カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第Ⅴ主日

2017年02月02日 | 神父様からメッセージ(A年)


 さて、12日の日曜日のミサの中で、ルルドの聖母の出現を思い起こし、マリア様にみんなで心から深い愛情を示しながら、マリア様への祈りを捧げたいと思います。そして、ひとりひとりが小さな一輪の花を持って来て、マリア様の祝日を祝いたいと思います。また当日は、「世界病者の日」にもあたっていますから、洗礼を受けられた皆さんに病者の秘蹟を授けたいと思います。心だけではなく、体の健康も願って、力強くイエス様に従うものになりたいと思います。イエス様がおっしゃっていることは「わたしに従いたいものは自分の十字架を背負って私に従いなさい」、このような丈夫な体、元気な心で、復活祭までイエス様を身近に感じながら従うようにしましょう。
「マタイによる福音書 5・13-1」
 当福音書はイエス様の宣教や活動に巻き込まれていく弟子たちのあり様とその目標を語っています。イエス様はやさしく、理解しやすいイメージである塩と光を通して、弟子たちに自らの立場や役割も発揮させることにします。最後にイエス様は自分の話を完成するにあたり、弟子たちに向かって「あなた達はこの世のパン種」と宣言しています。つまりこの世を変える、照らす、味をつける力を持っていると述べています。塩、光、パン種と言うのは小さなものですが三つとも共通する特徴があります。それは自分より大きな現実と関わる能力をもっているということです。三つともイエス様が言いたいことを力強く例えています。わずかな塩のひとつまみで多量の料理に味をつけられます。わずかなともし火の光でも部屋中を照らします。ほんの少しのパン種が多量の粉を膨らせて、香りのある大きなパンを焼くことができます。このイメージの中に偉大なメッセージが含まれています。キリスト信者の信仰は、自分の得になったり利益を生むためではなく、むしろキリスト信者の生きた信仰はだれにでも影響を与え、喜びを与え、人を照らし、人を満足させ、欠かせない人生の彩りになります。この話をイエス様は、弟子たちだけではなく全世界の人に向けてしています。イエス様はこのような例えを通して、一つの教えを伝えたいのです。この例えによってイエス様がキリスト信者の信仰の重要さを強調しています。信仰はキリスト信者の人生をまきこんで、キリスト信者の心にしみ込んでいき、思いの基準となり、欠かせない人生の選択の基礎になっています。キリスト信者は自分の力によって、塩、光、パン種になれるのではなく、むしろイエス様の光や力でそうなるのです。弟子がイエス様に従うこと、一致することによってこの世の光になり、人生の意味深い味になっています。イエス様の光の下で歩む人だけがこの世の味になり、この世を照らすことができるのです。
                                    モヨリ神父