木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1010 東海道 水口宿 (1) 新城 元町

2014-03-01 08:00:00 | 名所旧跡

旧東海道筋の旧跡を訪ねていますが、 滋賀県に入り「土山宿」が先日終了しましたので、今日からは「水口宿(みなくちじゅく)」 になります。  訪問日 2013.10.03(木)

「水口宿」は東海道五十三次のうち、50番目の宿場で、旅籠の数41軒(1843年当時)を数える大きな宿場でした。 宿場の形態としては、三筋に分かれた道路が他では見られないものとなっており、今も宿場町らしい町並みが残っています。

18世紀には現在も続く水口神社の祭礼に、曳山が巡行されるほどに発展しました。 一方、水口は加藤家2万5千石の城下町でもあり、石橋より南は武家町となっており、武家の長屋門などが残っているそうです。

さて、安藤広重画伯(?)の浮世絵ですが、この絵は水口の名物「干瓢」を干してるところを描いたそうです。 干瓢はウリ科の植物「ユウガオ」(?)の実の果肉を細長く切って干したもの。 幕末最盛期の生産量は1400貫(5トン余り)でした、今でも少量の生産が行なわれている・・・と書いてありましたが・・・?。

 

 抵当な縮尺の地図がなく、 リサイズしてますので、文字などが見難いですが、お許しください。 例により、細いですが赤い線でぐねぐね曲がっているのが旧東海道です。 丸付き数字は訪ねた旧跡などのありかを示しています。

 

 

 ① 「これより土山宿」の碑

我々の進行方向とは逆向きになりますが、水口宿から見て「ここからが土山宿」というわけです。 写真の左が旧東海道で、右の道が国道一号線です。

 

 ② 「これより水口宿」の碑

上の反対方向になりますが、「これよりが水口宿」と表すモニュメントです。 上の地図でご確認ください。

 

③ 今在家 一里塚

写真の手前が旧東海道です。 昔はこんな貧弱なものではなく、高さ数メートルになる大きなもので、塚上には榎などが植えられて旅人の目印になるようになっていました。

 

④ 宝善寺

 

⑤ 岩神社

 このあたりは、野洲川もあり、巨岩、奇岩が多く出土し、江戸時代から景勝の地でありました。 この神社は社はなく、岩を祀ってあったとされています。 

 

 ⑥ 永福寺

 

 ⑦ 東見附跡

宿の東端に設けられたもので、枡形土居と柵で区画し、木戸や番所を置き旅人を監視しました。 これに対し西の端に「西見附」がおかれ、それぞれ「江戸口」「京口」と呼ばれました。

 

⑧ 高札場跡

幕府の法度、掟書きなどを記した板書きを、通行の多い場所に建てました。 この場所を「札の辻」と呼んでいました。 左の道が旧東海道です。

  

 ⑨ 古い町並み

 

 

 ⑩ 善福寺

 

 ⑪ からくり時計

9、12、15、18時が来ると、下の水口曳山祭のミニチュアが動き出すそうです。 下の写真右側の道が旧東海道で東方を見てます。

 

 ⑫ 大岡寺 (たいこうじ)

684年僧行基が開いた寺で、本尊は十一面千手観音菩薩です。 別名の「岡観音」でも親しまれています。 十六の坊舎を擁していましたが、度重なる兵火に会いました。 現在の建物は1715年に再建されたものだそうですが、メンテナンスが行き届かないのか、本堂も山門も老朽化が激しく、いつ崩れてもおかしくない状態に見えました。 また、鴨長明が得度した地でもあります。 写真右下は、松尾芭蕉の句碑で「命ふたつ中に 活たるさくらかな」とあります。この句は1685年春、当地で「土芳」に再会しての句とありました。

 亀山宿の西の端に、昔は松並木が美しかった「大岡寺畷(たいこうじなわて)」があったことを覚えて頂いてるでしょうか?。 そこで目にした唄に 「わしが思いは大岡寺 ほかにき(木=気)はない まつ(松=待つ)ばかり」とありましたが、ここがその「大岡寺」になるわけです。

水口宿は旧跡など見るものが町内中心部に集中しているために、 ここで一区切りとさせていただきました。 後編もよろしくお願いいたします。

 

 

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