しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

日比遊郭 ②「日和申し」

2017年03月21日 | 明治
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「玉野市史」より転記する。
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当時の廻船業は船主が船長であるという例が多く、自分の船に自分が乗って、自分の資金で諸国の物産を買付けて商売するもので、運賃積という分業はそれほど発展していなかった。
北前船もそうであるし、廻船業者もほとんどが船主船長で商売をしており、数隻の船を持った者は身内か、信用ある雇い船長にまかすが、積み荷は自分の商品であった。
つまり船長は船主であり、荷主であり、商人であった。
したがって金づかいも荒く、町に落ちる金も相当なものであったという。

2~3日もしけが続くと、日比港の西側の山の丸山という広場で海の静まるのを祈り、そこで各船対抗の角力や力くらべをやり、芸者を集めて飲めや唄えの大さわぎをやる。
これを「日和申し」といって、日比港の名物であったと伝えられている。

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