木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

980 東海道 庄野宿 (1) 加佐登 庄野

2013-08-09 08:00:00 | 名所旧跡

東海道を桑名宿の「七里に渡し」を皮切りに、街道の周辺にある旧跡を訪ねている。 四日市宿、石薬師宿と来て、東海道五十三次の45番目「庄野宿」に入ってきました。  ここは、東西に長く伊勢湾から滋賀県との県境まである鈴鹿市に位置しています。 

歌川広重の「庄野宿」には”にわか雨”に急ぐ姿が描かれていますが、 ここらが雨の多い所との印象はありませんが、天候が変わり易いことはあるかも知れません。 それてにしても、当時、雨具を持たない人は、着物が濡れないように裸になって歩いたのでしょうか?。 夏なら涼しくてそれでもいいですが・・・・?。

 

庄野宿についての記述を拝借・・・・
東海道に伝馬継立制は四十数宿だつた。翌慶長七年(1602)に岡部、九年に戸塚、元和二年に袋井と石薬師、四年に箱根、九年に川崎と順次追加され、庄野に設けられて五十三次となつたのは寛永元年(1624)のことだつた。五十三次の由縁は、徳川家康が華厳経を信奉していたので、その中に出てくる53人の聖者を意識していたともいわれている。天保14年の宿村大概帳によれば、亀山に二里の距離、人口855人、家数211軒、旅籠15軒、本陣1軒の規模であった。広重のこの「庄野ノ白雨」は五十三次の中の最高傑作といわれ、国際的にも評価が高い。「白雨」とは夕立のこと。

今回の見て回った場所を示す地図ですが、赤い線は旧東海道を示し、右方向が四日市、桑名方面で、左は亀山、鈴鹿峠に至ります。 なお、丸付き数字は尋ねた旧跡の場所を示し、これから書く記事の番号になってます。   取材日:2013.07.25(木)

 

① 「浄安寺」

木造釈迦如来坐像は鈴鹿市指定文化財。

 

② 「青蓮寺」  (しょうれんじ)

ここは県の資料には記載されてないお寺ですが、 道を間違えて入ってしまったし、また、「ソテツ」の花が見事であったので見学させて戴き、更には、折角撮ったので旧跡に加えさせてもらったものです。

 上記2寺は東海道より少し離れ、北西の位置にありますので、南の方、関西本線を越えて、旧東海道に戻ることになります。

 

③ 古い造りの家並み

この辺りには懐かしい家並みが数軒あります。

 

 

④ 「善照寺」   真宗高田派

 

⑤ 庄野宿資料館

鈴鹿市が管理しているこの資料館は旧小林家の主屋の一部を創建当時の姿に復元したもの。 小林家は庄野の豪商で油屋を営んでいた。 この家は「1854年(建立)」銘の棟札を持ち、 館内には、庄野宿の本陣、脇本陣文書、宿駅関係の資料が展示されていすます。
 
 
 

入って見たかったが、閉鎖されていた。 開ける日についての記述も見当たらなかった。

 

⑥ 「妙法禅寺」   臨済宗東福寺派

 

 

⑦ 「常楽寺」   真宗仏光寺派

 

⑧ 「川俣神社」

下の写真の巨大な木は、「スダジイ」であり、県指定天然記念物です。 樹高15m、幹周り5m以上、枝は東西に19m、南北に16mの広がりを持つ大変豪快な木に見えました。

「スダジイ」とはブナ科の常緑樹。  小学生の頃、お宮さんなどの「シイ」の木の下で、実を拾って食べた事を思い出します。 大粒の大豆程度の大きさでしたが、黒い皮を剥くと、実は真っ白で、味は殆ど無かったですが、おやつ代わり、空腹を満たすひとつの方法でした。 栗でも生はあまり美味しく無いが、「シイ」も同じでした。

 

⑨ 「庄野宿本陣跡」と「高札場跡」

高札場跡は、本陣跡の左の道路の向こう側に立てられていた。 そこが高札場であったように思えました。

 

⑩ 国道一号線と県道の立体交差点により、消えてしまった「旧東海道」と今の歩道の説明書きがありました。

 

 今尋ねた辺りは、加佐登町と庄野町でありましたが、この後は汲河原町に入ってゆきますが、その記録は次回にしたいと思います。

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