もくさんの記憶

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

神との出会い #2

2017年07月12日 | 今日のひとり言
「神」との出会いは、一瞬の心の思いでした。
それが、確信の心になるのに何の迷いもなく、これも「そうなんだ」
と言う気持ちでした。
私は「神」を求めていたのではありませんでした。
ただ、「船井幸男」「中矢伸一」の本は読んではいました。
きっと「神」を求めていたら、外の神社とかの外の世界へ「神」を見出そうとしたのかもしれません。
幸いな出来事だったのかもしれません。
神の存在を確信すると、
今度は自分の心に「うそ」をつくことができなくなり、
おこないが、少しづつですが自分自身の自制が働きました。
なぜなら、自分の心に「神」がいるからです。(私の行動がすべて筒抜け)
これは、すべての人に言えることです。
ただ、「自覚をする」「見つける」は個人の心の持ちかただと思います。
だって私が「神の隣」と感じたのはほんの一瞬でしたから。
私は、すべての人が「神」を意識するだけで、他人を「批判」したり「浮気」など他人との関わりがもっと穏やかになっていくと思います。
それと「プライド」これはないほうがいいですね。
もっと大切なことは、自分自身が「怒り」を発しないことです。
これは、私にとって一番難しいことでした。私の連れの一言でよく頭に「カチーン」と来ています。(ただいま修行中の身)
だからたくさんの「地雷」(自分の得意でないことなんでしょう)を踏んでいたことでしょう。
ただ、これだけで「神」に近づいたと思うことは少し傲慢だと思います。
私はどうしても第一印象で「好き、嫌い」を判断をしている部分があります。(先入観?)
イエスの言葉ではありませんが、「汝の敵を愛せよ」ここまでの心に近づかないことには。
私が結婚する前にテレビで映画で流していた「ゴルゴダの丘」と言う映画(主演はチャールトン ヘストン)の中でイエスが十字架に架けられているときの言葉の中で、兵士に向かって「汝を赦す」と言うシーンがありましたが、
その時は意味が分かりませんでした。
今はその意味は「私はこんな行為をしているあなたを赦します。なぜなら私はあなたに対して”怒りのカルマ”をつくりません」と言う深い意味があることを。
『ささやき』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 神との出会い | トップ | 地球への未来の想い »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。