しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

天皇の八重山行幸①

2017年01月30日 | 昭和元年~10年
現人神(あらひとがみ)を迎えるに、時の行政はどのように対応したのだろうか?


「金光町史本編」より転記する。

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昭和5年10月6日付けの山陽新報は次のように伝えている。
「今秋の特別大演習を迎える日の近づくにつれ、演習関係地として浅口郡に就いては、既に香坂県知事を始め県警察部では再三に亘って来郡し、就中金光町は町内の交通安全並びに町の美観から駅より金光教本部に至る間電灯を点じ、また金光教本部では万一の防火、其の他を未然に防ぎ、万一の雑騒を防ぐために自警消防組を組織し、ガソリポンプの購入を樹て、更に兵員通過の各町村に至っては道路の改修に努め交通支障の立木等も伐採する為め当路の了解を求めて居る等千載一遇の光栄に浴する郡内は上下を挙げて誠意之等の準備に忙殺されている。

当時の金光町にとっては、天皇の「八重山御野立所」への「行幸」は「無上ノ光栄ニ欲スルヲ持ッテ極ニ達シ」たのであり、全町を挙げて奉迎するところとなった。

昭和天皇は11月15日午前10時15分、金光駅に着かれて直ちに八重山へ行幸された。
当日町は御影橋付近に奉排所を設けて諸団体の代表が多数出迎え奉排した。そうして午前11時55分に金光駅を発たれ岡山市の大本営に向かわれた。


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