもない。白浜であり得たように、あら変わり映えがあったのならもう一遍見てみようか、とリピート需要を掘り起こす試みも博物館にとって重要な目的だ。つまりどうするのか。所有してないなら、有るところから借りてくればいい、意味のあるメタモルフォーゼが可能になる。
天幕を替える---→赤白青の市松へ。
重旗を着替える---→イカリ紋へ。
ついでに名札も?
もしそんな(あれこれ言わないが)展示を見たら、その時わたしは河合奈保子が水着で復活してくれたような喜びを感じるんじゃなかろうか。言われなくても愛ある補正をかけて鑑賞するであろう、つまりはエバーグリーン。
一週間でいいから。……ダメ?
もし先祖帰りが嫌なら、天幕・重旗・名札を外して、マネキン20体くらい棒の上やら重から乗り出したり、高欄幕を除けようとするデコレーションをすると、オールドファンはたまらない。
しかし、コラボなのか?デコ、コスプレなのか?博物館的にはどうなの??
松乃木に無体な願いをしたのも冗談なら、博物館学概論履修したとかのもウソです。
冗談ではありますがあそこまで模倣しているのだから聞き入れてくれそうな気がしなくもないと思わせてしまうのは、松乃木にとって歓迎できることなのかなあといらぬ心配をしてしまいます。
棒ばなで若いしから「おっさん、危ないけん、のいとかんかい。」と言われたらなさけない。だから明日もまずは散歩じゃ。そこからはじめんとはじまんない。
おっさん危ないけんのいとかんかい、と言われたら「ベイビー。おまえさんがよだれかけしとるときからわっしゃここを守っとる。気持ちだけもろとったるわ」なんて言ってみたいですが。
また記事も上がりますかね。
縛りが少なくうるさ方の少ないところの良さが出たのではないでしょうか。
新しい太鼓台を見ることは長生きしてれば叶うのですが、旧い太鼓台は望んでも難しい。それをこんな形で見せてくれるとは、まさにありがとう、ですね。。
しかしわたしはこの光景を眼前にしていないので多くを語れません。長野がインするときにチラ見したくらいなんです……後悔。
長野のじいさんやおいさんとはうれしかっただろうなあ。