カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 待降節第四主日

2009年12月18日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

稲刈りの終わったあと何も作らず、そのままにした田圃を冬田といいます。そして冬の間、霜や氷雪にあいながら、地方を回復させ春の耕作に備えます。冬に進み秋分を過ぎると日一日と昼間の時間が短くなり、冬至のころが最も短くなります。冬季は全体に短日ですが、特に北風が吹き街路樹が葉を落とし枯れ木一色の景色に年末の忙しさが加わると、人はよりこの頃の「短日」を実感します。
先週の朗読によって典礼から大きな喜びを味わうように勧められています。降誕祭の身近な準備の聖なる九日間に入りました。今年も羊飼いのように、三人の博士のようにイエス様がお生まれになった所に何を持っていけばいいでしょうか、羊飼いは自分の労働の実りを、三人の博士は人間の希望を満たす贈り物をイエス様の前に置きました。私たちの場合、洗礼者ヨハネの言葉に導かれて考えてみたいと思います。たとえばイエス様の飼い葉桶の前に置けるのは、人との心の分かち合い、自分の持っていることへの満足感と感謝の心、人を慈しみの目で大切にする心などです。洗礼者ヨハネだけではなく、マリア様の姿も、おいでになる神様をどのようにして迎えるべきかの模範になっています。確かに生き生きとした福音書は参考になります。
ルカによる福音 1・39-45
待降節の第四主日は降誕祭の目前です。マリア様の母の心を紹介しています、マリア様はどのようにしてイエス様の誕生を期待されたのか、私たちにとって模範になります。
天使ガブリエルから告げ知らせられた「しるし」によって、イエス様がマリア様の心に宿るようになったことは、マリア様にとって大きな喜びの中にも隠せない心配もありました。その後、マリア様は自分のいとこエリサベットのところにいって、その出会いと対話によって神様から頂いた「しるし」、それが神様の憐み深いやり方であることを確認されました。それだけではなく、神様の「しるし」に明確に目を開かれた時に、マリア様の心の中から素晴らしい歌がわき出て、私たちにとって大きな喜びの歌となりました。弱い立場に置かれたマリア様もエリサベットも、神様の恵みを受けて身ごもりました。二人とも神様の救いの計画の道具となってメシアの誕生を迎えています。マリア様はご自分の心の中で起こった素晴らしい出来事がエリサベットの心の中でも起こったことを知り、神様の神秘的な計画を確かめることになりました。これほど弱い者でありながら、これほど神様に恵まれた彼女らの喜びは素晴らしい歌にかわったのです。エリサベットから、やがてこの世にメシアが来られる準備をされる方が生まれようとしています。昔から旧約聖書において予言されたメシアの到来が実現しようとしています。このように人類にとって神様との新しい出会いが始まります。神様の姿である肉となったイエス様は新しい神様との礼拝の場になりました。同時にマリア様は神様のお母さんになりました。このような神秘的な計画の中で、聖霊の役割はとても大切で、目逃せない働きです。聖霊はすべての出来事の原動力であり、マリア様の心の中に神秘的な命を置かれました。マリア様は聖霊の力に満たされて、その存在によって、エリサベットの身ごもった出来事を理解され、神様の望まれる人類の救いの計画に自分自身をすべて委ねられました。 

                             モヨリ神父