カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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王であるキリストの主日 

2015年11月16日 | 神父様からメッセージ(B年)


 王であるキリストの祭日を迎える時になりました。キリスト信者に欠かせない選択を語ってくれる時だと思います。私たちの人生には重要なことが多いと思います、たとえばテレビ等のコマーシャルで宣伝する品物はまるで世界一大切なもののようですが、しかし自分のことを宣伝しないイエス様、自分の弱さを十字架で自慢するイエス様は私たちの、唯一絶対欠かせない王です。私たちにとって一番大切な存在です。私たちの王は苦しみの茨の冠をかぶり、侮辱の赤いマントを羽織り、良い牧者の杖を手に持っています。私たちのすべて、それはイエス様、愛を語ってくださるイエス様です。すべてのどんなことよりも大切であり、私たちの人生、私たちの思いの中心です。
次に当祭日は私たちの信仰も飾ってくださる豊かな思いをもたらす、日本の文化の勤労感謝の祝日です。皆、仕事に対して又住居や、着ること食べること等生活のすべてに対しても、神様に大きな感謝を捧げるべきだと思います。すべての人類が豊かな生活を送っているわけではありませんが、日本は国民の大きな勤労の力、また神様の恵みによって安定した生活を送れるようになりました。私たちの王であるキリストにいただいた恵みのために、今日は心をこめて感謝を捧げましょう。
「ヨハネによる福音書 18・33-37」
 イエス様はピラトの前で王であることを宣言します。その時、イエス様が霊による王であることを示しながら神様が支配される世界の証となっています。イエス様の国は勝利の国であり、普遍的です。王であるイエス様は自分の敵までも大きな慈しみで受け止める心を示しています。王であるイエス様は人類のための神様の賜物であり、赦しの賜物、命をもたらす賜物、神様に対する祈る場です。このようなイエス様に倣い、キリスト信者は自分の人生を奉仕して捧げ、イエス様の国の支配のことを覚えて生きるのです。当福音書のこの箇所では二つの流れを示しています。一方でピラトはイエス様の犯罪を論争し、他方でイエス様はご自分の国の心を語っています。イエス様がイスラエルの王であることを宣言したので律法学者たち、ファリザイ派の人が反論して訴えました。ピラトはイエス様が潔白であると思ってもイエス様のことを保護しません。しかしイエス様は自分の国について明確に愛に満ちた心で語ってくださいます。「わたしの国はこの世には属していない。この世に属していればわたしの部下が戦ったはずです。」聖アウグスチヌスが次のようにイエス様の言葉を強調しています。イエス様の国はこちらにあるのにこの世に属しておりません。同じように、キリスト信者はこの世に暮らすが国籍は別の国(天の国)にあります。イエス様は天国の証であり天国の喜びを語ってくださいます。イエス様に結ばれることによってキリスト信者は王であるイエス様に支配され、真理の中で生きるようになり、より素晴らしい天国にあるものの証になっています。                     モヨリ神父

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