Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

北海道旅行後記

2016-10-03 22:31:09 | Weblog

 自然豊かな北海道を堪能したが、今回感じた開拓のこと、鉄道のことを記す。歴史的に北海道に日本人(和人)が住むようになったのがいつ頃からなのかは知らないが、移住定着が起こったのは、明治維新からのことのようだ。それ以前は和人2万人、アイヌ人10万人程度であったと聞いた。その生活も農耕によるものでなく狩猟であった。明治になると、戦いに敗れた士族の失業対策として北海道の開発に乗り出した。この屯田兵組織は北海道の原野を開墾することと、ロシアの南下政策に対する防衛の意味も持っていた。

 明治の初期は、この屯田兵は東北地区の士族が主に組織され、開拓と共に、西南戦争、日清戦争、日ロ戦争などにも兵隊として従事している。土地を開墾すると共に国防の役割も果たしてきたのだ。この屯田兵制度は北海道開発の起爆剤になったものと思う。その後は一般人も含め屯田兵は日本全国から集められるようになった。しかし北海道の寒さは厳しく、原野の開墾は想像を絶する過酷なものであったことから、多くの人達はそこで命を落としたり、開墾をあきらめ本州に帰って行った人も多かった。やっとの思いで畑を整備しても作物を収穫するまでには幾多の困難が続いた。

 そうした苦労を克服して、現在は日本の食をまかなう穀倉地とし形づくられていった。北海道の人口もピーク時は550万人ほどの規模となった。しかし人口増は大正9年をピークに減少していて、それは今も続いていると云う。入植し苦労し稲作のできる土地にしていった先達のことを思うと心重しい。しかし本州に比べ、まだ開発するところは多く残っているように思う。よって北海道に合ったインフラの整備と産業を育てることが必要ではないか。

 また、今回の台風10号の影響で北海道は甚大の被害を受けた。しかし災害復旧のテンポが遅いように感じた。特に私が見た鉄道は災害を受けたまま手つかずの状態であった。ある面、これも止む追えないことのように感じた。それは道路が整備されたこの地で、かつ人口密度の少ないところでは在来鉄道の存在は小さくなっている。その上、北海道は各地に飛行場があり道路と飛行機が輸送手段として適しているように思う。それ故在来鉄道での生き残りは大変であると思う。今後は、いかにして人口を増やすことと、新幹線鉄道も含め機能的交通網の整備が必要ではないかと思った。