若いころは健康で当たり前何でもそのような解釈で歩いてた。
何もかも・・・だから自分のちっぽけな頭脳に対して相手が理解できない事は
相手が悪いんだ・・・なんて無茶苦茶に・・・。
まさに相手にならない低知能の存在が巾を利かせてた。
私は子供の頃は吃音症と心臓弁膜症に悩まされて体操も出来なかった。
その時は完全にこころまで閉ざしていた時期だった。
そんな気持ちの自由もここの住人である事への我儘だと気づいたのは
学生時代に出会った恩師とその仲間達でした。
まず何でもない会話の中で恩師の言葉「断る事の親切」だった。
断る事なんて出来るよって何気なく発した言葉に恩師は笑いながら
「そっか大したもんだよ」と笑いながら言葉を返してくれた。
その恩師の言葉の意味も理解できずに結婚後何でもうんうんといい顔しい
つまり衝突が苦手で自分の都合で歩いてた。
本当にいい顔しいの自分を理解する事になったのは
島津の経理担当して時ある銀行とのトラブルの時
銀行のミスで取引先への引き落としを遅くしたとき電話で
本社からの連絡で即銀行へ出向いた時の事です。
何億もする医療機器の引き落としを一日でも遅くすれば
銀行はその利益が発生すると言う単純な理由だった・・・だけど
その下請けの業者さんとしたら一日でも引き落としの期限が遅れたら
倒産する。
いつになく強い口調で自分でもびっくりしたものです。
その時初めて恩師の断る事の親切勇気を理解したものでした。
本当に自分にだけしか向いてなかった我儘を知りました。
社の部長の言葉では「相手に対して腹を立てる事は相手に
負けてしまってるそれ以下の気持ちであれば腹も立たない」という
貴重な言葉なんだけど歳と共に我儘になってる自分がここにいる事も確か
断る事の計画書はどこかへ飛んで行ってしまったようです。
いい顔しいの自分がどっかりと座ったままで困ったものです。