帰ってきたエイトマン8888

個人の日記です。

“泣く子” 土門拳  『筑豊のこどもたち』 より 

2011年09月30日 | 友人
この画像は、山形県酒田市にある土門拳記念館に行った時に買ってきたポストカードである。いまはOASIS社のデスクにおいてある。ちなみにその他にデスクを飾っているのは上條信山先生の「清風不断来」の書(ポストカード)とアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの「マルセル・ランデ嬢の胸像」(ポストカード)である。

この子供はたしか、写真のキャプションの記憶が定かであれば、親にうそをついてそれがばれてしまって泣いてしまった、様子だった気がする。この写真を見たとき、多くの人は「これは自分だ」と思うのではないだろうか?私ははじめてこれを見た時、まさに自分自身だと思った。世界中に響き渡るように、出せる限りの音量で自分の存在を知らしめるかの様に、大声で泣き叫ぶのだ。大人がこれだけの泣き方をするのは、慟哭(どうこく)のときぐらいであろう。子供は無邪気だ、うそがばれて悔しくて、こんな泣き方をするのだ。

でも私は違った。子供のとき、寂しくて悲しくて、家に1人でばっかりいて、泣いて泣いて泣きまくった。親が心配して、お稲荷さんに泣くのが止むようにお祈りに行ったぐらいだ。恐らく1,2歳の頃だったと思う。

今日、私は親に謝罪をしなければならないと思うある決断をした。3,4歳の頃、夢にうなされて夢遊病者のごとく、夜中、雪の中を彷徨い、警察に保護された記憶がよみがえる。いとこの裕(ひろ)ちゃんにいじめられた夢を見たのだ。警察官に家に届けられ、足は血だらけ、母は玄関で泣いていた。両親は私が寝ると、家を出て会社で仕事をしていたのだった。
しかし、母は今日の私の決断を受け入れてくれ、私は漸く「親を越えられた」(苫米地博士・談)と思った。今日、私は心の中で、この子供の気分で判断をしたのだ。

私はこの泣く子がかわいくてかわいくて仕方がない。この子供は私自身なのだ。そう思わせる土門拳は本日本では唯一無二の偉大な写真家である。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「7人の侍」、改め「7人の小人」 | トップ | たばこ 減らそう »
最新の画像もっと見る

友人」カテゴリの最新記事