マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

榛原篠楽・上垣内の地蔵さんの祭り

2017年04月22日 08時43分59秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市榛原篠楽の上垣内で地蔵盆をしていると聞いたのは平成28年の5月8日

たまたま拝見した新暦閏の庚申さんのことを尋ねたⅠさんが教えてくださった。

篠楽には15戸の下垣内、23戸の上垣内のそれぞれにあるが、今回取材させていただくのは上垣内の地蔵さんである。

上垣内の地蔵盆は本来が8月24日であるが、今は集まりやすい24日に近い日曜日に行っているという。

この年は24日を過ぎた28日の日曜日である。

地蔵さんがある地は村落から緩やかに上がる道沿いにある。

念のためと思って24日に訪れていた地蔵さんの地。

石仏を拝見するにはどうも地蔵尊のようには思えない。

地蔵尊の姿もなく彫り物の「奉供養西国三十三番」とあった。

刻印は薄く、建之された時代はわからない。

裏面であるかもしれないが祠で背中が見えない。



やってきた村の人らに聞けば、この地蔵さんは「イシガンノン」と呼んでいるという。

「西国三十三番」があるということは、西国三十三カ所の巡礼旅である。

長谷寺は第八番。

この道は長谷街道になると話しているから「イシガンノン」を充てる漢字は「石観音」であろう。

かつてというか大昔のことだ。

長谷寺参りに歩いていた人がいた。

その人は行き倒れになった。

その人が差し出したと思われるお金で、行き倒れになった人の供養のために地元民が建之した。

そういう逸話がある上垣内の地蔵尊の呼び名は「石観音」が相応しいと思うのだが・・・。

ローソクを立てて線香とも火を点ける。



垣内の導師が一歩前に出て般若心経の一巻を唱える。

皆は揃って神妙な気持ちで石観音に向かって手を合わす。

かつては餅御供であったが、今はお菓子御供。

下げて直会の場でお神酒をよばれる。

直会の場は当番さんが所有するガレージ蔵。



テーブルを調えて周りに置いてある材を椅子代わりに座っての団欒だ。

以前は石観音の前に座って直会をしていた。

日差しを遮るものがないから影がない。

直会の時間帯は昼間。

暑うて、暑うて叶わんから同家の作業場を貸してもらっているという。

本来なら導師は年長者がしてくれるのだが、この日は欠席。

やむなく代行させてもらったという。

かつてはここでの地蔵さんの祭りごとはしていなかった。

上垣内の人たちは下垣内の人たちが集まる「しゅく」の地蔵さんに参っていた。

垣内から参るのでお布施を供えていた。

借り物でもないが、上垣内の地蔵尊ではないから気遣いする。

上垣内は上垣内にある「イシガミサン」がある。

そう決断されたのは今から20年前のこと。

下垣内から独立されて今日に至る上垣内の祭りごとである。

ちなみにここで言われた「イシガミサン」が「石観音」である。

10年前までの祭りは「石観音」の前にシートを敷いて歌っていた。

賑やかだったが、日差しを避けたここに落ち着いたようだ。

ちなみに上垣内の祭りは春と秋の彼岸に参る薬師さんの行事がある。

その行事も彼岸の中日に近い日曜日になるそうだ。

彼岸の薬師さんは数珠繰りがある。

場は氏神さんを祭る平成25年に造営事業があった白山神社境内の傍にある。

白山神社の造営に雌雄の鯛を吊った綱を曳く曳き綱神事があったそうだ。

彼岸の薬師さんは導師が鉦を打ってなんまいだー。

数珠繰りは10回するというからここも取材したいものだ。

(H28. 8.28 EOS40D撮影)

月ヶ瀬嵩の風の祈祷

2017年04月21日 08時14分18秒 | 奈良市(旧月ヶ瀬村)へ
月ヶ瀬の嵩(だけ)で風の祈祷行事をしていると知ったのは平成24年8月28日に訪れた近隣大字の月瀬である。

その日は月瀬の八柱神社でも風の祈祷行事をしていた。

大祓詞を唱えて祈祷したお札を村境の4カ所に立てた。

においても同じような形式で行っていると話していた。

それから4年も経った。

行事がある日は8月27日。

月瀬よりも一日早い。

その日に伺えば関係者がおられるだろうと思って訪れた。

着いた時間は行事が始まる少し前の時間帯。

八柱神社の拝殿にお供えを揃えている宮総代にお声をかけた。

その場で本日の行事を取材のお願いを申し出た。

月瀬の十人衆や大字尾山の岡本和生宮司から聞いていた風の祈祷との違いなどを取材したいとお願いしたら承諾された。

ありがたいことである。

嵩では3人の宮総代がおられる。

宮総代は神社行事のお手伝い。

お供えの調達や調整ごともあるし行事の進行やオトナの接待もある。

なにかと忙しく駆け回っているようだ。

宮総代のうち代表を務めるⅠさんは社務所、参籠の座の場でもある嵩総合センターにオトナの人たちがおられるからと云われて挨拶をさせていただく。

オトナを充てる漢字は「翁戸那」。

宮オトナとも呼ぶ長老四人衆である。

オトナは亡くなるまで嵩の年中行事を支える長老衆。

最近は自らの意思をもって引退する場合もあるらしい。

嵩のマツリは10月26日がヨミヤで27日が大祭だった。

今では月末の土曜日、日曜日に移した。

大名が支配していた嵩のかつての時代は藤堂藩。

他の大字は郡山藩だったという。

当時、殿さんのために新しい道を造った。

大祭以外に本日の風の祈祷、祈年祭、新穀感謝祭などの中祭もあるが、毎月初めの一日は小祭の一日座(朔座)がある。

また、八柱神社傍に建つ薬師寺の行事もある。

寺行事は薬師講に大般若、薬師会式などがある。

嵩の薬師寺は長谷寺真言宗派。

京都の南山城村の田山も出仕されている住職が来られるそうだ。

また、旧波多野村に属している月ヶ瀬嵩が参列される山添村中峯山(ちゅうむざん)神波多(かんはた)神社の秋季例祭行事がある。

旧波多野村は春日村、大西村、菅生村、西波多村(上津・下津)、遅瀬村、中峯山村、広代村、中之庄村、吉田村、鵜山村、片平村、葛尾村、広瀬村に嵩村である。

明治22年に町村合併、その後の明治30年に嵩村を編入されて波多野村になった。

その関係をもって今では奈良市に編入された月ヶ瀬嵩は、現在の山添村の各大字とともに一同が揃うお渡りに一番役を務めている月ヶ瀬嵩が中心的役割を担っているという。

そうした月ヶ瀬嵩に関わる件を話してくださったオトナも宮総代も拝殿に登って神事が行われる。

祓の詞、祓えの儀に一同揃って唱える大祓詞。

尾山の宮司が斎主されるここら辺りの地域はどこも同じように大祓詞を唱和する。

そして始まる祝詞奏上に玉串奉奠である。



神饌は洗米や塩、お酒もあるが、この日のための「奉祈祷悪風雨除大麻」の版で刷った祈祷札もある。

神饌棚にはサバ缶詰やジャコの盛りにセキハンもある。

二百十日の大風に祈祷札は3枚。

昔の道にあたる村境の3カ所の入口に立てる。

昔は悪病除けに風雨順調を願ったようだ。

嵩総合センターに戻ったオトナは早速作業に移る。



伐りとってきためろう竹と乾かして作っておいた昨年もんの竹の皮が要る。

めろう竹はススンボの竹ではなく竹箕の原材料になる竹である。

フジの木で叩いて柔らかくしためろう竹を編んで箕にするという。

祈祷札は二つ折りにした竹の皮の内側に納める。

何故にそうするのか。

祈祷札は先を三つに割いためろう竹に直に挟む状態であれば風雨に晒されて破損してしまう。

祈祷札は何時までも保ってもらいたいから竹の皮で包む。

隣村の月瀬も同じ形態だった。

まるで逆三角形になった竹の皮は外れないように上部は白い紐のようなもので縛っておく。

3本とも調整できれば直会に移る。



注文したオードブルもあるが神饌を下げたジャコ、昆布、海苔とセキハンを肴にお神酒をよばれる。



およそ1時間の直会を済ませたオトナや宮総代は手分けして村境にでかける。

村境といってもすぐ近くだ。



一本は八柱神社や薬師寺を下りた山添村遅瀬に繋がる道傍である。

もう一本はそこよりさらに下った山添村大塩へ行く道傍だ。

もう一本は西の村入口。

月瀬寄りの処になるが、場所は特定できなかった。

ちなみに嵩には明治時代なのか、それとも云十年前なのかわからないが、何代か前の爺さん時代に能面があったそうだ。



その能面は見ることはできないが10月に行われるマツリについて話される宮総代も一カ所に立てた。

マツリの直会に謡いがある。

武蔵野の名がある大きな酒盃で酒を飲む。

謡いは四海波。

朗々と謡うそうだ。

座でよばれる酒の肴はナスビの田楽にトーフ、コンニャクに煮しめ、青豆のクルミがある。

クルミはサトイモに塗して食べる料理である。

この内容を聞いて是非とも今年に取材したいと願ったのは言うまでもない。

ところで嵩にもトンド行事がある。

各戸の注連縄を子供が集めて縄にする。

それをどうするかは聞いていないが、たぶんにトンド組みに使う括りであろう。

朝6時に点火するという。

(H28. 8.27 EOS40D撮影)

町内の休み処

2017年04月20日 08時34分19秒 | 奈良市へ
毎日が暑い・・・。

暑いなかもリハビリ運動は欠かせない。

家廻りの町内を歩いて往復の2Kmを30分であるく。

夏場の歩きは、熱い日差しを避けて陽が落ちてからにしている。

残暑厳しく9月半ばまで続くとか、ニュースが伝えていた。

屋内にある押し車。

たぶんにご家族が使われているのだろう。

その店先に貼ってあった言葉に感動する。

(H28. 8.26 SB932SH撮影)

西増の地蔵盆

2017年04月19日 08時59分31秒 | 大淀町へ
“みかん蔵”をテーマに挙げた写真家Sさんが取材した地域に野菜造り立て御膳を供える地蔵盆があると話していた。

その場はどこであるのか前月の7月23日に下見した大淀町の西増(にしまし)。

「増(まし)」の文字をもつ大字は大淀町の三地域。

「増」に入る口は「増口」。

そこより山間部奥に「増」があるその中心部に想定される「中増(なかまし)」。

そこより西寄りにあるのが「西増(にしまし)」である。

西増の地蔵盆は6、7カ所の地蔵尊があると聞いていた。

うち1カ所は吉野山の桜守家が祭る地蔵さんだ。

前月に訪れた際に場所を確認していたからすぐにわかる。

当地へ着いた時間帯は午後5時10分。

明るいうちに地蔵尊の場を見つけておく。

初めに拝見した祠の地蔵さんに野菜造りの立御膳があった。



バットと思われる棒を持つ人形。

スイカを土台に串挿ししたと思われる人形の胴体の野菜はなんだろう。

腕はインゲンマメで顔はプチトマト。

周りを彩るのもプチトマトだ。

その下に置いてある紙箱に「51」とあるからイチローであるが、右利きバッターだったっけ。

それとも鏡に映ったイチローかも・・・。

その場から坂道を登っていく。

そこにあった地蔵さんは蓮の座に両手を合わせて座っていた。

珍しい形式の地蔵さんは集落全域が見える高台にある。



そういうことから高見の地蔵さんと呼ばれている。

地蔵さんの下にある立御膳は誰が見てもわかる浦島太郎だ。

「au」の文字に「by浦ちゃん」とある。



auのコマーシャルに登場するお伽噺の三太郎。

桃太郎、金太郎に浦島太郎であるが、この場に登場したのは浦島太郎だ。

トウガンの皮部分が亀の背中。

足はキュウリで頭はナスビ。

口を開けた亀は実によくできている。

そんな亀さんに跨った浦ちゃんの顔はドロイモ。

笑顔が綻ぶ浦ちゃんの髪の毛や髭はトウモロコシの毛。

胴体は白ナスビで足が白ネギで作った。

高見の地蔵さん下はテーブルを出してもはや宴会前の状態。

夕刻になればもう少し人が集まるらしい。

西増の地蔵盆は大字の専念寺の僧侶が地区を巡ってそれぞれの地蔵さんに念仏を唱えて法要するという。

その巡拝には子供たちが随行する。

午後6時半、子供たちが専念寺に集まって練習をするらしい。

廻り法要は午後7時から始まる。

西増にあるすべての地蔵さんを廻り終える時間帯は午後9時ぐらいになるそうだ。

「auの浦ちゃん」から一旦は下って村の道を上がっていく。

道は狭いから車を対向するにはちと難しい。

どちらかが下がるか、登るしかできない狭隘な道を抜けていく。



その先にあった辻にある地蔵さんは立御膳を作り終えて提灯を吊る作業をしていた。

地蔵さんを納めている祠は昭和50年9月12日に再建された。

そのときに銅板葺きに替えたようだ。

提灯を吊るす仕掛りに葉付き竹を立てる。

そこに水平に架けた竹に電灯線をひいて点ける提灯を吊るす。

ここの立御膳は今夏にヒットしたシン・ゴジラ。



細く長いカボチャを胴体にゴーヤの手足。

飛び出す目ん玉はプチトマト。

火を吹く舌は赤ピーマン。

迫力ある姿で立っていた。

そこより右回りに下って桜守家が祭る地蔵さんを拝見する。

ここも同じように水平に架けた竹が提灯吊るし。

御膳は立御膳でなく野菜を盛った御膳であった。

さらに下っていった辻に地蔵さんがある。



立派な屋根瓦もある祠は地区一番の大きさであると思った。

高さもあるから子供の身長では手が届かないくらいに高い石段組に建てている。

お参りにくる子どもたちにあげるお菓子を乗せた祭壇向こうに立御膳がある。



まん丸いスイカに貼り付けたゴーヤは五輪の印。

選手なのか観客なのかわからないがさまざまな野菜で作った顔ぶれが並んでいる。

ニンジン、ナスビ、キュウリ、ヒモトウガラシ、ジャガイモ、シイタケで作った顔に愛嬌がある。

土台下は金、銀、銅。

こればっかりは野菜で埋めることはできなかったようだ。

提灯吊るしは道路一杯に亘って架けていた地蔵さんなど地区を周回して5カ所の御膳を拝見した。

あと2カ所あるようだが、時間切れ。

午後5時半には一旦この地を離れる。

再びやってきた時間帯は午後7時50分。

廻り法要をしていた僧侶や子供たちの姿を見つけたがついていけなかった。

車を停めた処に一番近かったリオ・オリンピックを表現した地蔵さんに立ち寄る。



灯りが点いた立御膳は雰囲気が違うように見える。

まるで夜間開催のオリンピックの場のようだ。



小さな子供さんはお母さんに抱っこされて参拝する。

次から次へと参拝する子供たちに役員さんがお菓子を手渡す。



ここの地蔵さんはほぼ終了する午後9時に垣内におられる導師が般若心経を唱えるそうだから、そのときに燈明をあげるのだろう。

今は一巻であるが、かつては三巻も唱えていたという。

それも拝見したいが、他所も拝見したい。



イチローはどういう具合になったのか。

電灯線をひいた明かりの提灯に照らされてバットを振っていた。



そんなわけはないが、そう見えるのである。

時間も夜8時ころになればここも子供たちが参拝する。



小さな子供は親御さんがついての参拝だ。

そこより坂道を登って高見の地蔵さんを目指す。

その通り道は竹を刳りぬいた明かり窓がいっぱい並ぶ。



手造りの竹明かりはさまざまな形がある。

スイスイ泳ぐ金魚にホタルの灯り。

顔もあればお月のような形もある。

思うように作っているからなんでもあると作り手の男性が話していた。



竹明かりはそれだけでなく盆踊りの情景もある。

躍る姿は女性ばかり。

団扇を手にして踊る姿は実にさまざま。

これだけでも和ませるのにまだまだある。



うーさぎ、うさぎ、何見て跳ねる・・十五夜、おー月さーん、見て、跳――ねるではなく、ぺったこ、ぺったこの餅搗きだ。

何の鳥かわからないが、それらしい鳥の明かりもある。



燈花会も負けるぐらいの力作は地蔵盆を幻想的にしてくれた。

竹明かりを見下ろす高見の地蔵さんも孫を抱っこした婦人も参拝する。



この浦ちゃんはよくできているなぁと云っているんだろうか。

県内事例の多くは提灯そのもの奉った子供の名前が書かれているが、ここでは風鈴のようなお札に名前があったと付記しておこう。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

吉野山口の地蔵盆

2017年04月18日 08時24分25秒 | 吉野町へ
吉野町の香束(こうそく)から下っていけば吉野山口に着く。

当地に鎮守の神社がある。

吉野山口神社である。

神社行事の一つに秋祭り大祭がある。

その行事は平成18年の12月3日に取材させてもらった。

ここを通る度に奉納される餅御供を詰めた器の「ぼっかい」を思い出す。

「ぼっかい」は「ほっかい」が濁った「ぼっかい」の呼び名で表現していた。

充てる漢字は「行器」である。

通り抜けようとした吉野山口に明かりが灯る。

今まさに始まろうとしていた地蔵盆である。

当番と思われる女性が提灯にローソクを灯していた。

その先にも明かりが見える。

近づけばそこも地蔵盆。

ローソクを灯した場に僧侶が立つ。

周りを囲むように地区の人たちが居る。



僧侶は地区浄土宗西蓮寺のご住職。

念仏を唱えていた。

そこの念仏を唱え終わると先ほど拝見した地蔵さんに向かう。

何人かの人たちが付いていった。

急がねばならないが、念仏を唱えた地蔵さんに供えた野菜造りの立て御膳を拝見することを優先した。



香束と同様に串挿しの土台はカボチャ。

香束とは違って大小2個のカボチャを雪だるまのように二段構えにしている。

眉毛はオクラ。

目はトマト。

鼻はナスビに口は赤ピーマン。

耳はホウズキで両手はナスビだ。

お腹部分には花丸模様であろうか。

この立て御膳は怖い顔のように見えた。

話しを聞けばその通りの怪物版。

20年ほど前から立て御膳をするようになったと云う。



そこには木桶に盛った平べったい餅がある。

3斗も搗いたハンゴロシオゴクだという。

「ハンゴロシ」は餅米1に対して粳米は2の量。

米の角を取って半日がかりで搗いたそうだ。

「オゴク」は御供である。

それらを拝見して先の地蔵さんの場に急行する。

お念仏は終わっていなかった。

提灯の灯りだけなので辺りは真っ暗だ。



申しわけないがストロボを当てさせてもらって撮った。

24日は地蔵さんのお勤め。

なむあみだぶつと十篇唱えさせてもらっていますと云う。

お念仏を終えたら恒例のゴクマキ。

地蔵さんにそなえた「ハンゴロシオゴク」を撒く。

この場もそれほど明るくない。

これもまたストロボを発光させてもらってシャッターを押す。

小さな子供たちは前へ。



そこに優しく手渡す「オゴク」である。

それもあれば皆が喜んで取り合いするゴクマキに熱中して地蔵盆を終えた。



吉野山口の行事はこの日の地蔵盆以外に8月17日の十七夜(かつては盆踊りがあった)や同月28日の風日待、9月1日の八朔盆踊り、同月の24日の午後と夕刻にマツリをしているという。

また、7月10日はコムギモチもあれば柿の葉寿司もある。

これらは村の各戸が作って食べているそうだ。

12月7日もマツリ。

かつては青年団が戸板に餅を乗せて運んでいたそうだ。

吉野山口の行事は多彩。

是非とも再訪したいものである。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

香束の地蔵盆

2017年04月17日 08時32分32秒 | 吉野町へ
吉野町の香束(こうそく)。

三茶屋の信号から国道28号線は佐々羅へ抜ける道。

ここら辺りは幾度となく車を走らせた街道である。

午後6時55分に通っていた地が香束である。

集落が固まっている地に灯りがある。

そこには何人かの人が居る。

車から見えた地蔵さんにお供えがある。

それは立て御膳のように見えた。

車を停車させて場に近づく。

居られた人たちに声をかけて立て御膳を撮らせてもらう。

それはまさしく立て御膳。



半切りしたカボチャに串挿し。

彩り豊かに挿した野菜は赤ピーマン、ホウズキ、ナスビ、ミョウガにキュウリだった。

地蔵さんの下には祭壇がある。

ガラスケースにしているローソク立て。

ローソクの灯りがガラス板に反射して明るい。

その前にある線香は何本あるのだろうか。



赤く燃える線香に煙がくゆる。

辺りは真っ暗だが地蔵さんには電灯も照らしていた。

もうすぐやってくる村の導師が般若心経を唱えるそうだが、先を急がねばならない。

申しわけないが失礼させてもらった。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

中増の地蔵盆

2017年04月16日 07時43分51秒 | 大淀町へ
大淀町中増に着いた時間帯は午後5時。

地蔵さんにはお花を飾っていたが人気はなかった。

お話を聞く人がなければ仕方ない。

写真を撮らせてもらって次の土地に向かう。

前月の7月23日に下見した中増。

地区に貼ってあった案内によれば浄土宗安養寺の住職が地蔵法要をするらしい。

時間帯は午後1時過ぎというから既に終わっていたのだ。

また、大淀町調査によれば、増原から陽原にわたる地区で数珠繰りをしているようだ。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

丹治・上第一の地蔵盆

2017年04月15日 09時20分45秒 | 吉野町へ
向丹治(むかいたんじ)で良き出会いをさせてもらった。

ここ吉野町の地蔵盆の状況を教えてもらったお家がある。

その日は平成26年の2月1日

厄祓いに丹治の各地区にある地蔵さんを巡って餅を供えていく風習を調べにきた日である。

結果的に云えば該当者に遭遇することはなかった。

なかったが、地蔵盆に供える御膳や野菜で形作る造り物の在り方を知った日である。

撮った写真があるからと云われて拝見した造り物に度肝を抜かれた。

それがきっかけとなった上第一の地蔵盆は平成26年の8月24日に拝見させてもらった。

地蔵さんがある場近くに住む婦人にこの日もまたお会いした。

平成26年に伺ったときと同様に御膳は野菜盛りになっていた。

見事な盛りが美味しく見える。

マヨネーズにドレッシングをかけて食べたいと思った。

着いた時間帯は午後4時40分。

早くも地蔵さんの提灯に火が点いた。

祠内も灯りがある。

ローソクではなく電灯である。

地蔵さんの前に供えたのは色粉を塗したシンコである。

みたらし団子やちらし寿司。

ブドウなども同じように供えていた。

先を急がねばならないこの日の地蔵盆巡りは大淀町もある。

申しわけないが、礼を述べて失礼した。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

丹治・向丹治垣内の地蔵盆にシンコ御供

2017年04月14日 10時10分33秒 | 吉野町へ
明るいうちに着いて拝見したい地蔵盆がある。

シンコダンゴにちょんちょんと色付けする。

3色の色粉で色付けしたシンコダンゴは藁筒に串挿しする。

数が多いから見事なものだと思った。

その前には塗り椀に盛った御膳も供える。

また、野菜で作った御膳も供える。

私が初めて拝見したのは平成26年の8月24日だった。

そのときの話しを写真家Kさんに伝えたら是非見たいという。

民俗を取材している者にとっては是非ともとらえておきたい行事は視点を替えて記録に残してほしい。

そう思って案内する吉野町丹治の地蔵盆。

丹治で行われる地蔵盆は垣内ごとにある。

2年前に訪れて取材した垣内は上第一・第二・第三・中一組、中二組(木戸口)、向丹治(むかいたんじ)だった。

その日は時間も足らずで金龍寺境内の地蔵仏やワセダ地蔵仏に飯貝(いがい)の三地区は拝見できなかった。

多数の地区でされているだけにどこに絞って良いやら悩ましい。

この日は丹治だけでなくまだまだ取材しなければならない地域が多い。

仕方なく、と云えば申しわけないが、この日だけが山から下ろして祭っているという向丹治垣内に決めた。

2年も経てば当番の人は違っている。

特徴的なお供えもある向丹治を再訪させてもらったことを伝えて取材の了解を得る。



拝見したシンコダンゴは同じであった。

桶の台に立てたシンコダンゴが美しい。

塗りの御膳もまた美しい。



すべての椀の蓋は開けていなかったのでごく一部であるが撮らせていただく。

中央の椀はプチトマトを添えたゴマ振りのキュウリ揉み。

その横の椀は生野菜。

ササゲマメ、オクラにニンジンがはみ出している。

母親は家でお供えするシンコダンゴを作っている。木枠に搗いたモチ(ダンゴ)を入れて型を作る。

木枠はいくつかあり、それぞれが異なる形状をしている。

型枠に入れて作ったモチは色粉で色付けしている。

そう話してくれた女性にもしよろしければと作っている状況を取材したいと申し出た。

女性が云った。

「顔だしせず、手だけなら・・・」という条件付きの撮影に許可してくださった。

女性が住む家では母親が中心となってシンコダンゴの御供作りをしている。

毎年のことで、小さいころから作業を手伝っていると云う。

案内されたお家に上がらせてもらう。



木枠にモチを詰めて型取りをする。

こういう具合にしていると説明してくださる。

型抜きはいろんな形がある。

一枚の型枠に数個の型抜きがある。



象や亀、梅、松、蝶、栗、桃、貝などすべてが手造りの型抜き枠。

昔の丹治では各戸にこうした型抜き枠があった。

それぞれの家が独自に作った型抜きでシンコダンゴをこしらえていたそうだ。

うち一枚の型抜きの側面に「十七年」の文字があった。

型抜きが我が家のものであることがわかるように印もある。

三代前のお爺さんが型枠を作っていたという刻印である。

お爺さんの兄弟は大工さん。

その技量もあって作られたようだ。

「十七年」の年代は平成でなく、昭和のような気がする。

朝から蒸して作っていたシンコダンゴは熱いお湯を入れて捏ねて作る。

子どもも作れる型抜きは好きな型に嵌めて作っていたそうだ。

色粉の塗りは3色。順番は特に決まっていない。

好きな色から塗り始める。

色塗りは塗るという表現はし辛い。



色塗りは小さな点のようにポチッと押すようにつける。

容器に溶かした色粉に箸のような小さな木片を浸ける。

滴が落ちないように、それをシンコダンゴにちょん、という具合だ。

緑色、黄色、赤色をちょんとつける。



ちょんの位置も数も決まりはないようだ。

型枠によってちょんの位置も違うのでそうなる。

コウジブタに入れたシンコダンゴに色がつくと綺麗に見える。



シンコダンゴの化粧はこうした作業をもって作られていること教えてくださった当家に感謝する。

ちなみに母親はシンコダンゴだけでなく何がしかの祭りや祝い事があれば柿の葉寿司を作っていると云う。



柿の葉で包んだ寿司米は自家製の桶に押して詰める。

7月10日に行われる神社行事のサナブリにはコムギモチも作って供えるという。

なにかと手造りが多い当家の話しはまだある。

2月1日に行われる地蔵さんの厄除け参りだ。

前厄に当たる年は41個の餅を持って各垣内にある地蔵さんに供えて参る。

翌年は本厄。

その年は42個の餅を持って参る。

次の年は後厄だ。

その年は43個の餅。

来年の平成29年は後厄になると話してくれた。

丹治の厄払いの地蔵さん参りは未だ拝見できていない。

該当する人がどこにおられるのかさっぱり掴めない。

厄でない場合は当然ながら参ることはない。

地蔵さんの前で待っていても現れることはない。

参ったことがあるという人にお話を聞いたことがあり、上第一地区の地蔵さんで待っていたが、出合わなかった。

朝7時ぐらいにしていると聞いていたが、だれ一人として現れないので諦めて帰ったことがある。

シンコダンゴ作りを拝見させてもらったお家にすがりつく県内事例に見られない丹治の伝統行事に初取材ができそうだ。

こんな出会いがあった向丹治にもう一度感謝した。



こうした話をしてくださった当家は再び向丹治の地蔵さんに参って作りたてのシンコダンゴを供えられた。

そこには先ほどなかった野菜造りの御膳が立っていた。

立っていたのはナスビで作ったポケモンに登場するカビゴンだ。



私は見たことがないからこれが本物・・・かどうかわからない。

どうであれ、胴体は丸ナスで腕は細いナスビ。

手はミョウガで足はゴボウで作っていた。

その前にあるのはプチトマトで作ったモンスターボールである。

これは地蔵盆に3年に一度の廻りになるトヤ家が作った御膳である。

その左横に作りたての色付けシンコダンゴ。

皿に盛られてラップ包みで供えた。

とん、とん・・。

朝から枡で計った米粉。

日光に当てた粳米が10割に対して餅米を1割。

お米をはたいてもらってくる。

はたくのは上へいくほどはたいてもらったシンコ(新米)で作った。

隣村になる吉野町の新子(あたらし)はコロコロまきのお団子だった。

コロコロさんを潰してみたらしのようにして食べると当家の母親が云っていた。

(H28. 8.24 EOS40D撮影)

増口下ノ町・上ノ町の地蔵盆

2017年04月13日 08時50分32秒 | 大淀町へ
この日の行事取材先は吉野町と大淀町。

各地の地蔵盆の在り方を拝見したく車を走らせる。

ここは大淀町の増口(ましくち)。

吉野川沿いの国道を走っておれば地蔵盆は見つからない。

そう思って旧道を行く。

雨が降るやもしれないと判断されたのだろう、地蔵さんの前の処にブルーシートで設えたタープ型屋根をしていた。

地蔵さんを拝見すればすでにお供えがある。

このときの時間帯は午後3時半だ。

地蔵盆に集まる時間はいつであろうか。

走り去る単車には追い付かない。

仕方なく地蔵さんに手を合わせて供えている状態を拝見する。



奥のほうにあった膳に盛った野菜作りのお供え。

カボチャを土台に挿してある品物はプチトマト、サツマイモ、トウモロコシ、オクラ、ゴボウ、赤トウガラシに乾物のシイタケやコーヤドーフがある。

よく見ればソーメンの束もある。

向かい側の施設には手造りの行燈もある。



アンパンマンにアルプスの少女ハイジなども。

シールを貼ったものもあれば色鉛筆で描いたものもある。

この手造り感がなんとも可愛い行燈があるということは陽が暮れてからの時間帯であろう。

先を急ぐ旧街道はここ下ノ町から中ノ町、上ノ町へと続く。

下ノ町からそれほどの距離もない地に水分神社がある。

その場に大勢の人たちがおられた。



上ノ町の地蔵盆を設営している真っ最中であった。

地蔵さんの祠に屋根を設けている。

幕をかけて祭壇を設ける。

午後3時に提灯を吊るす。

それから御膳を供える。

下ノ町ではカボチャに挿した立て御膳であったが、上ノ町はそうではないようだ。



拝見すれば折敷にたくさんのミョウガやプチトマトなどが見える。

お話しによれば上ノ町の地蔵盆に地区の専立寺住職が念仏を唱えるらしい。

時間帯は午後6時半というから今年は間に合わない。

「椿井神水」もあると云ってたが・・・。 

(H28. 8.24 EOS40D撮影)