Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

送り火を炊く

2017-07-16 23:43:07 | Weblog

 菩提寺の僧侶が見え棚経を上げてくれたのは7月14日の午前10時頃であった。事前の通知で午前中に行くと云われていたが、正確な時間が分からなかったので早めに朝食をとり8時には迎える準備は出来ていた。見えたのは住職ではなく若い僧侶であった。張りのある声で読経を上げてくれ荘厳な中にも凛とした時が流れた。心にしみる良い読経であった。終わった後、玄関の掛け軸の書を見て、筆者が先代洞慶院住職であったことからその話などして帰って行った。静かなお盆の中日であった。

 午後になって娘が見えた。多分妻が呼んだものと思うが、線香を上げ2時間ほどいて帰って行った。今年のお盆はこれで終わりかと思っていた7月16日午後3時ごろ瀬名の妹夫妻が大きなスイカをもって見えてくれた。妹夫妻は子供たちの分もと云って8本の線香を上げてくれた。雑談の中で両親のことの話などしたが、母は3年前であるが父は21年前に亡くなっているので、こんなことでもない限り父を思い出話をすることも無くなった。私たちも父の年齢に近づいていることを思った。身体のあちこちにいろいろ言うところが出てきたのでそうした話になった。私は、ここ2年連続して入院したが、義弟もこの10年ぐらいの間にいろいろ病気もした。そんなマイナスの話であったが、義弟の話は面白くみんなを笑わせてくれた。きっと聞いている御霊も苦笑いしたのでないか。しばらくいて妹夫妻も帰っていった。

 夕方7時近くなり門の前で送り火を炊いた。まだ暗くなっていなかったので、妻は「御霊さんはまだ家に居たい時間ではないのか」と云った。松明が炭になるまで、二人でそこにいたが、近所で送り火を炊くような家はなかった。多分送り火を15日に行う家もあり前日に行ったのかもしれない。この後菩提寺の行った。既に暗くなり誰もいないお墓にも送り火を炊いたような跡などなかった。確か、家で迎え火を炊いてから、菩提寺に行ってお墓も前で送り火を炊くことが仏教の本に書いてあった。それを実行しようとしたのだが、実際にはそのようにする人はいなかった。生花の水を替え帰ってきた。

 14日に僧侶が話したのを聞いたが、最近精霊棚もつくる家族も少なくなっていると云った。ましてや送り火を家とお墓に炊く家などどこにもないのかもしれない。時代は変わり風習も変わってきているが、それでも先祖と交歓するお盆の行事は大切にしていきたい。家では夕食に茹でた枝豆が出ていた。お盆の行事が無事終わりご苦労さんと云った気持ちからだと思った。冷えた缶ビールを飲み、それに妻も付き合ってくれた。2本飲むと酔いが回ったのか眠くなった。精霊棚の片づけは明日にしよう。

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