こんにちわ、国立市議会議員の望月けんいちです。
今朝もいつもと同じように谷保第三公園の掃除及び体操からスタート。日が少しずつ短くなっているのか、谷保第三公園では6時くらいにちょうど日の出を迎えていました。これまではTシャツ一枚で掃除していましたが、さすがに今日は上着を羽織りました。
さて、土日のご報告。
土曜日は一日、国立市認知症の日のお手伝いで終わりました。
国立学園の子ども達の合唱や、認知症の方々を含む高齢者の合唱には心打たれるものがありました。
自分も認知症アクションミーティングの第一グループの発表で、認知症に関する紙芝居的なものをスクリーンに映し出したのですが、そこで、”けんじくん”役として声優をさせてもらいました。
42歳になって小学生の声をやるのは無理があると思いつつ、しかも芸小ホールの大ホールでお客さんに見られながら声優をするというのは緊張もしましたがなんとかやりとげました。
認知症は誰しもがなりうる病気です。これからも認知症の理解を深める活動を積極的に行っていきたいと考えています。
日曜はあいにくの雨。
8時から富士見台団地の防災訓練参加。
そして、9時半からくにたち市民総合体育館で行われた『ふれあいスポーツのつどい』にも参加。
同じ時間に二つのイベントが重なっており、自分の身体が二つ欲しいと思ったのは今日が初めてではありません。
幸いにして、この日、防災訓練が行われた富士見台第二団地の集会場と『ふれあいスポーツのつどい』のくにたち市民総合体育館の場所が近かったのは助かりました。
ふれあいスポーツのつどいではたくさんのしょうがいをお持ちになる方も参加されました。
国立市では、『しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言』をした自治体です。
その宣言文の一部を引用させていただきます。
『しょうがいのある人(ひと)もない人(ひと)も、自分(じぶん)の選(えら)んだ地(ち)域(いき)で、自分(じぶん)らしい生(い)き方(かた)を実現(じつげん)できるよう、お互(たが)いに理解(りかい)し、共感(きょうかん)しあい、支(ささ)えあい、関(かか)わってきた歴史(れきし)であり、私(わたし)たち市民(しみん)の貴重(きちょう)な財産(ざいさん)です。
私(わたし)たち国立(くにたち)市民(しみん)は、これからも学(まな)ぶ、遊(あそ)ぶ、働(はたら)く、住(す)まう、憩(いこ)うなど、暮(く)らしのあらゆる面(めん)にわたって、共(とも)に出会(であ)い、育(はぐく)み合(あ)える差別(さべつ)のないまちでありつづけるために、ここに「しょうがいしゃがあたりまえに暮(く)らすまち」を宣言(せんげん)します。』
先の決算委員会で、ある議員の質問に対し、佐藤市長が語調を強めつつ上記の宣言文の趣旨に沿った答弁をされていました。
あたりまえのことだと思います。しょうがいしゃの問題に詳しい上村議員などもあの答弁は良かったと述べていました。
しょうがいがあっても、しょうがいがなくても自分の選んだ地域で自分らしい生き方を選択できること。
その前提条件があったうえで、ともに生き差別のない社会をつくるため、話しあい理解を深めていく必要があるのではないでしょうか。
今朝もいつもと同じように谷保第三公園の掃除及び体操からスタート。日が少しずつ短くなっているのか、谷保第三公園では6時くらいにちょうど日の出を迎えていました。これまではTシャツ一枚で掃除していましたが、さすがに今日は上着を羽織りました。
さて、土日のご報告。
土曜日は一日、国立市認知症の日のお手伝いで終わりました。
国立学園の子ども達の合唱や、認知症の方々を含む高齢者の合唱には心打たれるものがありました。
自分も認知症アクションミーティングの第一グループの発表で、認知症に関する紙芝居的なものをスクリーンに映し出したのですが、そこで、”けんじくん”役として声優をさせてもらいました。
42歳になって小学生の声をやるのは無理があると思いつつ、しかも芸小ホールの大ホールでお客さんに見られながら声優をするというのは緊張もしましたがなんとかやりとげました。
認知症は誰しもがなりうる病気です。これからも認知症の理解を深める活動を積極的に行っていきたいと考えています。
日曜はあいにくの雨。
8時から富士見台団地の防災訓練参加。
そして、9時半からくにたち市民総合体育館で行われた『ふれあいスポーツのつどい』にも参加。
同じ時間に二つのイベントが重なっており、自分の身体が二つ欲しいと思ったのは今日が初めてではありません。
幸いにして、この日、防災訓練が行われた富士見台第二団地の集会場と『ふれあいスポーツのつどい』のくにたち市民総合体育館の場所が近かったのは助かりました。
ふれあいスポーツのつどいではたくさんのしょうがいをお持ちになる方も参加されました。
国立市では、『しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言』をした自治体です。
その宣言文の一部を引用させていただきます。
『しょうがいのある人(ひと)もない人(ひと)も、自分(じぶん)の選(えら)んだ地(ち)域(いき)で、自分(じぶん)らしい生(い)き方(かた)を実現(じつげん)できるよう、お互(たが)いに理解(りかい)し、共感(きょうかん)しあい、支(ささ)えあい、関(かか)わってきた歴史(れきし)であり、私(わたし)たち市民(しみん)の貴重(きちょう)な財産(ざいさん)です。
私(わたし)たち国立(くにたち)市民(しみん)は、これからも学(まな)ぶ、遊(あそ)ぶ、働(はたら)く、住(す)まう、憩(いこ)うなど、暮(く)らしのあらゆる面(めん)にわたって、共(とも)に出会(であ)い、育(はぐく)み合(あ)える差別(さべつ)のないまちでありつづけるために、ここに「しょうがいしゃがあたりまえに暮(く)らすまち」を宣言(せんげん)します。』
先の決算委員会で、ある議員の質問に対し、佐藤市長が語調を強めつつ上記の宣言文の趣旨に沿った答弁をされていました。
あたりまえのことだと思います。しょうがいしゃの問題に詳しい上村議員などもあの答弁は良かったと述べていました。
しょうがいがあっても、しょうがいがなくても自分の選んだ地域で自分らしい生き方を選択できること。
その前提条件があったうえで、ともに生き差別のない社会をつくるため、話しあい理解を深めていく必要があるのではないでしょうか。