木燃人の波止場

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977 東海道 石薬師宿 (1)石薬師

2013-08-03 08:00:00 | 名所旧跡

 旧東海道を下る、”後期野次喜多”は、三重県内の北の端「桑名宿」の「七里に渡し」を起点にして、 街道筋にある旧跡の数々を見る旅をしています。 「桑名宿」は3.8kmを通過し員弁川に架かる「町屋橋」で終点とし、ここから「四日市宿」になります。 「四日市宿」は、市の中心街を通過の19.2kmを経て、采女町の外れ、鈴鹿市との境を終点としました。

そして今回から、「石薬師宿」に入ります。 おなじみ歌川広重の絵を先ず載せたいと思います。  この絵は鈴鹿山脈にかかる夕暮れを書いたのではないかと推測しますが如何なものでしょう?。 また、手前の低い山は実際にはこの近辺には見当たらないがなあ?と・・・?。

 山川出版社の「三重県の歴史散歩」によると、石薬師宿は、四日市と亀山の宿間が長かったので、1616年に設けられた。 また、広重が描いた「石薬師」には、寺の裏手に「鷹飛山」が描かれているが、明治時代に切り崩されて旧東海道を埋め立てたため、現在ではこの姿を見る事は出来ないとの記述があった。・・・道理で!。

 

下の地図、赤い線が「旧東海道」であり、丸付き数字は尋ねた場所を示します。   

                                         写真撮影日 2013.07.20(土)

① 「地蔵堂」

 ② 「北町古墳」

六世紀頃の前方後円墳でもとは20m以上の物と思われる。 後円部は道路建設のため失われ、その他の部分も削り取られてしまったようだ。 現存長13m、後円部直径7m、高さ2.3mである。 後円部の石棺が開いており、花崗岩で作られている。 他の事はわからない。  (鈴鹿市の資料より)

 

③ 「法雲禅寺」 

 

④ 「大木神社」

 

⑤ 「佐々木信綱記念館」   入場無料、駐車場無料

信綱氏は明治5年に、歌人弘綱氏の長子として、この地この家に生まれた。 幼少期の恵まれた教導と、恵まれた資質と、加えて克苦勉励の努力により、明治大正昭和の歌壇学界の巨人と仰がれつつ92才の天寿を全うした。 (鈴鹿市の資料より)

ちなみに、私の高校の校歌も氏の作でありました。

記念館の内部は、当然の事ながら文書、書籍等が多数展示されていたが、撮影禁止であったので、写真はありません。

  信綱の生家

 

 ⑥ 「石薬師宿」を示す標識。

 

 「石薬師宿」はもう一遍ありますが、ここまで進めた東海道の距離は約1.8kmでした。

コメント (2)
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