木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

981 東海道 庄野宿 (2) 汲河原 富田

2013-08-12 08:00:00 | 名所旧跡

三重県内の旧東海道、街道筋にある旧跡を尋ねていますが、その第21編目は「庄野宿」の西部になります。

ご承知の通り東海道は桑名宿から四日市宿の中ほどまでは、伊勢湾岸を略南方に下ります。その間は海岸から遠く無いので道の高低差は川の堤防より高くなることはありませんでした。 しかし、四日市市采女(うねめ)を通る辺りから、海岸線から遠ざかり初め、方向も西方に舵を取り、鈴鹿山脈、鈴鹿峠が近づくに従い勾配がきつくなってきます。

旧東海道と略並行している国道一号線を走っていると、 勾配は平均化されているために、 殆ど気になりませんが、実際には少しずつ登り勾配になっています。 その為に、足に自信の無い”後期野次喜多衆”にとっては、歩きも自転車も使えず、もっぱら車にたよって東海道を下っています。

幸にしてこの辺りは、繁華街でも、観光地でもないために、見たい旧跡の近くに車を止められるのは、大変に有難いことと思っています。 このあとの亀山宿は街中に入りますし、関宿は観光客も多い所であり、また、坂下宿あたりは急坂になってくるなど、取材もだんだんと楽では無くなりそうな気配です。

 

いつも同じですが、下の地図”赤い線”は旧東海道を示し、丸付き数字は尋ねた旧跡を示しています。赤い線が一部細く薄くなってる部分は、昔の東海道があった場所で、今は消失している事が多いです。

  取材日:2013.07.25(木)

 

① 「道標」 

 

② 「真福寺」   浄土真宗本願寺派 

 

③ 女人堤防 

この辺りは鈴鹿川とその支流安楽川の合流点で、昔から水害が頻発していた。 江戸時代、領民は神戸幡(かんべはん)に何度も川の修築を申し出たが許されず、1829年に女性達が幡命に逆らい、死罪を覚悟で堤防を補強した。 女性達は、いったんは処刑場に送られたが、赦免の早馬が到着し救われたと言う。 

写真中央から右方向への低い堤防がそれらしい。 下左の石柱には「これより東・神戸領」とあり、下右は「女人堤防碑」。

 

④  「領界石」と「山の神」

右端下に見える石は手洗い石であるが、1813年のものだそうだ。  上の「女人堤防碑」と道を挟んで北側にあるが、江戸時代から位置は変わってないという。

 

⑤ 「 式内川俣神社」

樹齢600年と言われる、楠の大木がある。

 

⑥ 「常夜燈」、「史跡中富田一里塚跡碑」、「これより西亀山領の石柱」

上記「川俣神社」の鳥居の両側に並んで置かれてました。

 

⑦ 「浄念寺」   天台真盛宗

以前、この地には延命地蔵尊を祀った地蔵堂を持つ「平建寺」があったが、安政地震後、浄念寺が移転された。

 

⑧ 「福満寺」 

写真を撮らせて下さいと、住職らしき方に声をかけたら、 梵鐘の屋根瓦が新しく拭き替えた事などを親切に説明して戴きました。

 

⑨ 「川俣神社」

 ⑩ 元は別の場所にあった、「常夜燈」、「道標」も今は「川俣神社の境内に。

常夜燈は慶応2年(1866年)のもの。

 

 ⑪ 「地蔵堂」

 

⑫ 「道標」

江戸時代からここにいるそうです。

 

 

⑬ 「地蔵堂」

江戸時代からずっとここに鎮座されてます。

 

⑭ 「地福寺」

 

庄野宿は二編に渡って紹介したが、旧東海道のその区間距離は合わせて5.46kmになりました。  これをまとめると・・・

桑名宿  (七里の渡し~町屋橋)    3.8km   桑名市    ブログ: 7編 

四日市宿(町屋橋~浪瀬川橋)    19.2km   四日市市   〃   10編 

石薬師宿(浪瀬川橋~椎山川橋)    2.7km  鈴鹿市     〃    2編

庄野宿  (椎山川橋~伊田川駅手前) 5.5km  鈴鹿市    〃    2編 

    合計は                     31.2km               21編 となりました。 

この後は亀山宿(亀山市)に入ってゆきます。

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