木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

958 東海道 四日市宿 (3)富田

2013-07-03 08:00:00 | 名所旧跡

 自転車で旧東海道筋の旧跡を尋ねる第二弾の第三編はJR関西本線富田駅周辺と近鉄富田駅周辺に挟まれた地域、「富田」の辺りを紹介する。

 下の地図赤い線は旧東海道であり、丸付き数字は尋ねた場所を示し、この後に示す各記事の番号になっている。

 

① 一里塚と道標

 史跡「富田の一里塚跡」の案内板によると・・・(要約)

昔、街道の両側にー里(約4Km)毎に土を盛り上げ、「えのき」などを植えて目印にしたもが、一里塚である。すでに戦国末期に存在していたが、江戸時代の初め頃から、日本橋を中心に設けられていた。

明治以降は殆ど取り除かれてしまい、その面影を見る事が出来なくなった。写真のものは日永の一里塚と共に県の史跡に指定されている。

 

② 「八幡神社」

1279年創建されたと言うから、かなり歴史のある神社。当時は東西が16間、南北8間、面積145坪あったと伝えられている。

「八幡神社の力石」  写真左下の石

鎌倉時代に始まり、豊作の願いと村一番の力持ちの競い合いと仕事士の証としての踏ん張りの精神力、そこに集まる人々の笑いを意味していて「生きる喜びの証」であったのかも知れない。重量は100Kgくらいあるそうだ。

 

③ 「明治天皇御駐輦(ごちゅうれん)跡」

 明治元年9月20日、車駕(しゃが)にて京都を出発し東京に向われる途中、25日富田にて御少憩になり、「焼き蛤」をご賞味になられ、10月13日東京に入られた。また、その帰りにも御少憩になられた・・・とある。その後も二回ここを訪れられているらしいが、やはり「焼き蛤」の美味さは格別だかと納得!。

 

④ 「善教寺」

1460年代には存在していたので、創建はさらに先になる。本堂は昭和10年に再建されている。

下の倉には、国の重要文化財の「木造阿弥陀如来立像」と「同像内納入文書」が収められている。その像は高さ79cmの桧寄木作りで玉眼、漆箔が施されいる。制作は1241年頃と推定されている。文書は般若経などで、1238年から1872年に納入されたようである。

 

⑤ 「常夜燈」

表には「常夜燈」と、裏には「天保十巳亥年(1839)」と書かれている。

「この常夜灯の小さな灯りが、明るく感じとられて、淋しい夜の街道の旅人をどんなに勇気づけたことか、雨の夜、風の夜、絶え間なくっこの明かりを守りした人々の心意気を感じて、この灯籠を見つめてほしい(原文のまま)」

・・・・・足元さえも照らさない小さな灯りが旅人には明るい心の灯火になっていたようで、心に深く入り込む文章である。

 

⑥ 「薬師寺」  尼寺

大同年間(806~810)の頃、疫病が流行し人々は苦しんだ。この事を旅の途中の弘法大師が知り、足を止めて薬師如来を彫り祀ると、たちまち難病は平癒した。それに感謝するために堂を建て薬師如来を祀った・・・とか。

 

「東海道四日市宿」の前回終了地点「三光寺」から、この「薬師寺」までの距離は1.6Kmであったから、町屋橋南詰めのスタート地点からの自転車が走った距離は合計6.0Kmとなった。 また、三重県への東海道の入口の七里の渡しからは、累計は約9.8Kmとなる。

 

                                  << 続く >>


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4 コメント

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常夜灯 (shuttle)
2013-07-03 10:06:17
木燃人さん

今回の案内も、いろいろ教えてていただきました。明治天皇の行幸に、往復、この街を通過されたこと、少休憩なさったこと、「焼き蛤を召し上がったこと。目の前に見るようです。当時は京都から東京まで、23日もかかったのですねえ。また、常夜灯は懐かしいです。私の少年時代には、疎開した村里には、まだ、ありましたよ。それどころか、現在の我が家の前の小道は、随分、以前のメインストリートで、常夜灯が設置してあったとか。何もかもすっかり変わる世の中です。
天皇行幸 (木燃人)
2013-07-03 15:43:21
shuttleさん

天皇が道を通られただけでも、当時としては、ただならぬ状態。それだけでも記念する道標があちこちに立ってますから、休憩されたり焼き蛤を食べられた、更には都合4回もお出でになったとあらば、それはそれは大変な事であったろう事が推測されます。それを記念しての石碑は、当事者の自慢の種で合った事が伺えます。
Unknown (sawaka)
2013-07-04 21:15:57
木燃人さん

この地図で見る限り随分立派の寺が多いですね。富田の地名は、知っていました。私の中学時代の友達が、富田の紡績工場へ沢山いきました。三重県にあるんですね、三光寺 薬師寺は、豊田市にも有りますが、関連が有るんでしょうね。薬師寺は、直ぐ近くで、尼寺ですが、5人ほどいた尼さんも亡くなられて、残った一人も入院され後を引き継ぐ事もなくでお守りをしています。
今昔物語 (木燃人)
2013-07-05 08:39:40
sawakaさん

そうでした、昔は東洋紡など紡績工場が多くありました。遠くから来る人も多かったのですねー!。 今は全く見る事が無くなりました。 そういう移り変わりの激しい部分と、お寺などのように遠い昔から在り続けているものとが混在してます。 今回尋ねた寺の幾つかは、後継者がいなくて、自治会などが管理していました。

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