このカテゴリーは”【妄想】ひこにゃん”を作られた
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武士たちの謳(もののふたちのうた)
第二章 ~邂逅・石田一族~
????年??月??日
彦根山 彦根寺
「結論から言いましゅね、タイガーしゃん、
今ひこにゃん達がいるのは彦根に間違いはないんでしゅが、ここは21世紀の彦根ではありましぇん。
おしょらくは16世紀末、400年以上前の彦根でしゅ。」
「えぇーーーっ!?そそそそんな事って・・・・え~~っ??」
「詳しく説明しゅると・・・
ここが彦根城の築城される彦根山に間違いないのは、おしょさんへの確認で明らかでしゅ。
彦根寺は築城が決まるとカインズがある方へ移って北野寺と名称を改めましゅ。
彦根城の築城工事が始まるのが1604年からでしゅから、ここがそり以前なのは確実でしゅ。
この時代に着いた早々に見た湖は、おしょらく松原内湖、彦根城の北側に
広がっていた琵琶湖の一部でしゅ。
そこに架かっていた橋は、さこにゃんが指示して架けたという言い伝えの残る百間橋。
実際は名前の3倍の長さがあったと聞いてましたけど、見て納得でしゅ。
そして決定的だったのが佐和山城でしゅ!
佐和山には規模は違えど鎌倉時代から砦のような城があったといいましゅが、
あんなに見事な石垣が詰まれ、壮麗な五層の天守が建っていたのは
みつにゃんが領主になってこの地を治めてからの事でしゅ。
みつにゃんが領主になった時期は諸説あって判然としましぇんが、有力なのは1595年の説でしゅ。
そして佐和山城は1600年の関が原の戦いの直後、落城してしまいましゅ・・・・
もしその通りなら、今は桃山時代末期の1595年から1600年の間という事になりましゅ。
とまぁ、こりがひこにゃんの見立てなんでしゅけどね。」
「す、すごい!お家元、タイガーは感動してます!
散らばっていた景色からそこまでの情報を得ていたなんて!!
素晴らしい推理です!」
「・・・でもねタイガーしゃん、今のはじぇんぶ教科書から得た知識であって
過去にホントにそうだったのかなんて、わかったもんじゃないんでしゅよ。
教科書に載っているのは、発見された資料から推測された列記なんでしゅから・・・
ひこにゃん達のように過ぎ去った歴史を後ろから見るのと、当時の人が前向きに見ている現実は
違うものなんでしゅ!
こりは覚えておいた方がいいでしゅよ。」
「は、はい!」
この時はお家元が何を言っているのか、正直タイガーしゃんは理解出来ずにいました。
だけど、この言葉がどれほどの重みを持つのか、この旅が終わる頃に身を持って知る事となります・・・
「もうひとつ確実な確認をしてみようと思ってましゅ、幸運にもひこにゃん達は恵まれた場所に
落ち着いてましゅからね。」
「朝から熱心に話し込んでおるのう、お二方。
お腹の空きは如何かな?
たいしたものを期待されても困るが、何か馳走しようか」
境内に二人の姿を認めた住職が声を掛けてきました。
「(お家元、夕べはかなり警戒されていたのに、今朝は随分朗らかな感じが・・・)」
「(同感でしゅ・・・こりは早めに失礼した方がいいかもしれましぇんね)」
「おしょさん、ご厚意感謝しましゅ。
でもこり以上お世話になっても、ひこにゃん達はお礼も出来ましぇん。
この上は迷惑にならないようにお暇しようかと・・・」
「え、遠慮は無用じゃ!ささ母屋へ案内(あない)いたすゆえ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・(不審)」
「・・・・おしょさん、ひとつ聞いてもいいでしゅか?」
「せせ拙僧に分かる事なら何なりと答えて進ぜよう!なんじゃ?」
「おしょさんなら今日の暦(こよみ)をご存知でしゅかね?」
この時代は全ての人がカレンダーに通じていたほど恵まれた時代ではありませんでした。
ですが寺院の僧侶ならば確実に把握していたはずです。
「なんじゃ、そんな事か。今日は9月14日じゃな」
「元号と年も教えて下しゃい」
「慶長5年じゃよ」
「・・・・・・・・・・・・・(絶句!!)」
ガチャガチャガチャッ・・・
「何の音でしょう・・・近付いて来ます!」
「こりは鎧が擦すれ合う音でしゅ!彦根城の祭典やイベントでよく耳にした音でしゅ、
・・・どうやらすでに通報されてたみたいでしゅね・・・」
「えっ!?」
お家元の予感は的中していました。
足軽のような軽装の武者数人と組頭のような年配の武士、その後ろには青年の顔立ちながら
立派な鎧を身に着けた身分高げな若武者の一団が山門をくぐって境内に入って来ました。
「住持殿、知らせを受けて参った!人にあらざる怪しい輩とはこの者らじゃな?」
組頭が住職に確認をしました。
「(あの胴丸の九曜は・・・!!、タイガーしゃん!ひこにゃんに倣って頭を下げていて下さしゃい!)」
タイガーしゃんに耳打ちした瞬間、お家元が踏み出し講堂で見る時のような礼三息で座礼をしました。
「佐和山城主にて元豊臣家奉行・石田三成しゃま御配下の皆しゃまに申し上げましゅ!
手前共は決して怪しい者ではありましぇん!
手向かいいたすつもりは毛頭ごじゃいましぇんので、いずこへお連れになろうとも従う所存でしゅ!
どうじょ、よしなに!」
「!!」
お家元が一団の正体を看破しました。
それもそのはず、すでにこの地が石田三成公ご治世の佐和山城下に気付いていたお家元ですから、
足軽が身に着けていた胴丸に描かれた石田家の紋のひとつ”九曜”を見て
確信を持ったのは道理でした。
お家元の逆らう意志が一切ないという見事な口上に、ひと捕り物を覚悟して来た彼らは
完全に出鼻を挫かれ
この一言で争う気概を失いかけていました。
その時、一番後ろにいた若武者が進み出ようとします。
「若っ!」
組頭が制しようと呼び止めます。
「(若でしゅって!?・・・あいあい)」
お家元のずば抜けた読みはここでも発揮されました。
「石田木工頭正澄しゃまがご子息、石田右近朝成しゃまとお見受けしましゅ!
わざわざの御成り、痛み入りましゅ。
そりがし彦根の招きぬこでひこにゃんと申しましゅ、後ろに控えているのはタイガーしゃんでしゅ!
先ほどの口上に嘘偽りはございましぇん!どうか存分にご吟味下しゃい!」
「いかにも!右近朝成である。
随分幼さが残る口ぶりなれど見事な口上、、其の方武家に所縁の者か?」
そう問いかける朝成の口元が微笑んでいたのは、言葉通りに良い印象を持った証拠でした。
「いえ・・・縁も所縁も特にはありましぇん・・・」
若武者らしい正直な朝成に嘘で答えるのは罪悪感がありましたが、
まさか石田家とは対極に位置する徳川家の四天王・井伊家に所縁の・・・
とはとても言えないお家元でした。
「何故儂が右近だとわかったのじゃ?」
「あい、消去方で考えたんでしゅ!
石田しゃまのご一族で”若”と呼ばれる可能性があるのは
三成しゃまのご嫡男・隼人正重家しゃま、ご次男・隼人正重成しゃま
正澄しゃまのご嫡男・右近朝成しゃま、ご次男・主水正しゃまの4人でしゅ!
でしゅがこの時期に佐和山にいらっしゃるのは右近様だけで、他の方々は皆大坂にて
秀頼しゃまにご奉公中のはじゅ・・・と思ったものでしゅから」
「確かにその通りじゃ・・・
さても詳しきものよ・・・つい先日まで刑部様(大谷吉継)に従軍して会津(上杉征伐)へ
行く手筈だった
重家殿の大坂入りまで知っているその訳知り、当家所縁の者か大坂に詰めている者にしか
わからぬ事じゃが・・・」
朝成の顔つきが厳しいものに変わりました。
これがお家元の言っていた”歴史を後ろから見る”という一端でした。
後にこの時の事をお家元は
「あの時は敢えて朝成しゃんに不審を抱かせる言い方をしたんでしゅ!
あの時点で無罪放免にさりても、行くところに困ったはずでしゅからね。
お陰で佐和山城へ連れて行って貰うことが出来たんでしゅ」
と述懐されていました。
「とはいえ当家に探りを入れに来た素破や細作にしてはあまりにも目立ち過ぎじゃ(笑)
後は城にて吟味させて貰おうか!
おとなしく従うとの事だが万一にも逃がす訳には参らぬ、一応縄は掛けさせて貰うぞ、よいな!」
「勿論!依存はごじゃいましぇん!」
お家元とタイガーしゃんに縄が掛けられました。
といっても一重の首輪のような簡単なもので、きつく絞められた訳でもはありません。
ただし精悍なタイガーしゃんだけは三つの縄が掛けられ、お家元よりも警戒されているのが
わかります。
「発つ前にちょっと待って下しゃい!」
お家元が住職の方へ向き直って言いました。
「おしょさん!
昨夜は右も左もわからないひこにゃん達を泊めてくりてどもでしゅ!
お陰で野宿をせじゅに済みました」
「お家元、お礼を言う必要なんて・・・・」
通報された事に納得がいかないタイガーしゃん。
「タイガーしゃん、そりは違いましゅよ。
逆だったらひこにゃんだって訴えましゅって!(苦笑)
おしょさんはひこにゃん達が不審だから訴え出たのもあったんでしょうけど
そりよりご領主の石田家へ対しての義理立てが大きかったんだと思いましゅよ。
佐和山の町は日ノ本の中でも善政の布かれた豊かな土地だと謂われていましゅ!
この土地の人達は石田家の方々に不義になるような隠し事は出来ないんでしゅよ、きっと。」
事実、石田三成が領主として統治していた頃は、江北の政(まつりごと)はすこぶる順調で
凶作の際には減貢・支給米などの救済処置が施されるなど、大変領民に慕われていたと云います。
その後入府した井伊直政は三成の統治姿勢を払拭するのに苦労したようですし、
一部どうしても変更出来ず継続するしかなかった法もあったそうです。
「おしょさん、機会があったら必ずお礼に伺いましゅから!」
住職は合掌して涙を浮かべて呟きました
「ぬこ殿・・・すまぬ」
呆気に取られて今の思いやりのあるやり取りを見聞きしていた朝成と石田家中の者達は
目の前の二人への警戒心を完全に解いてしまいました。
そしてこの時お家元が住職に約束した”お礼”はやがて果たされる事となりますが
それは”武士たちの謳”とは別の噺。
「そりじゃあ行きましょ、朝成しゃん!」
”様”から”さん”付けに変わっていたのに気付いていた朝成でしたが、
少しも不快な感じはしませんでした。
「そなたが仕切るでない!」
朝成は弾けたように笑いました。
佐和山城までの途上、お家元は馬上の人となった朝成の顔を何度もチラ見していました。
「(この人が”石田右近朝成”しゃん・・・
4日後にはその生涯を終えられてしまう運命なんでしゅね・・・・・)」
お家元は人の死というものにまだ触れた事はありませんでしたが、
残り少ない生命の若武者を前にして神妙な面持ちになっていました。
「(また見られている・・・)」
朝成は自分の近くを連れられているぬこに何度も盗み見られているのに気付いていました。
「(何故あのぬこはあのような儚い者を見るような眼で儂を見るのだろうか・・・)」
朝成はその理由を考えましたが答えは見つかりませんでした。
佐和山を登り、本丸の一室でおとなしく待つように指示されたお家元とタイガーしゃん。
「この時代の取調べを受ける容疑者にしては格別の待遇でしゅよ、ひこにゃん達は」
彦根城の表御殿の豪奢な造りに慣れたタイガーしゃんは、
贅沢に造られていない内装の佐和山城に少々面を食らっていました。
その様子をお家元は見抜いていたようです。
佐和山城が落城後、東軍の兵が
”石田治部の城ならば、さぞ贅を尽くした華美な造りで、蓄えも相当あるに違いない!”と
乗り込みましたが、城内は一切の無駄を削いだ粗末な造りだったと謂います。
三成は常々、”家臣足る者、主君より戴く禄を丁度遣い合わせて残すべきではない。
禄を貯めるのは盗人に等しく、遣い過ぎて借金をするのは愚か者だ!”と言っていました。
「お家元、住職に聞いた日付で今日が何頃かお分かりですか?」
「あい・・・・・・・・・・、慶長5年の9月14日と言ってましたね、おしょさんは・・・
タイガーしゃん、ひこにゃん達は日本が一番大変な時に来てしまったみたいでしゅ・・・」
慶長5年・・・西暦で言うと1600年でしゅ。
明日ここから20kmほど東にある関ヶ原という所で、日本で一番有名な大きい戦が起きましゅ、
”関ヶ原の戦い”でしゅ!
そしてこの城にいる人達は一人の例外もなく、その戦の勝敗に運命を
翻弄されてしまうんでしゅ・・・」
お家元がタイガーしゃんに歴史的事実を告げた頃、本丸の奥では朝成が密談をしていました。
「住持からの知れせで向かって如何した、右近」
「それが奇妙な者達に遭ってございます、祖父様」
「城門をくぐった所を見ておったが、確かに妙な形のご仁じゃったな」
「ですが兜を被った白い者は何か不思議なものを感じさせます・・・
得体の知れないと言ったものではなく、何かこう・・・
我らにとって得がたいというか、上手くは言えませぬが・・・」
「よかろう、その者達の吟味に儂も立ち会おう!」
「父上!」
「よいではないか、右近の感じたものが何か、儂らで見極めようではないか」
程なくしてお家元達の部屋へ足音が近付いて来ました。
「タイガーしゃん、声が掛かるまで頭を上げないようにして下しゃいね」
「はい」
上座に向かって平伏しているお家元達に
「あーよいよい、堅苦しいのは抜きじゃ、面を上げていただけぬか」
「恐れいりましゅ・・・」
顔を上げた二人が仰天します!
「と、富しゃんでしゅ!」
「は、はい、坊主頭だけど、とと富さんそっくりです!」
”タイム・スリッパ”よりもびっくりした二人でした。
正面に座っていたのは、石田隠岐守入道正継。
その左右に、石田木工頭正澄、石田右近朝成が控えていました。
つづく
次回予告 )
運命のイタズラで石田一族の元へやって来たお家元!
やがて事態は抜き差しならぬ状況へ進んで行く事に!
そして正継の提案を受け、お家元はとうとうあの場所へ足を運ぶ事に!
第三章 ~風雲・そして関ヶ原へ~
※
石田隠岐守入道正継(いしだおきのかみにゅうどうまさつぐ) ・・・ みつにゃんのおとーしゃん
石田木工頭正澄(いしだもくのかみまさずみ) ・・・ みつにゃんのおにーしゃん
石田右近朝成(いしだうこんともなり) ・・・ みつにゃんの甥っ子達
石田主水正(いしだもんどのかみ)
石田隼人正重家(いしだはやとのかみしげいえ) ・・・ みつにゃんの息子達
石田隼人正重成(いしだはやとのかみしげなり)
大谷刑部少輔吉継(おおたにぎょうぶしょうゆうよしつぐ) ・・・ おおたににゃんぶ
豊臣秀頼(とよとみひでより) ・・・ みつにゃんの主君
亡き太閤秀吉の遺児にて天下人
8歳
全ての作家さんに捧げます。
武士たちの謳(もののふたちのうた)
第二章 ~邂逅・石田一族~
????年??月??日
彦根山 彦根寺
「結論から言いましゅね、タイガーしゃん、
今ひこにゃん達がいるのは彦根に間違いはないんでしゅが、ここは21世紀の彦根ではありましぇん。
おしょらくは16世紀末、400年以上前の彦根でしゅ。」
「えぇーーーっ!?そそそそんな事って・・・・え~~っ??」
「詳しく説明しゅると・・・
ここが彦根城の築城される彦根山に間違いないのは、おしょさんへの確認で明らかでしゅ。
彦根寺は築城が決まるとカインズがある方へ移って北野寺と名称を改めましゅ。
彦根城の築城工事が始まるのが1604年からでしゅから、ここがそり以前なのは確実でしゅ。
この時代に着いた早々に見た湖は、おしょらく松原内湖、彦根城の北側に
広がっていた琵琶湖の一部でしゅ。
そこに架かっていた橋は、さこにゃんが指示して架けたという言い伝えの残る百間橋。
実際は名前の3倍の長さがあったと聞いてましたけど、見て納得でしゅ。
そして決定的だったのが佐和山城でしゅ!
佐和山には規模は違えど鎌倉時代から砦のような城があったといいましゅが、
あんなに見事な石垣が詰まれ、壮麗な五層の天守が建っていたのは
みつにゃんが領主になってこの地を治めてからの事でしゅ。
みつにゃんが領主になった時期は諸説あって判然としましぇんが、有力なのは1595年の説でしゅ。
そして佐和山城は1600年の関が原の戦いの直後、落城してしまいましゅ・・・・
もしその通りなら、今は桃山時代末期の1595年から1600年の間という事になりましゅ。
とまぁ、こりがひこにゃんの見立てなんでしゅけどね。」
「す、すごい!お家元、タイガーは感動してます!
散らばっていた景色からそこまでの情報を得ていたなんて!!
素晴らしい推理です!」
「・・・でもねタイガーしゃん、今のはじぇんぶ教科書から得た知識であって
過去にホントにそうだったのかなんて、わかったもんじゃないんでしゅよ。
教科書に載っているのは、発見された資料から推測された列記なんでしゅから・・・
ひこにゃん達のように過ぎ去った歴史を後ろから見るのと、当時の人が前向きに見ている現実は
違うものなんでしゅ!
こりは覚えておいた方がいいでしゅよ。」
「は、はい!」
この時はお家元が何を言っているのか、正直タイガーしゃんは理解出来ずにいました。
だけど、この言葉がどれほどの重みを持つのか、この旅が終わる頃に身を持って知る事となります・・・
「もうひとつ確実な確認をしてみようと思ってましゅ、幸運にもひこにゃん達は恵まれた場所に
落ち着いてましゅからね。」
「朝から熱心に話し込んでおるのう、お二方。
お腹の空きは如何かな?
たいしたものを期待されても困るが、何か馳走しようか」
境内に二人の姿を認めた住職が声を掛けてきました。
「(お家元、夕べはかなり警戒されていたのに、今朝は随分朗らかな感じが・・・)」
「(同感でしゅ・・・こりは早めに失礼した方がいいかもしれましぇんね)」
「おしょさん、ご厚意感謝しましゅ。
でもこり以上お世話になっても、ひこにゃん達はお礼も出来ましぇん。
この上は迷惑にならないようにお暇しようかと・・・」
「え、遠慮は無用じゃ!ささ母屋へ案内(あない)いたすゆえ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・(不審)」
「・・・・おしょさん、ひとつ聞いてもいいでしゅか?」
「せせ拙僧に分かる事なら何なりと答えて進ぜよう!なんじゃ?」
「おしょさんなら今日の暦(こよみ)をご存知でしゅかね?」
この時代は全ての人がカレンダーに通じていたほど恵まれた時代ではありませんでした。
ですが寺院の僧侶ならば確実に把握していたはずです。
「なんじゃ、そんな事か。今日は9月14日じゃな」
「元号と年も教えて下しゃい」
「慶長5年じゃよ」
「・・・・・・・・・・・・・(絶句!!)」
ガチャガチャガチャッ・・・
「何の音でしょう・・・近付いて来ます!」
「こりは鎧が擦すれ合う音でしゅ!彦根城の祭典やイベントでよく耳にした音でしゅ、
・・・どうやらすでに通報されてたみたいでしゅね・・・」
「えっ!?」
お家元の予感は的中していました。
足軽のような軽装の武者数人と組頭のような年配の武士、その後ろには青年の顔立ちながら
立派な鎧を身に着けた身分高げな若武者の一団が山門をくぐって境内に入って来ました。
「住持殿、知らせを受けて参った!人にあらざる怪しい輩とはこの者らじゃな?」
組頭が住職に確認をしました。
「(あの胴丸の九曜は・・・!!、タイガーしゃん!ひこにゃんに倣って頭を下げていて下さしゃい!)」
タイガーしゃんに耳打ちした瞬間、お家元が踏み出し講堂で見る時のような礼三息で座礼をしました。
「佐和山城主にて元豊臣家奉行・石田三成しゃま御配下の皆しゃまに申し上げましゅ!
手前共は決して怪しい者ではありましぇん!
手向かいいたすつもりは毛頭ごじゃいましぇんので、いずこへお連れになろうとも従う所存でしゅ!
どうじょ、よしなに!」
「!!」
お家元が一団の正体を看破しました。
それもそのはず、すでにこの地が石田三成公ご治世の佐和山城下に気付いていたお家元ですから、
足軽が身に着けていた胴丸に描かれた石田家の紋のひとつ”九曜”を見て
確信を持ったのは道理でした。
お家元の逆らう意志が一切ないという見事な口上に、ひと捕り物を覚悟して来た彼らは
完全に出鼻を挫かれ
この一言で争う気概を失いかけていました。
その時、一番後ろにいた若武者が進み出ようとします。
「若っ!」
組頭が制しようと呼び止めます。
「(若でしゅって!?・・・あいあい)」
お家元のずば抜けた読みはここでも発揮されました。
「石田木工頭正澄しゃまがご子息、石田右近朝成しゃまとお見受けしましゅ!
わざわざの御成り、痛み入りましゅ。
そりがし彦根の招きぬこでひこにゃんと申しましゅ、後ろに控えているのはタイガーしゃんでしゅ!
先ほどの口上に嘘偽りはございましぇん!どうか存分にご吟味下しゃい!」
「いかにも!右近朝成である。
随分幼さが残る口ぶりなれど見事な口上、、其の方武家に所縁の者か?」
そう問いかける朝成の口元が微笑んでいたのは、言葉通りに良い印象を持った証拠でした。
「いえ・・・縁も所縁も特にはありましぇん・・・」
若武者らしい正直な朝成に嘘で答えるのは罪悪感がありましたが、
まさか石田家とは対極に位置する徳川家の四天王・井伊家に所縁の・・・
とはとても言えないお家元でした。
「何故儂が右近だとわかったのじゃ?」
「あい、消去方で考えたんでしゅ!
石田しゃまのご一族で”若”と呼ばれる可能性があるのは
三成しゃまのご嫡男・隼人正重家しゃま、ご次男・隼人正重成しゃま
正澄しゃまのご嫡男・右近朝成しゃま、ご次男・主水正しゃまの4人でしゅ!
でしゅがこの時期に佐和山にいらっしゃるのは右近様だけで、他の方々は皆大坂にて
秀頼しゃまにご奉公中のはじゅ・・・と思ったものでしゅから」
「確かにその通りじゃ・・・
さても詳しきものよ・・・つい先日まで刑部様(大谷吉継)に従軍して会津(上杉征伐)へ
行く手筈だった
重家殿の大坂入りまで知っているその訳知り、当家所縁の者か大坂に詰めている者にしか
わからぬ事じゃが・・・」
朝成の顔つきが厳しいものに変わりました。
これがお家元の言っていた”歴史を後ろから見る”という一端でした。
後にこの時の事をお家元は
「あの時は敢えて朝成しゃんに不審を抱かせる言い方をしたんでしゅ!
あの時点で無罪放免にさりても、行くところに困ったはずでしゅからね。
お陰で佐和山城へ連れて行って貰うことが出来たんでしゅ」
と述懐されていました。
「とはいえ当家に探りを入れに来た素破や細作にしてはあまりにも目立ち過ぎじゃ(笑)
後は城にて吟味させて貰おうか!
おとなしく従うとの事だが万一にも逃がす訳には参らぬ、一応縄は掛けさせて貰うぞ、よいな!」
「勿論!依存はごじゃいましぇん!」
お家元とタイガーしゃんに縄が掛けられました。
といっても一重の首輪のような簡単なもので、きつく絞められた訳でもはありません。
ただし精悍なタイガーしゃんだけは三つの縄が掛けられ、お家元よりも警戒されているのが
わかります。
「発つ前にちょっと待って下しゃい!」
お家元が住職の方へ向き直って言いました。
「おしょさん!
昨夜は右も左もわからないひこにゃん達を泊めてくりてどもでしゅ!
お陰で野宿をせじゅに済みました」
「お家元、お礼を言う必要なんて・・・・」
通報された事に納得がいかないタイガーしゃん。
「タイガーしゃん、そりは違いましゅよ。
逆だったらひこにゃんだって訴えましゅって!(苦笑)
おしょさんはひこにゃん達が不審だから訴え出たのもあったんでしょうけど
そりよりご領主の石田家へ対しての義理立てが大きかったんだと思いましゅよ。
佐和山の町は日ノ本の中でも善政の布かれた豊かな土地だと謂われていましゅ!
この土地の人達は石田家の方々に不義になるような隠し事は出来ないんでしゅよ、きっと。」
事実、石田三成が領主として統治していた頃は、江北の政(まつりごと)はすこぶる順調で
凶作の際には減貢・支給米などの救済処置が施されるなど、大変領民に慕われていたと云います。
その後入府した井伊直政は三成の統治姿勢を払拭するのに苦労したようですし、
一部どうしても変更出来ず継続するしかなかった法もあったそうです。
「おしょさん、機会があったら必ずお礼に伺いましゅから!」
住職は合掌して涙を浮かべて呟きました
「ぬこ殿・・・すまぬ」
呆気に取られて今の思いやりのあるやり取りを見聞きしていた朝成と石田家中の者達は
目の前の二人への警戒心を完全に解いてしまいました。
そしてこの時お家元が住職に約束した”お礼”はやがて果たされる事となりますが
それは”武士たちの謳”とは別の噺。
「そりじゃあ行きましょ、朝成しゃん!」
”様”から”さん”付けに変わっていたのに気付いていた朝成でしたが、
少しも不快な感じはしませんでした。
「そなたが仕切るでない!」
朝成は弾けたように笑いました。
佐和山城までの途上、お家元は馬上の人となった朝成の顔を何度もチラ見していました。
「(この人が”石田右近朝成”しゃん・・・
4日後にはその生涯を終えられてしまう運命なんでしゅね・・・・・)」
お家元は人の死というものにまだ触れた事はありませんでしたが、
残り少ない生命の若武者を前にして神妙な面持ちになっていました。
「(また見られている・・・)」
朝成は自分の近くを連れられているぬこに何度も盗み見られているのに気付いていました。
「(何故あのぬこはあのような儚い者を見るような眼で儂を見るのだろうか・・・)」
朝成はその理由を考えましたが答えは見つかりませんでした。
佐和山を登り、本丸の一室でおとなしく待つように指示されたお家元とタイガーしゃん。
「この時代の取調べを受ける容疑者にしては格別の待遇でしゅよ、ひこにゃん達は」
彦根城の表御殿の豪奢な造りに慣れたタイガーしゃんは、
贅沢に造られていない内装の佐和山城に少々面を食らっていました。
その様子をお家元は見抜いていたようです。
佐和山城が落城後、東軍の兵が
”石田治部の城ならば、さぞ贅を尽くした華美な造りで、蓄えも相当あるに違いない!”と
乗り込みましたが、城内は一切の無駄を削いだ粗末な造りだったと謂います。
三成は常々、”家臣足る者、主君より戴く禄を丁度遣い合わせて残すべきではない。
禄を貯めるのは盗人に等しく、遣い過ぎて借金をするのは愚か者だ!”と言っていました。
「お家元、住職に聞いた日付で今日が何頃かお分かりですか?」
「あい・・・・・・・・・・、慶長5年の9月14日と言ってましたね、おしょさんは・・・
タイガーしゃん、ひこにゃん達は日本が一番大変な時に来てしまったみたいでしゅ・・・」
慶長5年・・・西暦で言うと1600年でしゅ。
明日ここから20kmほど東にある関ヶ原という所で、日本で一番有名な大きい戦が起きましゅ、
”関ヶ原の戦い”でしゅ!
そしてこの城にいる人達は一人の例外もなく、その戦の勝敗に運命を
翻弄されてしまうんでしゅ・・・」
お家元がタイガーしゃんに歴史的事実を告げた頃、本丸の奥では朝成が密談をしていました。
「住持からの知れせで向かって如何した、右近」
「それが奇妙な者達に遭ってございます、祖父様」
「城門をくぐった所を見ておったが、確かに妙な形のご仁じゃったな」
「ですが兜を被った白い者は何か不思議なものを感じさせます・・・
得体の知れないと言ったものではなく、何かこう・・・
我らにとって得がたいというか、上手くは言えませぬが・・・」
「よかろう、その者達の吟味に儂も立ち会おう!」
「父上!」
「よいではないか、右近の感じたものが何か、儂らで見極めようではないか」
程なくしてお家元達の部屋へ足音が近付いて来ました。
「タイガーしゃん、声が掛かるまで頭を上げないようにして下しゃいね」
「はい」
上座に向かって平伏しているお家元達に
「あーよいよい、堅苦しいのは抜きじゃ、面を上げていただけぬか」
「恐れいりましゅ・・・」
顔を上げた二人が仰天します!
「と、富しゃんでしゅ!」
「は、はい、坊主頭だけど、とと富さんそっくりです!」
”タイム・スリッパ”よりもびっくりした二人でした。
正面に座っていたのは、石田隠岐守入道正継。
その左右に、石田木工頭正澄、石田右近朝成が控えていました。
つづく
次回予告 )
運命のイタズラで石田一族の元へやって来たお家元!
やがて事態は抜き差しならぬ状況へ進んで行く事に!
そして正継の提案を受け、お家元はとうとうあの場所へ足を運ぶ事に!
第三章 ~風雲・そして関ヶ原へ~
※
石田隠岐守入道正継(いしだおきのかみにゅうどうまさつぐ) ・・・ みつにゃんのおとーしゃん
石田木工頭正澄(いしだもくのかみまさずみ) ・・・ みつにゃんのおにーしゃん
石田右近朝成(いしだうこんともなり) ・・・ みつにゃんの甥っ子達
石田主水正(いしだもんどのかみ)
石田隼人正重家(いしだはやとのかみしげいえ) ・・・ みつにゃんの息子達
石田隼人正重成(いしだはやとのかみしげなり)
大谷刑部少輔吉継(おおたにぎょうぶしょうゆうよしつぐ) ・・・ おおたににゃんぶ
豊臣秀頼(とよとみひでより) ・・・ みつにゃんの主君
亡き太閤秀吉の遺児にて天下人
8歳