木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

984 東海道 亀山宿 (2) 本町 東町 西町

2013-08-19 08:00:00 | 名所旧跡

桑名の「七里の渡し」を起点とした、”後期野次喜多”東海道道中記は今回で第23遍目となり、亀山宿の中心部に来てます。 お城や本陣のあった所、関西本線亀山駅周辺になります。

下の地図はその辺りを示してますが、赤い線は旧東海道であり、この道を忠実に尋ねています。 丸付き数字はその尋ねた所であり、下に示す記事の番号になってます。   取材日:2013.08.05(月) 

① 「浄源寺」  

このお寺は、堂の正面が北を向いており、南側は完全に蓋がされている。 県の「みえ歴史街道」にも、「地蔵尊」として紹介されており、寺として機能しているか否かは私には解りません。 

 

 

② 「福泉寺」

創建は不詳ですが15世紀半ばに天台宗から真宗高田派に改宗した古刹です。山門は寛政7年(1795)に建てられたもので、入母屋、本瓦葺、一間一戸、楼門形式、格式が高く屋根正面には唐破風、軒の両側には鯱が設えられています。亀山市内に残る数少ない寺院楼門建築の遺構として貴重なことから平成8年に亀山市指定文化財に指定されています。

立派な山門です。 ここも保育園が併設されていました。

 

③ 「法因寺」

江戸時代末期亀山藩の群代奉行であった黒田孝富の墓があり、亀山市指定史跡に指定されている。なお、黒田孝富とは、亀山藩の藩政改革を断行し、明治元年に暗殺された人のようです。

また、裏の墓地にある推定樹齢300年の「左巻き「カヤ(榧)」の木」が亀山市指定天然記念物に指定されています。 写真下左。 なぜ「左巻き」というかですが、カヤの実の中、種になる部分は固い殻でつつまれていますが、この殻には縦に筋がありますが、普通はまっすぐなのに、ここのは左に巻いてるからこの名前が付いたようです。 なお、実は食べられるそうです。

 

④ 「本陣跡」

今は当時を忍ばせるものは何もなく、木の札があるばかりでした。

 

⑤ 「東海道」、「亀山城大手門跡」、「高札場跡」

この交差点の右ほうこうがお城で、ここら辺りに亀山城の正門となる「大手門櫓」があったとの立て札がありました。 明治初期に石垣に至るまで破却されてしまったそうです。

写真正面の道路左側に「高札場跡」の立て札があり、その辺りにあったものと思われます。

 

⑥ 「遍照寺」

創建は不詳ですが、17世紀初頭には既に存在していたとされ、所有する寺宝から亀山城下では有数の古刹として知られています。 鎌倉時代中期に作られた阿弥陀如来立像(高さ99cm)と慶長4年(1252)に作られた木造観音菩薩坐像(高さ31cm)、木造勢至菩薩立像(高さ46cm)が、三重県指定文化財になっています。 本堂の玄関は亀山城の二の丸御殿の式台を移築したもので、数少ない亀山城の遺構として貴重なものとされています。鎌倉時代中期の作と見られる。

また、本堂は亀山城二の丸御殿の玄関を移築したものと伝わる。

 

⑦ 「誓昌寺」   真宗高田派 梅照山

 

亀山の城があった場所は「台地」になっているので、城には絶好の場所といえますが、我々は少し坂を登らねばなりません。 標高差は20~25mと見られます。

 

⑧ 「亀山城多門櫓」 

天正18年(1590)、岡本宗憲が築いたもの。 三層の天守閣があったが、寛永9年(1632)に手違いで解体され、以降再建されなかった。 現存する多門櫓は県下唯一の城郭建造物として県指定文化財です。

多門櫓とは、解り易く言えば”長屋方式のやぐら(櫓)”と言えそう。 幾つもの覗き穴のあいたやぐらの事をいうようですが、亀山のはあまり穴が多いとは言えないですねー!。

下の写真植えられている木は桜です。これが咲くとこの櫓も一段と映えます。

参考写真はここに  http://mokunenblog.jugem.jp/?day=20090407

 

⑨ 「明治天皇行在所」  (あんざいしょ)

古ぼけた単なる田舎の家屋に見えますが、 明治13年(1880)、県下ご巡行の折使用された「玉座」などの一部を移築保存されたものだそうです。 県指定史跡、市指定文化財。

行在所とは、天皇が外出した時の仮の御所。 

 

⑩ 「大久保神官邸宅門」  市指定文化財

亀山城の鎮守、南崎権現社の神官邸宅の門。 亀山西小学校裏門に使用されていたが、昭和30年にここに移築されたものらしい。

 この門の奥には、「亀山演武場」が復原されており、「亀山藩御流儀心形刀流武芸形(県文化財)」が伝承されています。 心形刀流は亀山藩武芸指南役山崎雪柳軒が免許皆伝を得て、1864年亀山に演武場を開設し、柳生新陰流に関わって御流儀となりました。

 

⑪ 「亀山神社」

お城も含め、旧東海道よりは、少し北に外れた場所になります。

 

この後は、再び東海道に戻って、亀山市中心部の後編となります。

この終了地点は関西本線亀山駅辺りですから、略真ん中に位置しますが、ここまで旧東海道の通過距離は、亀山宿に入って5.1km、桑名宿七里の渡しからは36.3kmとなりました。 ですから、県境の鈴鹿峠までは残り約10kmになります。

 

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