もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

昔の名前で出ています

2016年10月02日 | アート・文化


 
 先日、20数年来の友人がオンデマンド方式による自費出版ながら、時代小説を出版し、私がその本の表紙を描いたので、その話をフェースブックに投稿したら、その反響が大きく、いつもの数よりたくさんのコメントが寄せられた。
 *その絵を描いている途中・・・。

 私にとっては、これらの絵を描くことは特別な話ではなかったつもりだったのだが、 世田谷から海老名市に転居をしてきたのをきっかけに、挿絵やルポなどの遅筆な作家の原稿を待たねば描けない仕事から、自分のペースで原稿の描ける子ども向けの工作に仕事に軸足を置くことにして徐々にイラストレーションを描かなくなっていた。

 工作用の子ども向けの絵はまだ描いているが、大人向けのイラストレーションはもう10年も描いていないと思う。

 そう言う背景があったのだが、フェースブックを始めたのが、ここ3~4年だから、フェースブックの友だちは工作オジサン(正確には工作お爺さんだが)としての私しか認識されていなかったのも無理はなく、それゆえに「もーさんは絵もうまいね」「すごいね」「味のある人物ですね」「その渋さがたまらない」などなどの数々のコメントが寄せられて、ちょっと気恥ずかしくなってしまった。
  
 ・・・というのも、この絵を描いてほしいと頼まれた時には、昔取った杵柄という軽い気持ちで引き受けたのだが、いやいや、10年というブランクがあるとやはり昔のように筆は進まず、固い絵になってしまって、味のある人物でも渋いイラストでもなくなってしまっていて恥ずかしい次第である。
*この行の上と下の絵は30代から60代にかけて牛坂浩二というペンネームで描いていた絵だが、今回の絵に比べるともっとのびやかに、軽いタッチで描いていることがおわかりいただけると思います。
  

これは、誰かに描いてもらったの?
 
 上の写真は、昨年息子から、子どもの日までに孫(小学校5年生)のために段ボールで鎧を作ってくれないか・・・と言われて作った鎧の胴と袖の部分だが、ここに描いた唐獅子の絵を見た孫が冒頭の質問を投げかけてきた。

  資料を真似たものではあるが、30歳のころから、いろいろな絵などを描かせてもらってメシを食ってきた私にとってはこれくらいのものを真似て描くくらいは何の造作もないことではあったが、この孫が物心がつく頃には、私の仕事場は完全に工作工房に変貌していて、孫も私が絵を描いている姿を見たことがなかったのだから、うちの爺ちゃんは絵が描けるなどとは知らなくても無理もなかった。

 *1982年ころ、小説現代に連載をしていた田辺聖子さんの小説の挿絵

  てなわけで、フェースブックの友達の皆さんには、昔の名前で出ています・・・の意味と経緯をご理解いただきたいと思っています。

 もう一つ、フェースブック絡みの話として、面白い話をすれば、 昨年全くの偶然から北海道に住む牛坂浩二という姓名の30代の青年がフェースブック上に存在していることを発見。
  そして、何とその北海道の牛坂浩二さんはプロフィール写真として、私が新潮社から出版した著書「休日菜園のたのしみ」の写真を使っていた。

 私が抗議のメッセージを送ったところ、プロフィール写真はすぐに取り換えられたが、その後こちらからは連絡の取れない状態になった・・・なんて事件?もありました。 




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