カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 四旬節第2主日

2017年03月08日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 四旬節第2の日曜日です。復活祭への準備を進めながら心の大切さも深まり、信仰の主なテーマを皆さんも思い巡らししていると思います。四旬節は復活祭に洗礼を受ける者にとって、特別な準備の時になっています。その準備の進みの中で、教会では独特な言葉が使われています。まず「光」というのは神様の存在を示しています。それだけではなく、洗礼を受ける者にとって信仰の光は新しく人生を照らし、人生の色々な出来事の中に神様のみ旨を見出し、神様の働きを身近に感じるように導かれています。
 次に洗礼を受ける者が体験することは、心の自由です。自由に生きる経験は、喜びの中で生きることです。そして愛する人の為に生きる時に特別にわたし達の心は自由の中に生きることを経験します。四旬節の間に復活祭に洗礼を受ける者達はこのような経験をします。このように生きようとすれば、つまり光の中に、神様だけを愛しながら自由に、豊かに自分の人生の喜びを味わい、復活祭の時にイエス様と共に蘇えり、いつまでも神様の懐の中で生きることが出来ます。母である教会からキリスト信者に、この四旬節の間に特別な過ごし方を勧められています。それは少しでも節制することです。けれども、特別に神様が一番好む節制は、祈ること、そして神様の言葉を受け入れ深めながら、それを自分の人生の中に生かすことです。
「マタイによる福音書 17・1-9」
 四旬節の第二の日曜日の福音書のメッセージを、もう少し深めてみたいと思います。イエス様がご自分の神秘的な心を現す時、選ばれた弟子達の前でご自分の姿を変えました。そして同時にイエス様の傍にいた預言者エリアと立法を象徴するモーセの姿も一緒に現れました。ペトロ、ヨハネ、ヤコブの前でイエス様が、ご自分の姿を変えた時に弟子達が非常に喜びながら、驚き、神様を見、身近に神様との出会いの経験をしました。その時、弟子たちはイエス様が神の子であることを悟りながら、神様は美しいものであり、美しさそのものが神様であることを実感しました。このような神様の姿を見て、弟子たちは大いに喜びました。永久にあのような神様の姿だけを味わい見つめていたかったのです。ペトロは「こちらで三つのテントを張りましょう、ここに居ていただくのはわたし達にとって素晴らしいことです」と言い、当時の弟子達の気持ちを現しましたが、神様に出会うキリスト信者も同じようなことを感じています。よく考えてみれば、わたし達にとっても、日曜日に教会に行くと神様の姿がわたし達の目の前に現れて見えるのです。辛い現実も素晴らしい姿に変わります。それだけではなく、聖櫃におられるイエス様のパンやわたし達の周囲にいる共同体の者達も、一つにになって祈る時に、すばらしい神の子であるイエス様の変わられた姿を見つめることができます。だから、日曜日に皆で一緒に集まって祈るのは、本当に素晴らしいことです。ずっと永久に居たい所です。弟子達と同じようにずっとあのようにいいたいのです。けれども弟子達の前でイエス様の姿が消えたように、わたし達も同じように、日常生活に戻らなければなりません。戻る時に、平安を得た心に大きな喜びをもって、日常の役割を神様の思い通り果たすことが出来ます。
                                   モヨリ神父

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