カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1- 13 (年間第十四主日)

2008年07月05日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星が一年に一度会うという古代中国の星合いの伝説があります。女子が手芸に巧みになることを祈る行事として伝来し、これと日本では在来の棚機女(たなはたつめ)の信仰が習合されたのです。この日に、詩や歌、願いごとを短冊にしたため七夕竹に吊るし、手習いの上達を祈るのです。現在でも広く行われています。
さて、主の日に向かっているわたし達の心は、希望と喜びで満たされています。主の日、光の日、お日様の日はわたし達に復活されたイエス様の姿を示しながら、大きな喜びをもたらしています。
今日は聖パウロの手紙に耳を傾けましょう。パウロはローマにあった共同体に手紙を書いています。パウロの時代の前、このような共同体は、イエス様のことを述べ伝えてきた無名の者達によって作られた共同体でした。時代がすすみ、ペトロやパウロの訪問によって、少しずつ大きな共同体になり、現代キリスト教会の礎となったのです。このように成長してきた共同体にあてた手紙の中で、パウロは貴重な話を取り上げています。これから、パウロの書簡を理解する為に、少しずつパウロの専門的な用語に親しみをもつようにしましょう。それは「霊と肉」、又「命と死」。ではまず、使徒パウロのローマの教会への手紙の8章11節から13節までに3回も出てくる霊という単語に注目しましょう。パウロにとって神様の霊は命と力であることを示し、わたし達の内にも宿っています。それはわたし達の心を、肉のくびきである死から自由にしてくれる命です。わたし達が自身の内に神様の霊が宿られたと実感するその時、わたし達の人生は注意深い生き方になるのではないでしょうか。洗礼の時に神の霊を受け入れたわたし達は自由に生きるものになって、神様の大きな愛に包まれています。わたし達は法を超えて人に出会い、心のつながりを築くことによって神様の命と愛を示すことができます。又、パウロは神の霊に対立している言葉である「肉」という単語を使っています。わたし達の耳には不思議に聞こえる言葉ですが、実はギリシャ文化の強い影響がパウロの考え方に与えたものです。肉とは人間の心を奴隷のようにしばる欲望を示しています。又、物理的な考え方、あるいは法の鎖も示しています。つまり、人間の自由ではない心を表現しています。さて、神の霊を受け入れるとわたし達にとって命になり、イエス様と一緒に同じ命で生きることになっています。まったく同じ言葉は、今度列福される187人の殉教者が死刑の直前、殉教の栄光に感動しながら口にした言葉でした。「体が死んでも、イエス様と一緒に生きる」 そして、パウロが使っているもう一つの言葉「肉」とは、死に導く心の態度を示しています。つまり自己中心的な考え方に基づいて考えること、あるいは欲望をもつことです。そのような道は死と孤独の生きかたに導かれているので、人間にとって神様とその喜びから離れて生きることです。最後に、パウロはわたし達に一つの義務しか勧めておりません、それは神様の霊によって永久に生きるのです。
                         モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。