内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

商売の定義2

2017-10-03 23:30:23 | ビジネス境界線
では

商いのモデル

最小単位かつ

最大単位は何なのか



感情を数値化した

その1次変換を

損益としてとらえる
境界線モデルであること


こう考えています




例えば
人が人を売り物にするモデルは


人の感情が

2回以上にわたり

変換されて

主体の損益となります



だから


これは駄目なのです


トラブルが起きるのです



人間社会なんですから





1感情に対し



1境界線を儲ける



これこそが本当の
透明性だと思います

日本というアイデンティティー

2017-10-03 22:51:10 | ビジネス境界線
3.11があって

私は日本人ではなくなりました




国とか

政府とか

日本人はまじめで勤労とか

カメラ好きとか

金メダルの数とか

ノーベル賞の数とか

日本映画の立ち位置とか

日韓戦の内容や結果とか

あの大企業が外資にとか


そういった類いのものに



本当に

体が反応しなくなってしまいました




境界線が壊れてしまったのです




どうしてかは
まだよく理解できていませんが




「そこに線を引いていたのは
私ではない誰かだった」


という事実を
体で感じてしまったから
かもしれません





私が自ら日本という線引きをひくのは

「日本食」の素晴らしさ
「日本家屋」の素晴らしさ

私の体で感じた
この2つしかありません。






誰のために頑張るのか?

そんな理由がなければ
頑張らないのでしょうか?


誰のために頑張ることになっても

自分のために頑張っていて

自分の利益と合致していれば

何の問題も

何も悩まず

「決定」することが出来るのでは
ないでしょうか



他人を認めること

2017-10-03 22:29:16 | ビジネス境界線
自分を認めると

他人を認められます


他人を認められるということは

どういう状態なのか?


自分と他人の区別がつく

境界線がはっきりするということ



他人は他人で

家族でも

友達でも

結婚相手でも

自分と他人の境界線が
はっきりすること



これこそが他人を認めること
ではないかと思います




一般的にいって


他人を思いやること

「相手を自分だと思って」

気持ちを推し測り

「かわいそう」

とか

「嬉しいに違いない」

とか

相手を気遣うことが



とされると思います




ただ、
現実は真逆だという罠



どれだけ
自分と違う生き物であるか

を体でわかってあげられること



ここにも大きな社会の歪みが
あると感じます





どれだけ
自分を認めて自分勝手になれるか



これは
どれだけ他人を
受け入れられる器の大きさを
広げられるか



両者の境界線の濃淡によって
比例しています