※写真は、京都御苑の木 なんとなく映画のイメージのつもり
予告編をみたときに、あら~菊地凛子って、こんな表情するんだと、やや驚いてたら
なにかの拍子に、あれは菊地凛子ではなくて、ペ・ドゥナだと気づいた。予告編の
表情だけで、純粋培養されて育った人間がはじめて外の世界、それも特別な状況に
遭遇したという感じが伝わってきたので、はたしてペ・ドゥナはどんな役で、
どこへ行こうとしているのか気になってみてきました。
物語は19世紀から24世紀まで6つの時代が同時進行、主人公は6つ別々の
役者さんが演じていますが、その役者さんが別の時代では、準主役や脇役を、演じて
おり、まさに”マトリックス”という感じ。どんなんや?? 私は、途中まで、
これはひょっとして何処かでタイムマシンが開発されて、本当は、同じ役者さんは
同一人物では?特に、24世紀で宇宙船のようなのに乗っていたハル・ベリーは、
70年代に雑誌の記者をしていた人が、タイムワープした同一人物だろう、と思って
みていましたが、全くの的外れ。もっと普遍的なところで、さまざまな人や事象が
つながっているということを、大仕掛けでありながらとても緻密な、それこそ私が
一回みただけでは、その緻密さを、ほんの少ししか気づいていないに違いないのですが、
それでも緻密に感じる、丹精な織物のような感触をあじわうことができました。
人間の愚かさや、探究心、正義感、さまざまな愛 などなど、時代はかわれど、
どこかでみたようなデジャブー感のある場面。ある時代で書かれた日誌や、映画が
後の時代ででてきたり、ある事件が伝説になっていたり、生まれ変わりを暗示する
体の痣、似たような演出・・・・などなど。映画のなかでの網目構造は。みている
ものの意識のなかでは映画の外へも、ひろがるようにできている。例えば、
24世紀の物語では、トム・ハンクスの役からは、キャスト・アウェイ
ハル・ベリーの役からは、X-menを、おもいだしたし、
そして、ペ・ドゥナの役からは、空気人形。私が見逃して残念な作品のひとつ。
"心をもつことは、切ないことでした"がキャッチフレーズの、ラブドール役。
この映画でも、ある意味それに近い役で、これはある意味いちばんわかりやすい例。
でも、ペ・ドゥナの役名のソンミ451というのは、ベトナム戦争で村民500人が
虐殺されたというソンミ村虐殺事件を思い起こさせる。Wikiで調べてみると、
虐殺に関与し終身刑(3年後に釈放)になった兵士に対して、韓国軍ベトナム派遣
軍事最高司令官は、「(その兵士は)復讐をしようとしただけで、戦争では
通常のことであると理解し、我々は誰にも償いをする必要はない。」と述べている
そうです。まさかこの発言と、韓国人のキャスティングにはかかわりはないと
思いますが、少し気にはなります。
話はもどって、映画でのひとり複数役のほとんどは、特殊メイクで、人種や性別も
超えてでてくるので誰がどの役を演じているのか、よほどの人でないときっと
わからないでしょう。単なる遊びなのか、深い意味があるのかも、よくわかりません。
ちなみに後から知って一番驚いたのはマトリックスのエージェント・スミス役の
ヒューゴ・ウィーヴィングが、ある役を演じてたこと。大笑いでした。
でも、この6つの物語は、語り手がいてそこが7つ目と考えると、まるで
5世紀が天地創造の6日間で、お休みの1日に天地創造を語っているようにも
思えて、まだまだ拡がっていきそうでその壮大感みたいなものを味わわせて
もらいました。
以上、まとまりがないですが、一度みただけでは収集がつかない、何回みても
収拾がつく保証はない、でももう1回ぐらいはみてみたい、そんな気分です。
最後に、エンドロールで、ヒュー・グラントが6つの時代全てにでていたことが
わかったのですが、ヒュー様をみるのは久しぶりで、遡って調べてみると、
2007年の「ラブロソングができるまでは」(オススメ)
2009年の「噂のモーガン夫妻」(イマイチ)
の頃、パニック障害に悩まされていたとのこと。想像ですが、その後障害の
こともあって映画出演から遠ざかっていたけれど、この映画で本格復帰かな?
今後も、ブリジットジョーンズの続編や、コメデイ主演の予定もあるようで
また、主演作をみたいものです。
ではまた。
予告編をみたときに、あら~菊地凛子って、こんな表情するんだと、やや驚いてたら
なにかの拍子に、あれは菊地凛子ではなくて、ペ・ドゥナだと気づいた。予告編の
表情だけで、純粋培養されて育った人間がはじめて外の世界、それも特別な状況に
遭遇したという感じが伝わってきたので、はたしてペ・ドゥナはどんな役で、
どこへ行こうとしているのか気になってみてきました。
物語は19世紀から24世紀まで6つの時代が同時進行、主人公は6つ別々の
役者さんが演じていますが、その役者さんが別の時代では、準主役や脇役を、演じて
おり、まさに”マトリックス”という感じ。どんなんや?? 私は、途中まで、
これはひょっとして何処かでタイムマシンが開発されて、本当は、同じ役者さんは
同一人物では?特に、24世紀で宇宙船のようなのに乗っていたハル・ベリーは、
70年代に雑誌の記者をしていた人が、タイムワープした同一人物だろう、と思って
みていましたが、全くの的外れ。もっと普遍的なところで、さまざまな人や事象が
つながっているということを、大仕掛けでありながらとても緻密な、それこそ私が
一回みただけでは、その緻密さを、ほんの少ししか気づいていないに違いないのですが、
それでも緻密に感じる、丹精な織物のような感触をあじわうことができました。
人間の愚かさや、探究心、正義感、さまざまな愛 などなど、時代はかわれど、
どこかでみたようなデジャブー感のある場面。ある時代で書かれた日誌や、映画が
後の時代ででてきたり、ある事件が伝説になっていたり、生まれ変わりを暗示する
体の痣、似たような演出・・・・などなど。映画のなかでの網目構造は。みている
ものの意識のなかでは映画の外へも、ひろがるようにできている。例えば、
24世紀の物語では、トム・ハンクスの役からは、キャスト・アウェイ
ハル・ベリーの役からは、X-menを、おもいだしたし、
そして、ペ・ドゥナの役からは、空気人形。私が見逃して残念な作品のひとつ。
"心をもつことは、切ないことでした"がキャッチフレーズの、ラブドール役。
この映画でも、ある意味それに近い役で、これはある意味いちばんわかりやすい例。
でも、ペ・ドゥナの役名のソンミ451というのは、ベトナム戦争で村民500人が
虐殺されたというソンミ村虐殺事件を思い起こさせる。Wikiで調べてみると、
虐殺に関与し終身刑(3年後に釈放)になった兵士に対して、韓国軍ベトナム派遣
軍事最高司令官は、「(その兵士は)復讐をしようとしただけで、戦争では
通常のことであると理解し、我々は誰にも償いをする必要はない。」と述べている
そうです。まさかこの発言と、韓国人のキャスティングにはかかわりはないと
思いますが、少し気にはなります。
話はもどって、映画でのひとり複数役のほとんどは、特殊メイクで、人種や性別も
超えてでてくるので誰がどの役を演じているのか、よほどの人でないときっと
わからないでしょう。単なる遊びなのか、深い意味があるのかも、よくわかりません。
ちなみに後から知って一番驚いたのはマトリックスのエージェント・スミス役の
ヒューゴ・ウィーヴィングが、ある役を演じてたこと。大笑いでした。
でも、この6つの物語は、語り手がいてそこが7つ目と考えると、まるで
5世紀が天地創造の6日間で、お休みの1日に天地創造を語っているようにも
思えて、まだまだ拡がっていきそうでその壮大感みたいなものを味わわせて
もらいました。
以上、まとまりがないですが、一度みただけでは収集がつかない、何回みても
収拾がつく保証はない、でももう1回ぐらいはみてみたい、そんな気分です。
最後に、エンドロールで、ヒュー・グラントが6つの時代全てにでていたことが
わかったのですが、ヒュー様をみるのは久しぶりで、遡って調べてみると、
2007年の「ラブロソングができるまでは」(オススメ)
2009年の「噂のモーガン夫妻」(イマイチ)
の頃、パニック障害に悩まされていたとのこと。想像ですが、その後障害の
こともあって映画出演から遠ざかっていたけれど、この映画で本格復帰かな?
今後も、ブリジットジョーンズの続編や、コメデイ主演の予定もあるようで
また、主演作をみたいものです。
ではまた。
予告編を見て楽しみにしていたのですが、長丁場を嫌うのか近所のシネコンではやってなくて、連れあいと博多まで観に行きましたよ。
観に行った甲斐がありました。よく作りこんでありますね。大仮装大会のようでもあり、楽しめました。
原作の方はさらに複雑なようで、読もうかなと思っているところ……上下二冊ハードカバーですからね。
近所にシネコンがあるというのはいいですね。
でも、そこでなくて博多までいくというのは、かなりの映画ファンなのかなか?それとも、よっぽど予告編に魅かれたか?
確かに、良し悪しはともかく、「作りこみ」はすごいですね。原作は、ちょっと気が引けますが、私は2回目を狙っています。
この土日は京都の実家に戻っていますが、昨日一斉に桜が咲いたそうで、近所の疎水の川べりも、御所もお花見を楽しめました。