カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第15主日

2017年07月11日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 心を整えることによって身も整えられます。神様から与えられた時間の神殿である日曜日は、心によって体を育む機会となっています。私たちの体も神様の懐に戻って行き一体となります。つまり「贖(あがな)われます」イエス様のご復活によって、私たちの心は神様の心の中に溶け込み、私たちの体も神様のものになります。
「マタイによる福音書 13・1-23」
 今日の福音書の箇所は神様のみ言葉の生命力が注目されています。み言葉は種のように人間の弱い心に落ちています。そのみ言葉は人間の心、人間の人生の中で豊かに働いて人間の中で成長し、祈りによって豊かな収穫として神様の方に戻っていきます。しかし、そのみ言葉は人間からいつも、子供のような心で受け入れられているとは限りません、だからみ言葉の生命力が場合によって無効になります。しかし、良い土のようにみ言葉を受け入れる心があれば豊かに実ります。その実りは信じられないほど大きく、働き手が足りないほど豊かな収穫をもたらします。 
そしてイエス様ご自身が種まく人のたとえ話を説明してくださっていますが、多分、初代教会の共同体が当時の自らの思いを付け加えて、イエス様のたとえ話の解説を私たちに伝えていると思われます。神様のみ言葉に抵抗すること、あるいは実らせない原因はいくつかあります。たとえば、み言葉自体を理解しないこと、又み言葉の意味はいつも簡単ではないので、その理解が明確ではなく、その中身も場合によって失うことがあります。そして抵抗するのは言葉のメッセージにずっと忠実に従わないことです。最後にみ言葉の成長を抑えるのは、いろんなこの世の心配事、雑念、などです。けれども、それらの小さな種の中に含まれた生命力は、いつも芽生えの準備をしています。
次に第二朗読の聖パウロの「ローマの信徒への手紙」の二つの単語に注目しましょう。まず、「期待する」という言葉です。私たちは生きている間に神様との出会い、またその栄光とその喜びを期待しています。その時、人間にとって考えられないほど素晴らしい喜びに向かっています。しかしその喜びが完全に得られるまで、この世で人生の間に待たなければなりません。しかしよく考えてみれば、私たちにとって待つ時間はとても短いものです。耐える苦しみもわずかな間のことですから、アッという間に苦労したことは過ぎ去って、期待する喜びがやって来ます。もう一つの言葉は「贖(あがな)われる」という、神様の救いの計画です。「贖う」というのは身代金を支払って、自分の失ったものを再び得ることです。ラテン語で「redemptio」といいます。つまりイエス様の死によって、人類が失った自由、その中に生きる喜びも再び得られたことになりました。さて私たちの心の中にある隠れた宝であるイエス様のみ言葉と、そこからパウロの実らせた言葉も、生きている間に大切に受け入れて大事にされるべきではないでしょうか。その中に人間の救いも絡んでいます。  
                             モヨリ神父
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