木燃人の波止場

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864冬の京都寺社巡り(4) 引接寺

2013-02-09 08:00:00 | 京都の寺社

大寒の真っただ中、早朝は顔が痛みを覚える程に、最も寒い時期ながら、空は青く澄み渡り、何ともすがすがしい 日に京都市上京区の北西部を歩いている。「妙蓮寺」から「櫟谷七野神社」「建勲神社」とやや北西方面に向ったあと反転して来た所が次の訪問先である。(2013.01.31・木)

 

 「引接寺」   (いんじょうじ)  別名:千本閻魔堂(せんぼんえんまどう)

      京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34

      境内自由

寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。

安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。

1574年(天正2年)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられ、京の名所と町衆の姿を描いた 国宝《洛中洛外図屏風》(米沢市上杉博物館蔵)の左隻右上に千本ゑんま堂が描かれている。その境内では銘桜普賢象(ふげんぞう)桜や十重石塔とともに、ゑんま堂狂言「閻魔庁」を演じている様子が描かれている。

千本ゑんま堂大念佛狂言は、昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で途絶える。昭和49年(1974年)不審火によって狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には焼け残った狂言面をもとに千本ゑんま堂狂言保存会が結成され、狂言堂は仮建築ながら再建され、以前の西陣講中を中心としたメンバーや一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、以降復活した狂言二十数演目が毎年境内で公開されている。

 

「地蔵供養池」「六道能化地蔵尊」  ここで塔婆(経木)流しが行われる。

 「塔婆」というのは、お墓に立てられている細長い木の事。 起源は「ストゥーパ(お釈迦様の遺骨を納めた建物)」で、ストゥーパを表したものに「五輪塔(お寺にある石の塔)」があり、塔婆はその五輪塔をさらに簡略化したもので、年忌法要の時に塔婆を立てると追善供養になると言われている。
 《千本えんま堂》では、お盆の頃に塔婆を池に流して、霊を迎えたり(8月8日から15日まで)、送ったり(8月16日)する。それと、千本の名前の由来は「千本の塔婆を立てた」という所から来ているんだそうだ。

 

「紫式部」の供養塔と像

 

「童観音」

 

この後は、千本通りを南下して、「浄光寺」を目指すのであるが、その記録は次回に掲載したい。

                                        << 続く >>

   

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