”【妄想】ひこにゃん”に変わらず捧げます。
話は少し前に戻って、お家元達が佐和山城を発つ四半刻(30分)前。
「三郎(使い番の名前)、そなたにはある者を連れて三成の元へ戻って貰いたい」
「御意!」
「その者とは後ほど引き合わせるが、そなたが戻るのは大垣城ではなく
関ヶ原となるだろう・・・」
「関ヶ原・・・でございますか?」
「うむ、そなたが向かう頃には三成は笹尾山に入っているとの事だからのう」
「左様で・・・」
そして四半刻後、
「ひこにゃんでしゅ!こっちはタイガーしゃんでしゅ!」

背中に掲げた石田家使い番の象徴・赤母衣と”二引と大一”の指物がズルッときた瞬間でした。
武士たちの謳(もののふたちのうた)
第四章 〜義将・石田三成と嶋左近〜

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)
美濃 関ヶ原
日付が変わり、降り続けている雨が未だ止む気配をみせぬ頃
使い番に導かれてお家元が関ヶ原に足を踏み入れました。
大坂方の諸将の陣地の前を横切るようにして進むと
彦根城博物館の”関ヶ原合戦図屏風”で見たことのある
旗指物や馬印が雨の中其処かしこに立ち始めていました。
どうやら諸将も着陣して間もないようで、荷駄を持ち込んだり
陣地の構築のため人の動きが活発です。
「あの”白地に紺の丸”の幟はにゃんぶでしゅね、
”紺地に児文字”は宇喜多しゃん、
”白地に紺の山道”は小西しゃん、
”筆文字の十文字旗”は島津しゃん、しゅるとこの先に・・・」



関ヶ原の北西の笹尾山に”黒の二段鳥毛”の大馬印、”紺地に朱の丸”の陣旗、
”朱の四手輪”の馬印、無数の”白地に大一大万大吉”の幟が
見えてきました。
「みつにゃんの陣地でしゅ!」

その前方には嶋左近の馬印”渡辺星紋”も確認出来ました。
途中何度も名乗りと吟味を経て、陣地の奥へ奥へと通されて行き、
最後に雨除けの天幕の掛かった陣幕の前で入幕を促されて入ると
その奥には見慣れた兜を被ったご仁が佇んでおりました。
この時代に着いてから、会う者会う者全て
「何じゃ!?この白い者は?」という驚きと困惑の表情をされたお家元でしたが、
ここに来て初めて違う反応が為されました。
「お主は・・・・・・・・」
自己紹介も済まぬうちに、お家元の顔を見るなり発した
石田三成の第一声がそれでした。
「(あり?)」
その反応をされるのは実は初めてでなく、むしろお家元がよくされる反応なのですが
三成がするのはおかしい反応でした。
普段彦根城でのお稽古に来てくれるお弟子さん達の中で
初めて会うけれどネットなどで動画を散々見てから来るお弟子さん、
再度のお稽古で懐かしくてしょうがないという衝動を示すお弟子さんなど
お家元の存在を知っている人が、その姿を認めた時に見れる瞳の色が
三成から見て取れたからです。
「お主以前何処かで会うた事が・・・・・」
「???いえ、初めてだと思いましゅよ?」
「左様か・・・」
実は二人はどちらも嘘を言っていませんでした。
お家元が言っている事は勿論その通りですし、三成が言った言葉も勘違いや気のせいではなく
微かな記憶に裏打ちされた問いかけだったのを、お家元は知りません。
ですが以前どこで会ったのかは、当の三成も今は憶い出せませんでした。
そのやり取りを不思議そうに見ている嶋左近とタイガーしゃん。
「石田三成と申す、この者は当家の家老、嶋左近」
「嶋左近清興でござる、左近とお呼び下され」
「ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ。」
「そなた、父の遣いで佐和山から来たと聞いたが・・・」
「あい、正継しゃんから治部しゃん(三成の官名の略)に書状を預かってきたんでしゅ」
もぞもぞと鈴つきスカーフから書状を取り出すお家元。
左近が書状を受け取り三成に渡しました。
途中開封されて改竄された形跡がないのを三成は確認し書状を開きました。
書状は確かに見慣れた父の手蹟によるものでした。
〜十四日早朝、彦根の町からの客人を彦根寺にて保護し、佐和山城にて歓待
昼前に彼のぬこ殿より杭瀬川の勝報を聞き及び、木工頭・右近共々後にこれを
大いに認め、其の方の元へ遣わす事と相成り候
内府との戦を関ヶ原にて迎えし多忙なる刻なれど
今はただただ、このぬこ殿と語らう刻を設けられる事、切に願い候らえば
必ずや御身が為になる事相違なし
十五日朝に始まるこの大戦の趨勢がどのような形を迎えようとも
其の方の大義を曲げることなく全う出来るよう
我ら一同未来永劫心を共とす
そなたのような傑物を子と持てた事、我が生涯の誉れなり〜
石田藤右衛門(正継)
「(何だこれは!?
何故父上はこのような事を!? これではまるで遺書のようではないか!)」
正継は普段息子達をおおっぴらに褒めるような父親ではありませんでした。
むしろ厳しく戒め、躾に厳しい父でした。
その父が”お前は自慢の息子だ、誇りに思うぞ”と書いているのです、
三成がその文面を疑ったのは無理もありません。
そして三成の明晰な頭脳は他の箇所も余すことなく見逃しませんでした。
「(”彦根村”ではなく”彦根町”とは?
麓の彦根村はお世辞にも町とは呼べない集落のはず・・・
昼前に勝報を聞いたとは如何なる事か?
内府との戦の支度よりもこの者と対話を優先せよとは・・・
戦よりも優先するものなど、戦の勝敗に関わる大事か命の危険以外に・・・)」
瞬間自分の直感に三成はハッとしました。
何故かはわからないが父や兄や甥達は、このぬこ殿と呼ぶ者に全幅の信頼を置いている。
そして恐らくこのぬこ殿はこの戦の行方を左右するほどの秘事を知っているのだ!
書状の文面から父の意図を三成は正確に把握しました。
三成から書状を手渡されて、左近も一読すると同じ反応を見せました。
「ぬこ殿、そなたは父の書状に何が書かれているか聞かされておるのか?」
「いえ、にゃにも」
「左様か、父はそなたと可能な限り語らえとの諭しようじゃ。
父達はそなたを余程頼りにしているようじゃ、一方ならぬ肩入れと見受けられる。
儂は会うたばかりのそなたの事を信じることは正直出来ぬ。
だが父の言は信じよう!
今は尋常ならざる時なれど、そなたと話しがしたいと思う。」
この由々しき事態にも関わらず、三成は身内の言葉に従いお家元と接する気になってくれました。
言葉を飾らず事実を淡々と受け入れる三成を、お家元はその目で見ました。
「(みつにゃんはこういう人だったんでしゅね)」
お家元は好感を持ちました。
このような三成の物差しはある程度の才覚を有する者には非常に心地の良いものなのですが、
少年の頃から秀吉の奉行として才能を遺憾なく発揮してきた三成は
その奉行としての役目上、自分の予想や観測を混じえない分析が絶対で
規律に厳しく洒落っ気を排した厳正な態度で常に臨んだために
法に倣えぬ輩からは煙たがられ、反感を買う事も少なくなかったと云います。
そして我が子の性格を熟知していて、二人の対面を難なく成功に導いた正継も流石といえましょう。
「(こりから先はひこにゃんの仕事でしゅね、正継しゃんどもでしゅ!)」
気負ってはいても、お家元のやり口は慎重でした。
雨の勢いの変わらぬ夜空を見上げたお家元が言いました
「この雨はじきに止んで、朝には一帯濃い霧に包まれましゅ」
「ほう・・・・」
有り得る事だ、と驚きもせず三成と左近は聞いていました。
「内府しゃんは桃配山に来ましゅ!」
「な、何っ!?」
お家元の見事な奇襲でした。
「貴家の正面には黒田しゃんと細川しゃんが布陣して
当面の相手になりましゅ」
「左近・・・」
左近は首を振りました、まだ東軍の先鋒は関ヶ原に到達しておらず
未確認という意味です。
この時点で大坂方が知りえない情報がもたらされました。
「霧が晴れぬままの辰の刻(午前8時)頃、宇喜多しゃんと福島しゃんで
戦端が開かれようとしゅる時、大物見と称して
松平忠吉しゃんと井伊直政公が飛び出して、この戦は始まりましゅ」
そしてこの後もお家元は大坂方に対する東軍の布陣をスラスラと諳んじました。
お家元は今はこれ以上の情報は必要ないだろうと一旦区切りました。
まずは三成達への説得力を持つことが、お家元には急務でしたが
焦っては全てが台無しになってしまうのを心得ていました。
「父の手紙の訳はこういう事であったか・・・
ぬこ殿、陣中ゆえ大したもてなしは叶わぬが、何ぞ用意致そう」
確認が取れるまでの時間、暫し落ち着く事となりました。
そんなやり取りが成されていた頃、東の狭隘部から徐々に東軍の軍勢が現れ始めました。
雨が上がろうとしています。
夜が明け、関ヶ原一帯に明るさが広がった卯の刻(午前6時頃)
辺り一面には濃い霧がたちこめ、一町(約110m)先も見通せない状況でしたが、
物見に走らせた者達の報告で、対陣している東軍の陣立ては
お家元の言った通りになっていました。
「かような事が起ころうとは・・・
父上や兄上も同じ思いを味わったのだろうな、
道理でわざわざここにぬこ殿を遣わした訳じゃ」
畏敬の者を見るように振り返った三成と左近の目には
愛おしそうに糒(干し飯)をカリカリと食べるお家元とタイガーしゃんが
映っていました。
お家元がその視線に気付き、自分の話したい事が話せるタイミングが
訪れたことを知りました。
「三成しゃん、心の準備はいいでしゅか?」
「如何なる話しが出ようとも覚悟の上・・・・・聞かせていただこう」
打てば響く二人の会話でした。
「この戦、未の刻(午後2時頃)には決着が着きましゅ。
終始大坂方が押し続けるんでしゅが、南宮山の吉川しゃんが動かなかったしぇいで
戦の大勢は小早川しゃんの動き次第となってしまいましゅ」
「やはり金吾殿(小早川中納言秀秋の別称)か・・・」
三成もその去就が最も気になっていた存在でした。
「刑部しゃんの陣に懸かったことで、寝返りが相次ぎ
遂には・・・・・・」
「そうか・・・・・」
三成は無念そうに目を閉じ天を仰ぎました。
「三成しゃん、大事に至らないうちに此処を離れて下しゃい!
しゃもないと・・・・しゃもないと・・・・・・・」

お家元は三成の陣羽織に縋り付いて訴えました。
三成はゆっくりと目を開き膝を折って、お家元の両手を取り語り始めました。
「まずはそなたに会うた時に、疑うような真似をしてすまなかった。
そして我らの身を案じて馳せ参じてくれた事忝く思う、ぬこ殿。
きっとそなたの言うように戦は進んで行くのだろうな・・・
残念な事じゃが・・・・・・
だがな、ぬこ殿・・・
儂はこの日を迎えるにあたって、太閤殿下がご薨去あそばしてから
専横の限りを尽くして豊家を蔑ろにしてきた内府を許せず
諸将と図り、意見を束ねて対抗出来る勢力を築き上げるに至ったのじゃ。
喩え負ける戦と知らされようとも儂は退けぬ!
退くことなど許されないのじゃ!
喩え最後の一人になろうとも、儂は内府に向けた矛を収める事は有りはせぬ!
ぬこ殿、儂にとって太閤殿下から受けた恩は其れ程の物なのじゃ!」
三成の目と口ぶりに一切の迷いはありませんでした。
お家元も説得が不首尾に終わるであろう事は、実は十中十の確率で予想していた事でした。
秀吉が亡くなった2年前の8月18日から三成の戦いは始まっていました。
この2年の間、三成は様々な恥辱と理不尽に耐えながら抗いつつも
その水面下で諸将の家老達とのネットワークを駆使して
家康の予想を覆す一大勢力を作り上げる事に成功しました。
それだけの努力を費やしてきた三成に対してどれだけ説得力を持たせようと
その意志を覆すことなど出来るはずがないのです。
そして正継もお家元を持ってしても、我が子を説得するのは出来ないと分かっていたからこそ
手紙の最後に今生の別れの言葉を書いたのでしょう。
「(みつにゃんにとっては、ひこにゃんがもたらす未来の情報など
余計な情報でしかないんでしゅね。
時間を掛けてここまで築き上げて今を生きるみつにゃんに対して
ひこにゃんが伝えた事は、侮辱も甚だしいでしゅ・・・)」
その身を案じて来たつもりが、一個の武士に対して
礼を欠いた事にお家元は気付きました。
「(タイガーしゃんに偉そうに言っておいて、ひこにゃんこの始末でしゅ・・・)」
雨の中を駆けて泥だらけになっていたお家元の顔に不自然な真っ白い筋が浮かびます。
お家元の目から溢れた涙でした。
三成の高潔さに対して自分が心無い仕打ちをしてしまった事への贖罪の涙でした。

三成はそのお家元の感情を正確に理解して、最後に一言告げると采配を握り
戦場に目を向け振り返る事はありませんでした。
「我が采配しかと目に焼き付け、父や兄に伝えて貰いたい!」
背中から見ていたお家元にはわかりませんでしたが、
三成はお家元のお陰で気負いが取れ、涼やかに笑いました。
そして前衛の左近が自分の陣地へ配置に付こうと動こうとした時、
「左近しゃん!山側からの種子島(鉄砲)に気をつけて下しゃい!」
これがお家元の精一杯の心尽くしでした。
左近は自分が種子島で撃たれる事を確信しました
「ぬこ殿、相分かった!忝い」
この日左近は相対した黒田勢が魂を抜かれるほどの戦働きをします。
それは生き残った者が後日うなされて布団から跳ね起きるほどの恐怖だったといいます。
そんな中、黒田勢の銃撃を受けて戦線を一時離脱することになるのですが、
左近はお家元の忠告のお陰で致命傷を避けることが出来
再び戦線に復帰しその最期の時まで戦場に留まり、黒田勢を蹂躙しました。
やがて開戦を迎え戦が始まると、お家元とタイガーしゃんの出番は
一切ありませんでした。
響く怒声と轟音、錯綜する情報、慌ただしく動く兵達、
お家元とタイガーしゃんは所在なげに本陣の隅で一部始終を見ていました。
そして午の刻(午後12時)を過ぎた頃、それまで静まりかえっていた松尾山の小早川勢が
大谷刑部の陣へ打ち掛かって行きました。
お家元がひそかに期待していた違う結果はとうとう起きず
大坂方の敗色は決定的になりました・・・
つづく
次回予告 )
三成はお家元に正継達への言葉を託すと、再起を掛けて戦場を離れて行きました。
お家元はその言葉を届けるため再び佐和山城へ。
そして関ヶ原から進軍して来る東軍が佐和山城へと迫って来ます。
第五章 〜奮戦・佐和山城の最期〜
話は少し前に戻って、お家元達が佐和山城を発つ四半刻(30分)前。
「三郎(使い番の名前)、そなたにはある者を連れて三成の元へ戻って貰いたい」
「御意!」
「その者とは後ほど引き合わせるが、そなたが戻るのは大垣城ではなく
関ヶ原となるだろう・・・」
「関ヶ原・・・でございますか?」
「うむ、そなたが向かう頃には三成は笹尾山に入っているとの事だからのう」
「左様で・・・」
そして四半刻後、
「ひこにゃんでしゅ!こっちはタイガーしゃんでしゅ!」

背中に掲げた石田家使い番の象徴・赤母衣と”二引と大一”の指物がズルッときた瞬間でした。
武士たちの謳(もののふたちのうた)
第四章 〜義将・石田三成と嶋左近〜

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)
美濃 関ヶ原
日付が変わり、降り続けている雨が未だ止む気配をみせぬ頃
使い番に導かれてお家元が関ヶ原に足を踏み入れました。
大坂方の諸将の陣地の前を横切るようにして進むと
彦根城博物館の”関ヶ原合戦図屏風”で見たことのある
旗指物や馬印が雨の中其処かしこに立ち始めていました。
どうやら諸将も着陣して間もないようで、荷駄を持ち込んだり
陣地の構築のため人の動きが活発です。
「あの”白地に紺の丸”の幟はにゃんぶでしゅね、
”紺地に児文字”は宇喜多しゃん、
”白地に紺の山道”は小西しゃん、
”筆文字の十文字旗”は島津しゃん、しゅるとこの先に・・・」



関ヶ原の北西の笹尾山に”黒の二段鳥毛”の大馬印、”紺地に朱の丸”の陣旗、
”朱の四手輪”の馬印、無数の”白地に大一大万大吉”の幟が
見えてきました。
「みつにゃんの陣地でしゅ!」

その前方には嶋左近の馬印”渡辺星紋”も確認出来ました。
途中何度も名乗りと吟味を経て、陣地の奥へ奥へと通されて行き、
最後に雨除けの天幕の掛かった陣幕の前で入幕を促されて入ると
その奥には見慣れた兜を被ったご仁が佇んでおりました。
この時代に着いてから、会う者会う者全て
「何じゃ!?この白い者は?」という驚きと困惑の表情をされたお家元でしたが、
ここに来て初めて違う反応が為されました。
「お主は・・・・・・・・」
自己紹介も済まぬうちに、お家元の顔を見るなり発した
石田三成の第一声がそれでした。
「(あり?)」
その反応をされるのは実は初めてでなく、むしろお家元がよくされる反応なのですが
三成がするのはおかしい反応でした。
普段彦根城でのお稽古に来てくれるお弟子さん達の中で
初めて会うけれどネットなどで動画を散々見てから来るお弟子さん、
再度のお稽古で懐かしくてしょうがないという衝動を示すお弟子さんなど
お家元の存在を知っている人が、その姿を認めた時に見れる瞳の色が
三成から見て取れたからです。
「お主以前何処かで会うた事が・・・・・」
「???いえ、初めてだと思いましゅよ?」
「左様か・・・」
実は二人はどちらも嘘を言っていませんでした。
お家元が言っている事は勿論その通りですし、三成が言った言葉も勘違いや気のせいではなく
微かな記憶に裏打ちされた問いかけだったのを、お家元は知りません。
ですが以前どこで会ったのかは、当の三成も今は憶い出せませんでした。
そのやり取りを不思議そうに見ている嶋左近とタイガーしゃん。
「石田三成と申す、この者は当家の家老、嶋左近」
「嶋左近清興でござる、左近とお呼び下され」
「ひこにゃんでしゅ、こっちはタイガーしゃんでしゅ。」
「そなた、父の遣いで佐和山から来たと聞いたが・・・」
「あい、正継しゃんから治部しゃん(三成の官名の略)に書状を預かってきたんでしゅ」
もぞもぞと鈴つきスカーフから書状を取り出すお家元。
左近が書状を受け取り三成に渡しました。
途中開封されて改竄された形跡がないのを三成は確認し書状を開きました。
書状は確かに見慣れた父の手蹟によるものでした。
〜十四日早朝、彦根の町からの客人を彦根寺にて保護し、佐和山城にて歓待
昼前に彼のぬこ殿より杭瀬川の勝報を聞き及び、木工頭・右近共々後にこれを
大いに認め、其の方の元へ遣わす事と相成り候
内府との戦を関ヶ原にて迎えし多忙なる刻なれど
今はただただ、このぬこ殿と語らう刻を設けられる事、切に願い候らえば
必ずや御身が為になる事相違なし
十五日朝に始まるこの大戦の趨勢がどのような形を迎えようとも
其の方の大義を曲げることなく全う出来るよう
我ら一同未来永劫心を共とす
そなたのような傑物を子と持てた事、我が生涯の誉れなり〜
石田藤右衛門(正継)
「(何だこれは!?
何故父上はこのような事を!? これではまるで遺書のようではないか!)」
正継は普段息子達をおおっぴらに褒めるような父親ではありませんでした。
むしろ厳しく戒め、躾に厳しい父でした。
その父が”お前は自慢の息子だ、誇りに思うぞ”と書いているのです、
三成がその文面を疑ったのは無理もありません。
そして三成の明晰な頭脳は他の箇所も余すことなく見逃しませんでした。
「(”彦根村”ではなく”彦根町”とは?
麓の彦根村はお世辞にも町とは呼べない集落のはず・・・
昼前に勝報を聞いたとは如何なる事か?
内府との戦の支度よりもこの者と対話を優先せよとは・・・
戦よりも優先するものなど、戦の勝敗に関わる大事か命の危険以外に・・・)」
瞬間自分の直感に三成はハッとしました。
何故かはわからないが父や兄や甥達は、このぬこ殿と呼ぶ者に全幅の信頼を置いている。
そして恐らくこのぬこ殿はこの戦の行方を左右するほどの秘事を知っているのだ!
書状の文面から父の意図を三成は正確に把握しました。
三成から書状を手渡されて、左近も一読すると同じ反応を見せました。
「ぬこ殿、そなたは父の書状に何が書かれているか聞かされておるのか?」
「いえ、にゃにも」
「左様か、父はそなたと可能な限り語らえとの諭しようじゃ。
父達はそなたを余程頼りにしているようじゃ、一方ならぬ肩入れと見受けられる。
儂は会うたばかりのそなたの事を信じることは正直出来ぬ。
だが父の言は信じよう!
今は尋常ならざる時なれど、そなたと話しがしたいと思う。」
この由々しき事態にも関わらず、三成は身内の言葉に従いお家元と接する気になってくれました。
言葉を飾らず事実を淡々と受け入れる三成を、お家元はその目で見ました。
「(みつにゃんはこういう人だったんでしゅね)」
お家元は好感を持ちました。
このような三成の物差しはある程度の才覚を有する者には非常に心地の良いものなのですが、
少年の頃から秀吉の奉行として才能を遺憾なく発揮してきた三成は
その奉行としての役目上、自分の予想や観測を混じえない分析が絶対で
規律に厳しく洒落っ気を排した厳正な態度で常に臨んだために
法に倣えぬ輩からは煙たがられ、反感を買う事も少なくなかったと云います。
そして我が子の性格を熟知していて、二人の対面を難なく成功に導いた正継も流石といえましょう。
「(こりから先はひこにゃんの仕事でしゅね、正継しゃんどもでしゅ!)」
気負ってはいても、お家元のやり口は慎重でした。
雨の勢いの変わらぬ夜空を見上げたお家元が言いました
「この雨はじきに止んで、朝には一帯濃い霧に包まれましゅ」
「ほう・・・・」
有り得る事だ、と驚きもせず三成と左近は聞いていました。
「内府しゃんは桃配山に来ましゅ!」
「な、何っ!?」
お家元の見事な奇襲でした。
「貴家の正面には黒田しゃんと細川しゃんが布陣して
当面の相手になりましゅ」
「左近・・・」
左近は首を振りました、まだ東軍の先鋒は関ヶ原に到達しておらず
未確認という意味です。
この時点で大坂方が知りえない情報がもたらされました。
「霧が晴れぬままの辰の刻(午前8時)頃、宇喜多しゃんと福島しゃんで
戦端が開かれようとしゅる時、大物見と称して
松平忠吉しゃんと井伊直政公が飛び出して、この戦は始まりましゅ」
そしてこの後もお家元は大坂方に対する東軍の布陣をスラスラと諳んじました。
お家元は今はこれ以上の情報は必要ないだろうと一旦区切りました。
まずは三成達への説得力を持つことが、お家元には急務でしたが
焦っては全てが台無しになってしまうのを心得ていました。
「父の手紙の訳はこういう事であったか・・・
ぬこ殿、陣中ゆえ大したもてなしは叶わぬが、何ぞ用意致そう」
確認が取れるまでの時間、暫し落ち着く事となりました。
そんなやり取りが成されていた頃、東の狭隘部から徐々に東軍の軍勢が現れ始めました。
雨が上がろうとしています。
夜が明け、関ヶ原一帯に明るさが広がった卯の刻(午前6時頃)
辺り一面には濃い霧がたちこめ、一町(約110m)先も見通せない状況でしたが、
物見に走らせた者達の報告で、対陣している東軍の陣立ては
お家元の言った通りになっていました。
「かような事が起ころうとは・・・
父上や兄上も同じ思いを味わったのだろうな、
道理でわざわざここにぬこ殿を遣わした訳じゃ」
畏敬の者を見るように振り返った三成と左近の目には
愛おしそうに糒(干し飯)をカリカリと食べるお家元とタイガーしゃんが
映っていました。
お家元がその視線に気付き、自分の話したい事が話せるタイミングが
訪れたことを知りました。
「三成しゃん、心の準備はいいでしゅか?」
「如何なる話しが出ようとも覚悟の上・・・・・聞かせていただこう」
打てば響く二人の会話でした。
「この戦、未の刻(午後2時頃)には決着が着きましゅ。
終始大坂方が押し続けるんでしゅが、南宮山の吉川しゃんが動かなかったしぇいで
戦の大勢は小早川しゃんの動き次第となってしまいましゅ」
「やはり金吾殿(小早川中納言秀秋の別称)か・・・」
三成もその去就が最も気になっていた存在でした。
「刑部しゃんの陣に懸かったことで、寝返りが相次ぎ
遂には・・・・・・」
「そうか・・・・・」
三成は無念そうに目を閉じ天を仰ぎました。
「三成しゃん、大事に至らないうちに此処を離れて下しゃい!
しゃもないと・・・・しゃもないと・・・・・・・」

お家元は三成の陣羽織に縋り付いて訴えました。
三成はゆっくりと目を開き膝を折って、お家元の両手を取り語り始めました。
「まずはそなたに会うた時に、疑うような真似をしてすまなかった。
そして我らの身を案じて馳せ参じてくれた事忝く思う、ぬこ殿。
きっとそなたの言うように戦は進んで行くのだろうな・・・
残念な事じゃが・・・・・・
だがな、ぬこ殿・・・
儂はこの日を迎えるにあたって、太閤殿下がご薨去あそばしてから
専横の限りを尽くして豊家を蔑ろにしてきた内府を許せず
諸将と図り、意見を束ねて対抗出来る勢力を築き上げるに至ったのじゃ。
喩え負ける戦と知らされようとも儂は退けぬ!
退くことなど許されないのじゃ!
喩え最後の一人になろうとも、儂は内府に向けた矛を収める事は有りはせぬ!
ぬこ殿、儂にとって太閤殿下から受けた恩は其れ程の物なのじゃ!」
三成の目と口ぶりに一切の迷いはありませんでした。
お家元も説得が不首尾に終わるであろう事は、実は十中十の確率で予想していた事でした。
秀吉が亡くなった2年前の8月18日から三成の戦いは始まっていました。
この2年の間、三成は様々な恥辱と理不尽に耐えながら抗いつつも
その水面下で諸将の家老達とのネットワークを駆使して
家康の予想を覆す一大勢力を作り上げる事に成功しました。
それだけの努力を費やしてきた三成に対してどれだけ説得力を持たせようと
その意志を覆すことなど出来るはずがないのです。
そして正継もお家元を持ってしても、我が子を説得するのは出来ないと分かっていたからこそ
手紙の最後に今生の別れの言葉を書いたのでしょう。
「(みつにゃんにとっては、ひこにゃんがもたらす未来の情報など
余計な情報でしかないんでしゅね。
時間を掛けてここまで築き上げて今を生きるみつにゃんに対して
ひこにゃんが伝えた事は、侮辱も甚だしいでしゅ・・・)」
その身を案じて来たつもりが、一個の武士に対して
礼を欠いた事にお家元は気付きました。
「(タイガーしゃんに偉そうに言っておいて、ひこにゃんこの始末でしゅ・・・)」
雨の中を駆けて泥だらけになっていたお家元の顔に不自然な真っ白い筋が浮かびます。
お家元の目から溢れた涙でした。
三成の高潔さに対して自分が心無い仕打ちをしてしまった事への贖罪の涙でした。

三成はそのお家元の感情を正確に理解して、最後に一言告げると采配を握り
戦場に目を向け振り返る事はありませんでした。
「我が采配しかと目に焼き付け、父や兄に伝えて貰いたい!」
背中から見ていたお家元にはわかりませんでしたが、
三成はお家元のお陰で気負いが取れ、涼やかに笑いました。
そして前衛の左近が自分の陣地へ配置に付こうと動こうとした時、
「左近しゃん!山側からの種子島(鉄砲)に気をつけて下しゃい!」
これがお家元の精一杯の心尽くしでした。
左近は自分が種子島で撃たれる事を確信しました
「ぬこ殿、相分かった!忝い」
この日左近は相対した黒田勢が魂を抜かれるほどの戦働きをします。
それは生き残った者が後日うなされて布団から跳ね起きるほどの恐怖だったといいます。
そんな中、黒田勢の銃撃を受けて戦線を一時離脱することになるのですが、
左近はお家元の忠告のお陰で致命傷を避けることが出来
再び戦線に復帰しその最期の時まで戦場に留まり、黒田勢を蹂躙しました。
やがて開戦を迎え戦が始まると、お家元とタイガーしゃんの出番は
一切ありませんでした。
響く怒声と轟音、錯綜する情報、慌ただしく動く兵達、
お家元とタイガーしゃんは所在なげに本陣の隅で一部始終を見ていました。
そして午の刻(午後12時)を過ぎた頃、それまで静まりかえっていた松尾山の小早川勢が
大谷刑部の陣へ打ち掛かって行きました。
お家元がひそかに期待していた違う結果はとうとう起きず
大坂方の敗色は決定的になりました・・・
つづく
次回予告 )
三成はお家元に正継達への言葉を託すと、再起を掛けて戦場を離れて行きました。
お家元はその言葉を届けるため再び佐和山城へ。
そして関ヶ原から進軍して来る東軍が佐和山城へと迫って来ます。
第五章 〜奮戦・佐和山城の最期〜











2の頃から大体の話の予想がありましたが・・ううっ。。゚(PД`q。)゚。
佐和山城の最後を見届けるお家元の心情は計り知れないほどの辛い気持ちですね。
涙なしでは見れなくなりそうな・・・・
これからみつにゃん、さこにゃんに会ったらこの物語が頭をよぎり
いままでとは異なる思いにふけるかも。
お家元には直接未来を変えてしまうようなアドバイスを
することは出来ませんから、逃げて下さいとお願いする方法しか取る事が
出来ません・・・
これは本章には書かない裏設定ですけど、井伊家の未来を塞ぐような訳にも
いかないので、お家元はその板挟みでも苦しんでいるんです、sizukuさん・・・
今回と次回は止むを得ず、このような展開になってしまいます。
申し訳ないんですが・・・
>今回と次回でお家元が蒙る嘆きと悲しみは計り知れないものなんですが
最終章でお家元の悲しみは無事救済されることになりますから
安心して下さい、はっすいさん。
悲しみを乗り越えた先に待っている新たな世界がお家元に訪れます。
最終章が終わる時、お家元は全てから解放されて、さらに成長しているはずです。
お家元と同じ感想を持ちました・・・今まで某NHK大河ドラマのキャラ設定でしか三成さんを知らなかったので、三成さんは「エリート意識丸出しのイヤミな武将」という、少々偏った人物像を描いていました(ごめんね、みつにゃん何も知らなくて・・・
三成さんにすがるお家元、贖罪の涙にくれるお家元・・・
そして定めを淡々と受け入れるみつにゃん、それぞれの心情を思うと、とても切ないです。
そして、この切なくも勇壮な物語の中に『指物がズルッときた瞬間』wのエピソードを入れているのは、管理人さん、さすがでしゅ!!
井伊直政しゃんでなく、公ですか。
もしかして私また地雷踏んじゃいましたか
ひこにゃんの優しさが心にしみました
変わってしまいますもんね。
様々な逸話や記録からどらさんのイメージする三成公が出来上がる日が
来るでしょうね。
こんな話もあります、秀吉の三成評として
「三成が儂に意見する時は、儂の機嫌が悪い時でも堂々と意見してくる」
これは三成公がただのゴマスリではない証明になっています。
そしてそんな三成公を秀吉は
「自分と同じ才覚を持っているのは日本中みても三成のみ」
とも評していました。
次回はギャグがゼロなので今回の冒頭が精一杯でした(苦笑)
>最終章で必ず!約束します!!おぎゃーさん
最終章は第六章になりそうです。
そして最終章の後にエピローグが一章出来るかもしれません。
直政公だけ”公”付けなのはおぎゃーさんが気付いたように
お家元が全く無意識で囁いた尊称です。
石田家の方々は全員もう気付いていますけどね(苦笑)
次回そのエピソードが入ります。
>感受性の強いもちもちさんには非常に苦痛な回が続いてしまいますよね・・・
少しでも早く最終章をお見せ出来るようにしたいと思っています。
どうか待っていて下さい。
こちらが異様な世界に迷い込んでいるので、作家さん方が書かれる
本来の”妄ひこ”の世界に癒されています。
新しいお話がアップされていると胸躍ります。
松山城並みにリフトとかついてないと、佐和山縦走なんて、もはや「登山」レベルの行いですね。
平成の世に戻ってくる時のお家元の進境やいかに?
佐和山にも行かれたように見受けられます。
佐和山の最期を見届ける次回の第五章、
その次で全ての答えと共にお家元が救われる最終章、
後日談が語られるエピローグ、
残り三章で固まりつつあります。
心ない対応や書き込みに「日本人のよさはもうないのかな」と思いきや、「困った時はお互い様よ!」とばかりに支援、行動をする人たちの姿に救われました
そして、今回のブログ、大恩ある太閤さまのために戦うみつにゃん、一人の侍の思いを傷つけたと涙するお家元。
残していきたい日本の心がここにもある、と思いました。
しかし、涙ぐむひこにゃんは…切ない
(ひこにゃんははしで切れるお肉が好きという事でむりやりこじつけちゃいました。重いコメントですみません)
だらにゃんさん。
次回第五章の前半の焦点は、平成生まれのお家元が持っている
”生命の尊厳”と、この時代の武士が持っている
”生命の使い途(つかいみち)”の違いをお家元が学びます。
それを読んでもらったら、今回お家元が泣いた場面が
また違った印象になるのではと思います。
阿霞さん。
今夜中に上がるであろう第五章では、別れの連続の上
最期に佐和山城の落城を見なくてはいけません・・・でも最終章で必ず!