カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」1

2011年11月24日 | メッセージ(その他)
B年 待降節第一主日               2011・11・27
今この年になって、信仰の試練を沢山乗り越えての25年の日本での経験に基づき、もう一度、日曜日の福音書の光に照らされて「カトリック教会の教え」を読むことにしました。その目的は私と一緒にそれを読む人たちの為に、また自分の人生の為にも新しい光、新しい喜び、新しい希望を得るためです。この目的以外は何もありません。今まで、A年・B年・C年の日曜日の福音書を、一緒に読んでくださった方々に「イエス様のことを愛しておられた方々に」感謝しながら、わたしの地味な言葉によって、公共要理を完全な人ではなく、沢山の欠点の中にある人達と共に読みながら、日常生活の為に小さな助けを得ることが出来れば、私はそれが一番幸いなことだと思っています。

人間、人生とは!
人間と人生と言っても、すぐにはピンとこない時はあると思います。自分自身のこと、自分の年、自分の家庭と仕事などのより具体的なこと、それらについてお考えになったらわかりやすいと思います。ではまず、自分自身のことを考えてみましょう。自分のことや自分が失敗したことに対して罪悪感を持ったり、自分のことを評価できず、衰えた気分で人生を送る場合があると思います。まず、人一人がこの世に生まれたのは、だれかが私の事を認めて、私が生きていてほしいと私のことを希望された人がいて、だから愛の中から生まれてきたと言えます。その愛は神様ご自身です。その神様の愛で生かされている私たちは尊い者なのです。神の子だからです。神様の手から生まれて来た人間は、神様に属しています。神様からいただいた命を大切にして、いつか神様に返すように召されています。私達の手に神様からの貴重な贈り物が置かれています。それは私たちの人生です。それは親を通して神様がくださったもので、神様の手のひら一杯の愛です。それを生かして生き、いつか大きな喜びの中で神様にお返しすることになります。
                                 モヨリ神父

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