Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

「吟剣詩舞道」を聴く

2017-10-01 22:08:43 | Weblog

 父は生前 謡や詩吟を習っていた。傍で聴いていても上手いとは思わなかったが毎日のように謡っていた。そうした父の遺伝子を受け継いだのか今になって日本古来からの芸能に興味を持つようになった。そんな折の9月18日に町内の敬老会で「民謡と詩吟」をみんなの前で披露した。初めてのことであったが吟じたいとの思いから実現し10日間ほどの練習で皆さんの前に立った。それは評価以前のレベルであったと思う。しかし、いつかは、先生に習い正しく詩吟を吟じたいと思っている。そんな時10月1日 「吟剣詩舞大会」が清水マリナートで開かれていることを知った。この「吟剣詩舞」とは、どのようなものかもわからないままの見学であった。

 今日の午前中「吟剣詩舞大会」のことを主催者に電話すると「漢詩や和歌を吟詠し、これに合わせて舞う剣舞と詩舞を総称したもので、日本の伝統的芸道として長く引き継がれたもので、興味があるのなら是非見に来てください」と云われた。そこで昼食後出かけた。会場に入ったが、すでに半分ほどは終わっていて、舞台ではCDや尺八に合わせて吟詠し剣舞や詩舞が行われていた。詩吟の声は、踊りにマッチして腹に沁みわたるような良い声であった。

 静岡にも、こうした愛好者が多く、各々が会派に属し競っていることを知った。舞台での詩吟と舞は進んで行き、最後に各吟詠会の先生方の吟詠を聴き、その後、初めてであったが「構成吟」も聴いた。構成吟は、あるテーマを題材にし詩吟と舞を連続的に披露するもので、昔からの風流な楽しみ方の一つであったようだ。今回は「華」を題材に、日本の和歌や中国の漢詩をスクリーンに映しナレーターが解説し、詩吟を吟じ舞うもので、奥深い吟詠の世界に導いてくれた。11の「華」を題材にしたものが披露された。この中でも、①芳野の桜を歌った「華」”芳野に遊ぶ” 作菅茶山 ②桜田門外で潔く散った水戸浪士の「華」”絶命の詩” 作黒沢忠三郎 ③藤原氏三代が奥羽の地に咲いた「華」”平泉懐古” 作大槻磐渓 は心地よい吟詠の響きが残った。

 CDを使った吟詠もあったが、尺八の伴奏で吟ずる詩吟は、聴いていて心地よいもので詩の情景が伝わってくる。学ぶことが多い良いひとときを過ごすことが出来た。そして感じたことは、敬老会で行った「民謡と詩吟」のことで、聴いてくれた皆さんに失礼なものを見せてしまったとの思いである。今になって反省では遅いが、次のチャンスには、確り吟詠の手法と作法を汲み入れ恥ずかしくないものを見てもらいたいと思った。 

 

 


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