東海道桑名宿の旧跡めぐりも最終編を向えた。今日のブログは桑名市の南東部矢田立場という所から、市の南端までを記載する。 2013.05.26(日)実行
今の道は直線的に作られる事が多いが、地図上で旧東海道を見ると結構曲がりくねっている。敢えてそうしたとする地域もあるようだが、ここはどうなのだろう?。 道はここから一旦西方に向う。
「矢田立場」
「立場」とは、江戸時代の五街道等で、次の宿場が遠い場合、その途中に休憩施設として設けられたもの。峠の茶屋や売店などがそうらしい。 旧東海道はここから南方に折れ曲がる。
東海道を示すものは何もないが、ここは旧東海道である。
この辺りは「安永」という地で、下の写真で、道の突き当たりは「員弁川」の堤防であり、ここに「町屋橋」があった所である。(今の町屋橋は国道一号線に架かる)
この橋のたもとには、「料亭玉喜」などがあり、昔の姿を思い起こさせる、古い灯籠や樹齢200年と言われる「藤」の古木が残されている。
この旅館などで、街道の名物「安永餅」(下の写真は現在売られている餅)を売っていた。現在も料亭、旅館として営業しているが、旧館には「安永餅」の看板や「御馬口御洗水」の木札や、餅を作っていた頃のかまどなどが残されている。
「伊勢両宮常夜灯」、文政元年(1818年)建立。桑名市指定文化財。
石造里程漂には「従町屋川中央北桑名郡」「三重県庁舎一里口町余」と刻まれる。(明治26年建立)
写真を撮り損なったが、ここには樹齢200年以上の「楠」の大木があり、しめ縄が掛けられているとの事である。下の看板に描かれているのがその大木かも?。
「町屋橋跡」屋根付き表示板
橋は寛永12年(1635年)に初めて作られ、川の中州を利用した大小二本の板橋であったり、一本の板橋であったり、しばしば変わっている。江戸時代のものは、橋の中央で馬が退避出来るように幅を広げた事もあった・・・と書かれている
。
ここに「町屋橋」が掛けられていたが、この少し左(東方)に昭和8年に国道一号線の橋がかけられた。 よってここの橋は廃止された。川の向こうは朝日町である。
東海道桑名宿の起点「七里の渡」から、旧東海道三重県内は鈴鹿峠までの間が約45Kmあるが、今回はその最初として現桑名市の南の端、町屋川(員弁川)の袂までの約3.8Kmを歩いたのである。これを地図に書くと下記のようになる。
以上をもって、「東海道・桑名宿・旧跡めぐりを完結としたい。
私としては、初めての身近の歴史を取材することが出来たのも、全ては友のお陰と感謝すると共に、従来とは一味違ったブログになったと自画自賛しきりである。
今後も、例えばこの続編とか、古い町並みなどを残す地域にて、歴史の片鱗に触れたいと思っている。
<< 完 >>
参考までに
上に記した”地図へのお絵かき”は、以前からやりたかった事のひとつであるが、つい最近ブログで親しくしている方から紹介された、akatomboさんに教えて戴き出来たものです。この手法のキーポイントは、パソコンの右上端にある「PrtSc」なるキーの使い方であり、これは他にも使い道は多々あると考えられるので、私には嬉しい”発見”であった。(パソコン歴うん十年の私が今頃知ったのかと笑われながらも)
作り方の解り易い「地図へのお絵かき手順」のページ は
https://tomboaka.wordpress.com/
また、akatomboさんのホームページは
をご覧戴きたい。
桑名のご紹介、写真入りで、楽しく拝読しました。私も
桑名に下車したことが1回だけあります。近鉄での旅の
途中でした。席前をウロチョロしただけでは、全く実態が
つかめませんでした。こうした地図付きの案内板ができ
ると、安心して街が歩けますね。akatomboさんは、凄い
「パソコン博士」でしょ。博士とのやり取りも、拝見しまし
たよ。
パソコン大博士を紹介して戴いたお陰で、パソコン扱いにもひとつ開けた感じで、大変嬉しく思っております。ありがとうございました。
改めてキーボードを眺めて見ると、一度も触った事の無いキーが幾つもある事を今頃になって知りました。このキーの使い方を知れば更に進むかもしれないと思います。私の知らない機能や手法が数多く在る事も実感して、パソコンの奥深さを感じています。