木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1001 東海道 坂下宿 (2) 鈴鹿峠

2013-09-26 08:00:00 | 名所旧跡

 東海道五十三次の宿場町、三重県内(江戸寄り)の北端は「桑名宿」の「七里の渡し」です。 ここを起点として、街道筋にある旧跡を訪ねていますが、いよいよ三重県内の終点、鈴鹿峠にやってきました。    取材日 2013.09.11(水)

鈴鹿峠は伊勢と近江の国境にまたがる鈴鹿山の脇を縫うように超えるのが鈴鹿峠越えです。 古くは「阿須波道」と呼ばれ、仁和2年(886)に開通したとされています。 なだらかな近江側と異なり、山深い「八丁二十七曲がり」の急な山道は、古くは山賊が出没したようで、江戸時代には箱根越えに次ぐ東海道の難所として知られていました。

旧東海道の関宿から鈴鹿峠までは、平成8年11月に文化庁の「歴史の道100選」に選定されています。

 

下の地図で、赤い線が旧東海道であり、丸付き数字は尋ねた旧跡の位置を示します。 ●H= 標高 を示しますが、計算値のため必ずしも正確とは言えません。参考値と考えて下さい。

 

 今回尋ねた旧東海道の距離(①~⑭間)は凡そ980mですが、その標高差は121m(平均勾配α=12.3%)でありましたが、片山神社(⑤)から国道との交点(⑥)の間は約80mの距離で、高低差は54m(α=67.5%)と極めて急峻であることと、この辺りは車の走れる道は国道一号線しかないし、しかも、上下線が離れている(一方通行)ので、道順に”取材”する事が出来ませんでした。

それで、”後期野次喜多衆”は、一号線の峠を昇る側で一旦峠を越えて、滋賀県側に入り、峠のトンネルを出た所で、わき道に入り戻る方向でトンネルの上に出て、旧東海道に入ったのです。 つまり、滋賀県側から鈴鹿峠近くまで車で入り、そこから先は国道との交点⑥までは徒歩で往復したのでありました。

車に戻ってからは、もう一度滋賀県側に入り、今度は峠を下る側の一号線に入り、少し下った位置でわき道に入り⑤の位置に着いたのでありました。 その後は当然旧東海道を下り、一号線との交点①の場所に到着したのです。 よって、今回に限り撮影順序の逆に編集して、あたかも峠を昇ったように書いています。

 

① 国道からの分岐点

左の写真で、右の道が旧東海道で、車の泊まってる真ん中の道が、旧国道であり、左端の道が国道一号線で亀山方面行きの一方通行道です。 旧東海道はこの辺りから片山神社の参道と化していたのでしょうか?。

 

 ② 旧東海道

最初のうちはなだらかですが、坂がきつくなってくると石畳になります。

 

 ③ 名号碑

「南無阿弥陀仏」 宝永7年(1710)と刻まれています。 間伐材が雨で流れて哀れな格好になってました。

 

 ④ 灯籠坂と常夜燈

昔はこの灯籠坂の両側に灯籠がならんでいたそうです。古いものは享保2年(1717)のものもあります。馬子唄の一節が書かれてますが、 馬も男は乗せたくないほどに、坂が厳しかったのでしょうなぁー!。

 

 ⑤ 片山神社と孝子万吉の碑

その由来が古代にさかのぼる神社で、鎌倉時代にはここにあったようです。江戸時代には鈴鹿権現と呼ばれ、多くの信仰を集めたそうですが、平成11年に本堂などを火災で消失しました。

孝子万吉は4才で父を失い、6才から茶屋の使い走りなどをして、病弱な母を助けていました。 旗本が通行のおり、万吉の事を知り、その話を広めました。 いつしか万吉の話は評判になり、幕府にも届き、万吉母子は江戸に召されました。成人した万吉は代官に召し抱えられ長寿を全うしたそうです。

 

 ⑥ 国道との立体交点

ここからが鈴鹿峠の最も厳しい所、クライマックスになります。 足腰の強く無い私には、ここの上下は無理と判断し、実際はここでUターンしたのです。(ブログの進行方向とは逆です)

上の写真の細い道が、旧東海道ですが、国道一号線の工事のために幾分位置が変わっている事も考えられます。 下の写真左上方向に柵がありますが、それが旧東海道です。

 

 ⑦ 松尾芭蕉句碑

「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」とありますが、元禄4年(1691)刊行の句集に詠まれているそうです。

  

 ⑧ 馬の水のみ場

平成4年にコンクリートで復原されたものでした。

立て看板には西行法師が 「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」 と詠んだと書かれています。

  

⑩ 旧東海道

平坦は所もあるが、雨が降れば道は川になり、倒木が道を塞ぐ、まさに難所だ!。 

 

 

⑪ 鏡岩

これは鏡肌と呼ばれ、珪岩が断層が生じる際の巨大な摩擦力によって研磨され、平らな顔面が鏡のようにつやが出たもの。 昔、山賊が往来する旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたので「鬼の姿見」とよんだと伝えられる。 県指定天然記念物。・・・とあるが・・・

・・・・・・しかし・・・・・近寄って見ると、断崖絶壁の端にあり、全面を見る事は出来ないが、鏡らしき面は少しも見当たらず。 時代の流れで風化などしたにしても、当時の事が推測も出来ない状態に唖然!。

友の情報によると、 新城市の県道沿いに「額岩(別名鏡岩)」を初め、埼玉県の御嶽鏡岩、京都貴船山の鏡岩、尾道千光寺の岩、吉備の中山の鏡岩、岩手県住田町の鏡岩、岐阜県の大倉山の断崖などなど、巨石信仰もこれありで、沢山あるようです。

 

 ⑫ 田村神社跡と無名地蔵

田村神社(詳細説明は土山宿編にて後述)は現在は土山の町にありますが、昔は峠にあったようです。

 

 ⑬ 鈴鹿峠

ここが標高378mの峠です。 車は滋賀県からのみ、この辺りまでは入る事が出来ますが、これから先(三重県側へ)は道幅が狭く急斜面であり車ははいれません。 また、勿論舗装などなく、雨が降れば川になり、倒木などが流れて来るし、落石もあるという、正に難所です。

 

⑭ 滋賀県との県境付近

左の写真、正面が三重県側、直進方向が旧東海道。 右の写真右奥が、旧東海道の土山方向。

三重県側は山が険しいので、畑などはかなり下がらないと見られないが、 滋賀県側は入った途端に平らになり、今は茶畑が広がる。 この極端な違いにまた驚く!。

 

 これにて、坂下宿が、またそれは東海道の三重県内が終了しました。 よって、当ブログの東海道三重県編はここで完結とします。 

 42 桑名宿   ブログ編数 7        街道の距離 3.8 km

  43 四日市宿               10             19.2 

 44 石薬師宿                 2               2.7

 45 庄野宿           2               5.5

 46 亀山宿           5               8.9

 47 関宿            3               4.7

 48 坂下宿           2               6.0

        合計            31              50.8

長期に渡りお付き合いを賜り、ありがとうございました。 この歴史探訪はこれで終わりではないと思っていますので、今後もよろしくお願い致します。

このブログに限りませんが、 主要なブログは別途 ホームページ の 「ブログ索引」 から入り、 「8.旅行の記録」 をクリックし、さらにスクロールして、「(8.6)後期野次喜多歴史散歩」の中に、上記31編のブログを見る事が出来ます。  

 

 

コメント (2)
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