しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

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大正時代の初等教育

2017年01月04日 | 大正
戦前の学校体系は複雑でわかりにくい。
管理人の小学生の時、親(←親は父親を意味していた)の学歴欄は校名なしで「高小」と書く人が大半だった。

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下記は「福山市引野町学校教育史」より転記する。



学校体系が初等教育の上に、複線的中等・高等教育が乗っている。
すなわち、中学校の系統が大学までつながっているのに対し、高等小学校が実業学校若しくは師範学校へ通じている以外は行き止まりの「袋小路」体系であった。

帝国主義段階にはいった日本の資本主義にとって忠良なる臣民と良質なる年少労働者はいよいよ必要であり、反面国民の側でもより高い教育要求があり、義務教育終了後の国民教育の在り方が大きな問題となってきた。

義務教育年限の二か年延長案は時期尚早として採択されなかったが、高等小学校への就学者は年々増加し、ほぼ一般的国民教育の段階に達した。

大正15年「小学校令施行規則」の改正が行われ、女児に対しては、裁縫のほか家事を必修させることになった。
児童の大部分が高等小学校卒業後実務に就くことを想定しての改定であった。


実業補習教育の充実

義務教育卒業者に対する簡易な実業教育機関としての実業補習学校は、明治時代末期に著しく普及し大正初年には各村にほとんど一校の補習学校が設置された。
しかしその内容を見ると、授業日数、教育内容など極めて貧弱であり、まさに「小学校教育の補習」的なものにすぎなかった。





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