あいにくの雨の土曜日。宮内庁管轄の名園、桂離宮に行って来ました。
桂離宮の参観は「許可」制。宮内庁に申し込んで抽選で当たれば「許可されました」というメールが来ます。違和感のある表現ですが、役所ですからそんなもんですかね。
桂離宮参観は、実は2回目。前回は昨年の3月でした。桜が咲く桂離宮が見たかったのですが、4月に空きがなく、3月にした次第です。今年は4月の土曜日に空きが出たのでさっそく申し込みましたが、4月23日では桜も葉桜でしょうから、なかなかベストシーズンの参観は狭き門です。
なぜ桂離宮に興味があるか。理由は単純。
・NHKで「桂離宮 知られざる月の館」を見て、是非行ってみたいと思った。
・全国の庭師が訪れるという日本の名園からガーデニングのセンスを勉強したい。
これだけ。
さて、10時の部ですので、9時には阪急桂駅に到着。ここから歩いて20分程です。
桂川が見えたらもうすぐです。
桂川も雨では風情も半減ですが、釣り人がのんびり釣り糸を垂れています。
桂離宮はその生け垣から独特の技が始まります。笹で生け垣が作られていますが、竹林から竹を道路側に倒して生け垣に見せる「笹垣」です。「桂垣」とも言われます。
入園はまだですが、敷地に入ると、今度は「穂垣」という桂離宮オリジナルの垣根が続きます。
さて、受付で「許可」証を見せて、案内人が来るのを待ちます。ここは当時の日常の玄関で「黒御門」と言います。
免許証などで本人確認をされて、待合室へ。本日の参観コースのガイドビデオが10分程度流れます。これは売店(と呼ぶにはあまりにも小さいですが、桂離宮のオリジナルグッズばかりです)。
ちなみに、桂離宮はじめ宮内庁管轄には独自の警察があります。その名も皇宮警察官。募集中です。
いよいよ出発です。要所要所で立ち止まって案内人が解説してくれます。自由に見て回るわけではなく、10時の部の30名?のグループで行動します。
■表門と御幸門
普段は使われることはなく、上皇(天皇)が来られる時だけ開かれる正門です。
表門から御幸門までは御幸道と言われますが、細かな玉砂利を敷きつめていることから、別名を「あられこぼしの道」と言うそうです。昔の人のセンスに感心させられます。
■御輿寄
御幸門から離宮に入られた上皇は書院へ向かわれます。その書院の玄関が御輿寄(おこしよせ)です。
(御輿寄への入口。垣根は全て「黒もじ」の木が使われています。黒もじは香木で当時はいい香りがしていたそうです。)
庭畳石の途中にひもで結んだ石が真中に置かれています。これは乗り物の御輿はここまでという印です。
■書院
書院は3つから成っています。古書院、中書院、新御殿。
(分かりづらいですが、中書院を真中に左右に新御殿、古書院。)
古書院にはウッドデッキならぬ竹でできた月見台があります。ここから秋の月を見たそうです。NHKではいかに桂離宮が月を見るために計算しつくされた設計になっているかを番組にしていました。
■住吉の松
実は、御幸門から御輿寄までの道は離宮の庭が見えないように高い垣根で遮られています。ただ、一箇所、少し見える場所がありますが、そこも松で自然の目隠しをしています。楽しみは後に取っておく、という趣向です。この松が「住吉の松」。
ここまでは桂離宮にお越しになった上皇の動線順に書きました。
ここからは離宮内の施設です。
■外腰掛(そとこしかけ)
離宮内の茶室などに行くまでの待ち合わせコーナーです。
お手洗い(雪隠)もあります。これは手水鉢。
ここに座ると目の前には当時はかなり珍しかった蘇鉄が植えられた築山があります。
鹿児島の島津家からの寄進とのことですが、南国の植物ですので、冬はこうなります。藁で防寒するのですが、これも見せる趣向だったと案内人が言っていました。
■洲浜(すはま)と天の橋立
離宮を造営された智仁親王の妃が丹後宮津藩から嫁がれたので、宮津の景色を再現し寂しさを和らげてさしあげようという思いやりで作られました。
■松琴亭(しょうきんてい)
離宮の中で最も格式の高い茶室。
藍染の市松模様の襖が特徴です。我々が見ても「いいなぁ」と思う斬新な模様を配した当時のセンスの高さに驚かされます。
庭側に張り出す格好で水屋があります。庭を眺めながらのお茶の接待。最高の贅だったと思います。
松琴亭から見える庭の景色が一番美しいと思います。やはり一番格式が高いのでベスポジに配置されているということなのでしょう。
■賞花亭(しょうかてい)
離宮で一番小高い場所にあります。別名「峠の茶屋」。回遊式の庭をゆっくり愛でながらここで一服したのでしょう。
ここにも手水鉢がありますが、外腰掛のものとは違い丸い形です。
■笑意軒(しょういけん)
茶室です。松琴亭もそうですが、離宮の池で舟遊びをしながら舟で乗り付けることができます。
特徴は壁に配された6つの丸窓。これも今でも通用するセンスですね。
全て格子の編み方が違うのは、四季の自然を表しているとのことです。
部屋に上がることはできませんが、向こうの腰壁にはエンジ色の市松柄のビロードを金地で大胆に斜めに切り取った模様となっています。いやいや驚きます。
光の加減で全く見えませんが、窓の向こうは水田です。収穫のためもありますが、田植えなどの農作業にも四季を楽しむという趣旨もあったとか。
■月波楼(げっぱろう)
古書院近くの茶亭。その名の通り月を見るためのものです。
特徴は、天井。「化粧屋根裏」という作りで、竹で編んだ船底型の屋根裏をわざと見せています。
案内は一周で約1時間。あっという間でした。
建物だけでなく、他にも見所はたくさんあります。石灯籠、真・行・草の延段、4つの茶亭と四季の関わり、襖紙(唐紙)、、、桂離宮の奥深さはまだまだ底が見えません。
先人の心の豊かさに感動するとともに日本人であることを誇りに思います。
気付いたこと。
桜を意識していましたが、どうやら離宮内には桜はほとんどないようです。確かに桂離宮は月を見るために計算されている庭園なので、ベストシーズンは秋ですね。もみじはいたるところに植わっていました。
よって、今の季節はもみじの新緑ですね。秋の紅葉は想像を絶する美しさだと思います。抽選にチャレンジしてみようかなぁ。
<桂離宮の概略>
桂離宮は、八条宮家(後の桂宮家)の別荘として造営され、書院、茶屋、回遊式庭園から成り、皇族の別荘の実態を伝える貴重なものです。
「源氏物語」松風の巻に登場する「桂殿」のモデルと伝えられる、藤原道長の桂山荘の故地でもあり、藤原師実・忠通なども別荘を構えました。
当時、桂の地は観月の名所としても知られていました。桂離宮の近くの西京区松室には月読神社があり、桂の地名も中国語の「月桂」の故事から来ていると言われています。
桂離宮は、八条宮家初代智仁(としひと)親王と二代智忠(としただ)親王により、約50年、3次にわたる造営と改修を経て成立しています。ちなみに、智仁親王は、正親町(おうぎまち)天皇の皇孫、後陽成天皇の弟に当たります。初め豊臣秀吉の猶子となりましたが、秀吉に実子が生まれたため、八条宮家を創設しました。
桂離宮の建物と庭園の融合調和は、ドイツ人建築家のブルーノ・タウトが戦前に記した「日本美の再発見」(岩波新書)によってその美しさが世界に紹介されました。