野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

雑誌「RACERS」への寄稿・・・その1

2017-07-27 06:14:02 | モータースポーツ
 「RACERS Vol.46」
6月中旬、知り合いの雑誌編集者から連絡があり、西明石に来ているので雑談でも言うので面談する機会があった。
雑誌「RACERS」誌が’93鈴鹿8耐の優勝マシン「伊藤ハムカワサキ」の特集記事取材で明石工場に来たついでに昔の雑談話をしたいと言う事だった。’93年マシンと言えば24年の前の事、その当時を知っている現役など工場にいるのかなと懸念したら、定年再雇用者が在籍中とのことで、彼らから少し話を聞けたと言う事だった。20数年前の昔の事象のことなど、当時の関係者から聞かないと分かりようもないはずと思ったら、会社は退職した関係者との面談は取り扱わないらしく(聞き間違い?)、直接連絡を受けたので昔のレース仲間の縁で本音トークの昔話雑談をしてきた。

遠い昔のレースに関する各企業の取組みや最近の動き、それを取材する立場、レース現場や企業活動の実務や人間関係等々、互いに納得したり賛同を得た事多々あり。当時の他社のレースへの取組等などを改めて聞くと、勝つためだけにビックリするほどの相当な資金を投入し、それは担当者に強いる激務の深さに直結し、表面だけに現れる華やかで綺麗なレース活動では想像すらできない、まさに激務と言う言葉がぴったり。で、面談しながら、後で追加したメモを送付すると、雑談を寄稿の形で「RACERS」に掲載したいがどうかを問合せあり。そこで、内容をかなりソフトな文脈に添削してもらって文章を仕上げた。

『レースは他社チーム精鋭と勝敗を決する、いわば勝ち負けが明確に分かる競技である。
一般の量産車なら、直近に販売された競合車をベンチマークに設定し、その車よりも優れたマシンを開発し、身内で評価してOKなら量産可能になるが、レースではマシンを開発したらそれで終了ではなく、競争相手との戦いに勝つか、それに近い戦績を挙げなければならない。車を開発したらハイ終わりではないので、担当者にとってはつらい評価が常に付き纏う。レースマシンは、これで良しと判断しても、競合相手がさらに資源を投入してくれば、あるいはさらに技量の優れたライダーを確保してきたならば、勝てないことになる。いつも「勝ち負け」という彼我の比較にさらされ、かつその結果は誰でも知ることができる。

負けが続くと
組織の一体化も揺らいでくる

 だからこそ、負けが続くと設計、実験、チーム、ライダー、メカニック等、組織の関係者から色んな意見が出てくる。みんな勝ちたいと思っているからこそ出てくる意見、いうなれば勝てない不満が出てきて、それが組織の一番弱いところに集まってくる。そして次第に組織としての纏まりが無くなってくるのである。

こんなことがあった。全日本モトクロスで、スタートの第一コーナーまでにカワサキのマシンは伸びが悪くて勝てないとライダーは言う。ライダーやメカは声を大にして訴えるので、担当のエンジン設計者や実験担当者は必死になってテストを繰り返す。 ところがある時期、鈴木都良夫選手が欧州の世界選手権から国内復帰する際、カワサキと契約した。すると、鈴木選手は難なくホールショットをとるのである。彼に言わせれば、第一コーナー直前に早くからブレーキを踏んでいたら勝てないという。それ以来、ライダーの不満の声は無くなった。今となってはサスの挙動もスタートに大きく影響していることは誰でも知っているが、トラクションはエンジンだけが影響するものではないのだ。 また、こんなこともあった。米国のスーパークロスで勝てない時期、米国サイドからはマシンをなんとかせいとの声を連絡担当者が盛んに伝えてきた。で、毎年末の日本で実施していた日米合同テストにチームが来日した際、ライダーの指導的立場にいたK・ハワートンから直接意見を聞くと、そんなことは言っていない、マシンはスーパークロスに十分競争力があるという。今年の問題はコレとコレと絞って指摘してくれた。これで課題が絞れた。勝とうとする意識は皆共通にあるが、動きがバラバラでうまく機能していないと、悪いことのみが大きな声で独り歩きするものである。 また、モトクロス500の世界選手権では、B・ラッキーの代替ライダーとして、全米№1と評された某ワークスライダーのB・Hとの来期契約を目指し、KX500ワークスマシンをロス郊外のランカスターでマル秘テストして立ち会ったことある。彼が所有していたワークスマシンとワークスKX500を試乗比較したのだが、KX500が約4秒も速く、彼もカワサキに非常に興味を持ってくれた。 いろんな理由でB・Hのカワサキ移籍は叶わなかったが、後日、ロードレースでも全く同じ事象があり、隣の芝生は青く見えるんだなと改めて感じた。

このようにレースをしている、あるいはレースをしていたライダーからも広く意見を聞かないと、課題を見失うことがあり、そこから組織の一体化が弱くなることだってあるのだ。 ちょうど'90年代の阪神タイガーズと同じで、勝てないと選手からは監督批判等が上がり、そこからチームのゴタゴタ騒動が始まり、阪神地域新聞の格好の材料となった。加えてファンからも声が上がる、いわゆる阪神タイガーズの暗黒時代があった。レースも負けが続くと、阪神までとは言わずとも、同じような現象が起こってくる。

勝つことが最良の特効薬
組織マネジメントの重要性

 解決の方法は、勝つことだ。勝つために組織を一体化してベクトルを合わせることだと思う。課題を明確にして、なにがなんでも勝てるチームに育て上げる。そして、勝てないレースには参戦しないことだ。 チャレンジしないと勝てないと言う人もいるだろうが、幕下が横綱に勝ないように、身の丈を超えたらまず勝てない。だから、チャレンジと言っても無謀な冒険はしないことだ。チャレンジとリスクとは違う。当時のロードレースメンバーを集めての朝礼や伝達メモには、「阪神にはなるな、イチローのいるオリックスの様にさわやかになれ」と教示したものだ。明石工場には阪神ファンのメンバーも多かっただろうから、さぞかし煩い部長だと思われていただろう。
 
'93年より新たにロードレースを担当することになったが、当時のチームの印象は、勝てないことに起因する組織の一体感の無さだった。ライダーはマシンが遅いと言い、技術者が不足している、設備が十分ではないと、関係者が夫々一方的に発言する。その雰囲気は、勝てなかった時代のMXと同現象だなと感じていたが、ロードレースのそれはMXの比でなく、不満の声はあちこちから大きく聞こえてきた。 ある時、レース経験者が不足しているとの声があったので、工面してMXチームから経験者を移籍させたが、ロードレースチームの現場になかなか馴染めず、即「モトクロスに帰らしてくれ」と懇願されるなど、ロードレースは一筋縄ではいかないと思った。この状況を打開するには勝つしかないし、そのために順次血を入れ替えていくしかないと思った。その一環として、当時は技術部のマシン開発部隊と、全日本ロードレースを直接運営するKRT=カワサキレーシングチームとは別々の組織だったので(KRTはKMJ=カワサキモーターサイクルジャパンに所属)、期間を置かずKRTを技術部に復帰させた。 

レースを勝ちに行くには、まずはその基本である日本の開発部隊が屋台骨であり、ここからの素早い判断と発信力が求められる。マシン開発部隊とレース運営部隊は常に机を向かい合わせ、危機感と課題を共有していることが重要で、モトクロスではそうしてきた。部隊が夫々異なる部門に所属していると、常にコミュニケーションをとっているとは言いながらも、所詮それぞれに部門長がいれば考え方も違うし、自然と見えない壁も出来てくるものだ。元々カワサキはワークスチームができた'72年からこの方式(設計、実験、レース運営は同じ組織に所属し、同じ所属長が決裁する)を採用していた。聞けば、HRCもヤマハも同じ組織形態をとっているらしい。今年のヤマハMS発表会を聞くと、ヤマハは二輪の技術開発のためにレース活動は必須条件だとし、グローバルのレース運営・開発の元締めは技術本部が担当し、加えて開発担当のみならずグローバルにレース計画を立案展開するモータースポーツ部も技術本部が担当していると発表した。私の考えでは、これが正解ではなかろうかと思っている。

・・続


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