野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

林崎疎水 - 掘割祭(H25年度)

2013-04-19 06:26:21 | 野々池周辺
   「林崎掘割渠記碑:明石堀割祭-4月18日」
3日程前から周辺の草刈、清掃が始まることで毎年気付くのだが、今年も4月18日午前10時半から明石の「掘割祭」が開催された。
4月の半ば、気温も暖かくちょうど良い季節に「掘割祭」が開催される。時期も良く、今年は林崎掘割渠記碑にある八重桜と山桜が満開!
昨年のブログを確認したら、18日にはまだ咲いておらず蕾のままで、22日ごろ咲いたと書いているので、今年は昨年より暖かいのだろう。
八重桜の赤色に、山桜の白色のバランスが良く似合い、加えて今年は7本ある、花ミズキも満開となった。

祭では、約350人程が参列したと進行役から説明があり、明石掘割土地改良区が祭主を務め、林神社の宮司が祭事を執り行う。
通り一遍の、理事長、市長代理や市議会議長、遺族代表、小学校校長等が玉串奉奠をささげ、今年担当の明石藤江小児童代表が児童祭文を読んだ。
児童祭文を聞いて「掘割祭」開催主旨が良く理解できたし、 児童による「掘割の歌」斉唱にも、掘割工事に関する難工事の様子が読みこまれている。
だが、昨年まであった、明石ケーブルテレビによる撮影や、関係者へのインタビュアーは今年はなかった。
350年前の大事業を讃える「堀割祭」で、しかも児童諸君までにも本事業を継続し伝承しているのだから、メディアも継続して報道して欲しかった。
                

「堀割祭」では、神官や関係者に続いて、小学生児童代表が児童祭文を読む。
350年以上も前の先達たちが苦労して成し遂げた歴史の正しい伝承のためには必要なことだと思う。
             

でも、小学生達は350年以上も変わることもなく明石川からの水を流し続ける林崎疏水に流れ来る落ち葉や花に興味あり。
昨年は、気温も暑く、長い掘割祭に少しグロッキー気味の生徒もいたが、今年は司会進行も簡潔で挨拶は短かかったおかげで、皆元気に小学校に帰校。
お供え物には、もちろん明石鯛。
             

                   

毎年、児童達が斉唱する「堀割の歌」の原文をもらった。
全部ひらがな書きなので、読むのに苦労するが、意味する内容は下記の通り。
「林崎地方の6村(和坂・鳥羽・林・東松江・西松江・藤江)は水不足で困っていた。
 当時の代官や庄屋達は、明石川から堀割を引き野々池に水を蓄える、掘割工事の許可を明石藩主の松平忠国に願い出たが、
 明石藩は大工事であったため、始めは許可しなかった。そこで、失敗したら請願者一同厳罰、内首に科せられてもかまわないとの覚悟を説明し、
 掘割工事を許可を得た。工事を藩費で賄った姫路藩と違い、農民自らの手で、農閑期を利用して行われた」

石碑に刻まれた碑文内容は苔が生え解読できないが、説明板には下記が記載してある。
明石市指定文化財
「林崎掘割渠記碑」
 一、明暦三年(1657)、旱魃で苦しんでいた林崎地方の村(和坂・鳥羽・林・東松
   江・西松江・藤江)が 相談し明石川の上流から野々池まで掘割をつくり、灌漑
   用の水を確保した。
 一、天文四年(1739)十二月、この掘割工事の経緯を長く後世に伝えるため、
   撰文を明石藩の儒学者梁田蛻巌に書を田原荷龍に依頼し碑を建立した。
 一、毎年四月十八日、この碑の前で、「掘割祭」が行われ、地元の水利関係者、
   小学生児童が参加し、先人たちの偉業をたたえている。

                「堀割の八重桜と山桜」

林崎掘割渠記碑」 
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