Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

六木会に出席して(2)

2016-10-18 22:10:56 | Weblog

 朝6時頃だったか松島湾に面した部屋からは、太陽がまぶしく降り注いでいた。晴天の松島は、島並をくっきり見せ美しさを際立たせていた。この部屋の3人は、六木会の会長で千葉県在住のIS君、それに茨城県在住のYB君と私である。3人は起きると直ぐ大浴場に行った。昨日は気が付かなかったが、付きだしたところに露天風呂あった。ここからの眺めも、ひと際良かった。風呂から上がりそのまま朝食の会場に向かった。そこには何人かの同窓者がいて自由解散となった今日のことを話した。何人かは観光に出かけると云っていたし、中にはレンタカーを借りていて、北上して東日本大地震後の復興状態を見に行く人もいた。

 私は特に旅行する計画は持ってこなかったので、仙台駅の周辺でも歩こうかと思った。IS君も仙台周辺の観光をすると聞いていたので、一緒に仙台まで行くことにした。列車の都合で東北本線松島駅まで出て行くことにした。ホテルからは松島海岸駅と松島駅までの距離は同じくらいであったが、ホテルから松島駅まで車を出してくれた。仙台駅でIS君と別れ町に出た。そこからけやき並木を30分ほど歩いたが、知らない土地であり特に目的がなかったので何故か疲れた。引き返し仙台発10時42分発やまびこ号に乗った。

 座席に座るとJR東日本発行の雑誌トランヴェールが置いてあったので時間つぶしに読んだ。この雑誌はJR東日本の観光地や乗って見たくなる列車の旅が紹介してあった。その冒頭に沢木幸太郎のエッセイ「旅のつばくろ」が載っていた。それは「心の華やぎ」との題で、彼が竜飛崎に旅行した時のことが綴ってあった。その概要を紹介すると ≪彼は、この旅でJR津軽線の蟹田駅で途中下車し、観欄山という丘に登った。そこには太宰治の文学碑があり、そこに寄って見たかったのだ。太宰治は故郷の津軽金木に帰るとき、まず蟹田の旧友と再会するのが常だった。ここに1956年8月文学碑が建てられ除幕式に作家の檀一雄が出席した。その時一人の若い女性の劇団員を伴っていた。実はそのことが、のちの「火宅の人」を生み出す「不倫」の日々が始まったのだ。言うなれば蟹田は「火宅の人」の発端となった地でもある。エッセイではもっと詳細に綴られていたが、それ故沢田幸太郎は行ってみたかったのだ。≫ 私の旅行とは何の関係のないエッセイであったが、何故か心に残った。

 東京駅に着いたのは正午過ぎであったが、仙台を出発した時は東京についたら何処かの劇場で音楽でも聴いてから帰ろうと思っていたが、そうした気力もなくなり、そのまま東海道新幹線で静岡まで帰ってきた。家に着いたのは午後4時前であったが、あまりに早い帰宅に妻は驚いていた。来年の同期会は、四国の土佐と決まった。その時は、しっかり計画し有意義な旅行にしたいと思った。

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