木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

998 東海道 坂下宿(1)沓掛坂下

2013-09-19 08:00:00 | 名所旧跡

 ”後期野次喜多”による、東海道五十三次の街道筋旧跡探訪の旅は、そのクライマックスの鈴鹿峠の一歩手前までやってきました。 取材日 2013.08.26(月)

 

 先ずは先例にならい、安藤広重さんの絵から・・・

この絵に相当する場所が何処か考えてみましたが、 ちょっと思い当たりません。 私達が通る道は相当に削られ、埋め立てられているし、雑木が生い茂っていたりして、見つける事はできませんですた。

 坂下宿はいつごろからかは明確ではないようですが、大永4年(1524)に「坂の下の旅宿」との記録があることから、室町時代には宿として機能していたものと思われています。

現在の地に昔からあった訳ではなく、昔は今より1kmほど上流にありましたが、慶安3年(1650)の大洪水により壊滅してしまい、現在の地に移転、復興されたそうです。

江戸時代には日本橋から数えて48番目の宿場町として多くの人で賑わいました。 鈴鹿峠を控えて参勤交代の大名家などの宿泊も多く、江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒を数え東海道有数の宿にあげられています。 当時旅籠の数の記録をみると、亀山宿21軒、関宿42軒、土山宿44軒とあるから、坂下宿は険しい峠越えの重要な宿場であった事が伺えます。

「東海道名所図会」にも、「この宿の本陣の家広くして、世に名高し」 「大竹、小竹とて大きなる旅舎あり。これを俗に本陣、脇本陣などという」と図入りで紹介され、その繁栄ぶりが広くしられていた事が伺われます。

明治23年鉄道の開通によって通行者の激減により宿場としての役割を終えました。 道路の拡幅などにより、景観までも失われたのは淋しい事ですが、石造物などには、昔の面影を見る事ができます。

下の地図の赤い線は旧東海道を示します。丸付き数字は尋ねた旧跡を示し、下記の記事番号になってます。 参考値ですが国土地理院の標高計算方法により、道路面の標高をグリーンの及び H=で示していますが、凹凸の激しい地点では誤差があるやもしれません。

 

 

① 弁天一里塚跡 

 

② 超泉寺

  

③ 鈴鹿馬子唄会館

 ホールや研修室、展示コーナーのある地域文化創造施設。H7建築。 鈴鹿馬子唄と鈴鹿峠の歴史文化について常設展示されています。入館無料。

 鈴鹿馬子唄

   坂は照る照る鈴鹿は曇る、    あいの土山雨が降る  

   坂下では大竹小竹    宿がとりたや小竹屋に

   関の小萬が亀山通い    月に雪駄が二十五足

注)1.戦国時代の絵師狩野元信が山の景観に惹かれて筆を取ったものの、激変する天候に筆が追いつかず、ついに筆を投げ捨てたという伝承をもつほどに、この辺りの気候変動の激しい事を歌っている。

注)2.代表的な旅籠として、大竹屋、小竹屋があったが、大竹屋は大名、役人や金持ちの宿、庶民は”せめては小竹屋に”と、少し皮肉を込めたのかも?。

注)3.父の仇打ちを志し、亀山の道場に雪道を通い続ける、女剣士を憐れみと励ましを込めたものと私は解釈した。(「関の小萬」に付いては当ブログ東海道関宿(1)を参照されたい)

 

 ④ 鈴鹿峠自然の家 

昭和13年に坂下尋常小学校として建てられた。昭和54年に廃校となり、現在は青少年の育成のための研修施設となっている。現在は国指定有形文化財。

 

⑤ 河原谷橋

沓掛と伊勢国最後の宿、坂下宿との境界になっていたそうです。 下の端とも言うらしい。 道路は川面よりも7~8m程も盛り土されているが、当時はこんなに平ではなく、橋の位置はもっと低く、上り下りがきつかったものと思われます。

 

⑥ 大竹本陣跡、梅屋本陣跡

 

⑦ 小竹屋脇本陣跡、松屋本陣跡

 

⑧ 法安寺

大変に立派な山門ですが、元は坂下宿本陣のひとつであった松屋のものであったが、一時は学校の門などに使われましたが、昭和35年にこの寺に移築されたもののようです。

 

⑨ 地蔵堂、金蔵院の高い石垣

後方の石垣は、慶安3年(1650)に作られたものらしいが、金蔵院は鈴鹿山護国寺とも呼ばれ、仁寿年間(851~853)の開基と伝えられる古刹です。 江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられており、徳川家康や家光が休息したと伝えられているそうです。

 

⑩ 岩屋観音

万治年間(1658~61)、法安寺の実参和尚が旅人の道中安全を祈って造立したもの。亀山市指定名勝。 高さ18mの巨岩の岩窟に弥陀・観音・勢至の三体の石仏を安置する。 また、堂の左奥にある「清滝」と合わせて、「清滝観音」として知られているそうです。 葛飾北斎の「諸国滝めぐり」にも取り上げられており、霊験あらたか観音霊場として現在も信仰をあつめているそうです。

下の写真上が言わば山門に当たる部分、今は金属のフェンスになっており、外見では寺があるようには見えない。

 

 この後はいよいよ県下東海道の最後となる、また、クライマックスとも言える、鈴鹿峠になりますが、ここは車が入らない部分がありますし、また、旧道は地図にも載らない道、そして極めて勾配が険しくなるので、街道の道順通りとはゆかないのですが、そこは工夫して何とかクリアしたいと考えています。

 

コメント (2)
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