野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

熊本 「経験したことのないような大雨」

2012-07-14 06:31:51 | 故郷
      「白川の氾濫、熊本市北区龍田付近」

7月12日、「水の都 熊本」が濁流にのまれた。
「経験したことがないような大雨」と言う、統計的には全国で年3回程度起きると想定される表現が、今回初めて適用された。切迫した危険を伝えるのが目的とされたようで、始めて聞く表現だが、まさにその通りの大濁流。

熊本の白川は度々水害に見舞われた事実は知っているが、今回のは昭和28年6月に発生した白川の大水害に匹敵するものだろう。この時の大水害は伝承されているので、聞いた事はある。テレビでは、白川の氾濫はこれで4回目だと言う。

阿蘇に降った雨水は、熊本市内を流れる白川を通って有明海に流れ込む。
しかも、白川は熊本市内に入る竜田口附近から熊本大学近辺までの間、大きく数度に渡って蛇のように蛇行しているので、大学近くの子飼橋附近では度々水害が発生していた。今回も、この蛇行した白川が氾濫し、近くの住宅街に多量の土砂を引き連れて流れ込んだようだ。

白川水系流域占める阿蘇地域は、阿蘇山の熔岩を主体とする岩盤の上に火山灰を多く含む土壌が堆積している。
全日本モトクロス選手権が毎年開催されているホンダ熊本工場内のHSR九州は、火山灰土壌のために雨が降るとどうしようもない程にぬかるんだ。全日本に参戦すると分かるが、雨が降ったHSR九州では長靴が土砂に獲られ、抜けなくなってしまう程に深くて粘っこい。この土砂が市街地に流れ込んだら、後の処置が如何に大変かは十分理解できる。

「島原の雲仙から流れる雲が有明海上を通過し阿蘇山にぶつかり上昇し雨雲を発達させ、阿蘇に大雨を降らせた」とは、テレビの解説だった。ちょうど、長崎と島原に掛けての雨雲が熊本~阿蘇にズーット伸びている。しかも相当に強い雨量のようだ。生家のある島原は大雨なるも被害報告はない。女房の里、人吉盆地は一部地区に避難勧告が出され峠は越えたものの、氾濫注意水位を超えて田畑もずいぶん浸かっている様子だそうだ。このまま治まってくれたら良いが。
         

熊本市は、古くから「水の都」とも呼ばれ、水環境に恵まれた都市で、好きな街だ。
政令都市に認定された都市の中で、上水道に使う水の全てを地下水でまかなっているのは全国でも珍しく、湧き水も多い。豊富な水のお陰もあって、熊本市内には緑に囲まれた素晴らしい風景が何処にも見られ、目を洗うほどに奇麗な街なので気にいっている。昔から学生に寛容で多少の事は大目に見てくれる土地柄で、また軍都でもある。

阿蘇を源流とする白川が街の中心を流れる熊本市、市内を蛇行しながら流れる白川には多くの橋が掛かる。
加藤清正公の時代から、白川と熊本城を囲む坪井川は治水工事が続けられてきた。国道3号線が通る橋である「長六橋」は建造当時木造で、西南戦争のときは薩摩軍がこの橋を渡り侵攻してきた歴史的な橋。熊本を代表する橋で、今はコンクリート桁橋となっているが、何度も通った。最近、政令都市になったので、中央区とか北区とかに呼ばれてもピンとこないが、黒髪町とか竜田口と言った方がすぐに場所を特定し易い。旧制五高のあった、熊本大学法学部の裏に昔下宿していて、法学部と工学部の間に阿蘇までに続く57号線が走っている。工学部の裏手すぐに白川が蛇行しながら流れていて、今は白川黒髪緑地となっている場所には草ぼうぼうの空き地があったが堤防の記憶が無い昭和28年の大水害時は、白川の濁流が工学部内を水浸しして、国道57号線まで来たそうだ。

普段の白川は清流で、竜田口付近で良く釣りをした。紅サシでハヤが良く釣れた。
川の中には大きな石がごろごろしていた事を記憶しているが、多分昔の洪水の名残だと思う。しかし、川辺は一面緑で爽やかな気分で過ごせる良い環境である。気晴らしに自転車でこの近辺まで良く訪ねたし、一時期在部していた馬術部の厩舎も近くにあった。

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