マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

野遊び忘年会

2010年01月21日 07時31分15秒 | 食事が主な周辺をお散歩
今年もやまちゃん先生宅で野遊び忘年会。

都合で急遽欠席されたうめちゃんやエルモさん家族を除いてカニ鍋どっぷり忘年会が始まった。

今年はさらに奉納酒が倍増。

帯解界隈で有名になった豊祝。

番条町の造り酒屋中谷酒造からは「萬穣」、「正月用しぼりたて生原酒」は酵母菌がだす炭酸ガスはまるで発砲する酒だ。

全国酒コンクール米焼酎部門の一位になったプレミアム焼酎の「穎(えい)」まで揃えてくださった。

会長ありがとうございます。

酒飲みはこちらのテーブルまでと案内されていつものメンバーは席に着いた。

お手製料理の鳥の蒸し焼き。こいつは美味い。

喋って、食べて、飲んで。観察会のときよりも饒舌になる。

2時間後までは記憶があった。

後半の2時間はまったく記憶がない。

気がつけば座敷でごろ寝していた。

「帰りますよ」の声で飛び起きた。

すーさん家族の車で送ってくださったあとは翌朝まで爆睡状態に陥った。

(H21.12.23 SB912SH撮影)

別所の行事

2010年01月20日 07時10分51秒 | 天理市へ
1月7日は永照寺下之坊でオコナイの行事。

昔はホラ貝吹いて太鼓を叩いて悪魔祓いをしていた。

今はススンボの竹で床を叩いている。

一般的には乱声(ランジョウ)という所作だが、ここでは御誓(ごせ)と呼んでいる。

元々は座の行事だったが廃れてしまったので寺行事にされた。

15時に本堂で行っている。

8月28日は十一面観音仏像をご開帳する。

一年に一度の開帳で、夜7時に会式が行われる。

月ヶ瀬の田山の行事もお話ししてくださった住職。

月ヶ瀬の田山(京都府相楽郡南山城村田山)では1月6日にオコナイがある。

長老衆の宮本座と中元(間)座の二座があり、ランジョウの作法がある。

お寺の行事だが田山諏訪神社(田山花踊り開催地)から宮司も参加する。

お寺の住職はゴーサン(いわゆる牛玉宝印)を刷る。

14時から行われる。

嵩でもオコナイがあるらしい。

(H21.12.23 Kiss Digtal N撮影)

別所の申祭りモリサンへ

2010年01月19日 07時30分42秒 | 天理市へ
注連縄の長さは決まっていない。

出発時間が迫ったらそこで作業を終える。

縄を繋ぎ合わせて一本の注連縄にする。

それを丸くして竹の荷い棒に通す。

それを肩に担いだら、塩水で清めて出幸だ。

先頭の御幣持ちに続いて「デンボ」持ち。

後方は注連縄担ぎに長老たち。

「えんざい まんざい どーくよっ あかめしくいたい はらへった」と唱和しながら山に向かう。

「えんざい まんざい」は「えんさい まんさい」から訛ったものだというが何を意味するか判っていない。

「どーくよ」は「堂供養」のことだそうで、お寺の行事があったかも知れんなあと仰る。

「あかめし」は「セキハン」でショウユゴハンのことだろうと話される。

山まで歩くこと20分。

到着するまで唱和し続ける。

「モリサン」に着いたら御幣とデンボを供える。



担いできた荷いの竹棒は立てておく。

古いそれらの傍らに置く。

一年前の注連縄は朽ちている。

そこへ今年の注連縄を張っていく。



ぐるぐると周囲を巻くように張っていく。

今年は13周にもなったと記念に樹木へ印を入れる。

「さあ、天狗がでてきよるどー」と言って一行は拝むこともなく足早に戻っていった。

『千年も万年も栄えるようで言祝(ことほ)いで人々の長寿と繁栄を祈る万歳楽』。

「えんさい まんさい」を漢字に充てるとすれば「延歳 万歳」が考えられる。

延命を願って注連縄を長く伸ばしていく。

目出度い台詞はそれを現しているのかもしれない。

注連縄張りは「モリサン」の神域を現すものであろう。

唱和の詞とどういう関係があるのか。

五穀豊穣を祈るという不思議な行事は昨年に市の無形民俗文化財に指定された。

(H21.12.23 Kiss Digtal N撮影)

福住町別所の申祭り

2010年01月18日 07時19分56秒 | 天理市へ
往古から使われてきた七曲がりの峠道を数年前に整備された。

天理市福住町の別所は峠道の出発地。

そこから数百メートル先に永照寺下之坊がある。

かって上之坊を入れて七坊もあったとされる寺院は下之坊だけになっている。

その境内で注連縄作りが始まった。

在所23軒の男性は手に数束のモチワラを抱えてやってきた。

今日は申祭りと称される村の行事で、結った注連縄は東向かい側の山のモリサンに祀られる。

元々は25日であったが、集まりやすい祭日に行われている。

申祭りは子どもだけで執行される行事だった。

二十数年前は10人もいたが、年々少なくなって今年は二人。

対象となる子どもは中学生から下は幼稚園の男の子。

歩ければ幼年まで、年齢に制限はないという。

前日は各家を回って味噌、醤油や大根などの野菜をもらってくる。

その一部は近くのお店に行って蜜柑やお菓子に交換してもらう。

これを「コメ集め」と言っていた。

ヤドの家に集まって、アブラゲを入れて炊いたショウユゴハン(イロゴハンともいうがその昔はセキハンと呼んだ)をよばれた。

タイショウと呼ばれる中学生の年長者が仕切っていて、自分たちでご飯を炊いた。

カラウスで米を搗いて、米洗いもした。

シバは集めてタキギにしたという男の子の行事は女の子が入ってきたら米のとぎ汁をぶっかけたと笑って話す。

大人は横で見ているだけでかまっていなかった。

夜遅くまでヤドで遊んで一夜を過ごした。

前夜祭のような感じで賑やかだったというが、遠い昔のことである。

翌朝に注連縄を作る。

今は大人が中心になって作っているが子どもだけでしていたという。

注連縄は長さを競っていて遠くのほうまで伸ばしたそうだ。

子どもが少なくなってからは行事を継承するのに長寿会が中心となって行ってきた。

長老らは「デンボ」と呼ばれる太い注連縄のようなものを作っている。

木槌で藁を叩いて埃を取る。

それを柱に縛り付けて三本に捻っていく。

先っちょは細く仕上げる。

月の数の倍数ぐらいに仕上げるが本数に決まりはない。

下部は座りがいいようにL字型に曲げる。



一方、若手は葉付きのススダケを束にする。

これは結った注連縄を運ぶ荷い棒だという。

もうひとつは御幣作り。

これは住職の役目と決まっている。



一本は洗米、もう一本には和紙に小豆をくるんで取り付ける。

結った注連縄は大木の二本杉を通り越していった。

婆羅門杉と称されている杉は樹齢800年。

威風堂々たる山門風の姿で日本古木百選に選ばれているという。

(H21.12.23 Kiss Digtal N撮影)

柳生山脇の山の神

2010年01月17日 07時58分55秒 | 奈良市(東部)へ
12月第一日曜日に行われている柳生町山脇の山の神。

クヌギやナラの木を求めて山へ入る。

伐採してそれを炭窯に入れて炭を作る。

山はひと山ごとに伐採する。

山の初仕事に入る前は山の神に仕事の安全、無事を祈って拝み山に入る。

その際、斜めに切った細い竹を二本重ねたものをナンテンの枝にぶら下げる。

昔は藁紐で括ったものだったが現在はビニールの紐。

その割り口にはナンテンの枝葉を挿している。

名前はないが、山脇や他地区から7軒の方々が一対をぶら下げる。

その一個は山へ持っていき供える。

祠には米粉を水で練ったシトギを重箱いっぱいに入れて供える。

皆が集まったらとんどを燃やして焼く。

そのままでは焼くことができないのでバランの葉の上に置いて焼く。

味はないという。

子どももやってきておやつ代わりに口にする。

そのあとは直会。

以前は当番の家でしていたが、今はお店が場を提供してくれているという。

(H21.12.19 Kiss Digtal N撮影)

法蓮町稲荷神社などのこと

2010年01月16日 07時57分39秒 | 奈良市へ
アブラゲと赤飯を供えている末社の稲荷神社がある。

13日に稲荷講によって供えられたという。

同神社は明治16年に廃園になったドリームランドから移設された。

元の場所は大黒芝(だいこくのしば)だった。

平城京跡の第二次大極殿(注 復元されたのは第一次大極殿)の基壇も同じ大黒芝と語り継がれてきた。

稲荷神社の元地は今でも御霊跡だと信じて疑わない。

そこには12支石があっという。

現在は北、南、東の三柱が残されているそうだ。

これは御霊さんの守り神だという。

このように本殿周囲の東西南北に石を置く神社は散見することができる。

山村町の御霊神社、下山町の八坂神社に見られる。

これは四至神といって宮巡りの神さん。

四隅を祓うと村全体を祓い守ることになるのだと神職は語る。

さて、常陸神社の例祭に春の大祭がある。

4月の同一日だ。

この日はヨモギモチが振る舞われる。

1月は鏡餅を割る鏡開きが行われる。

その餅はすまし汁に入れて参拝者をもてなす。

稲荷講を含めて再訪したいものだ。

(H21.12.19 Kiss Digtal N撮影)

法蓮常陸神社十二月例祭

2010年01月15日 07時22分15秒 | 奈良市へ
毎月19日に例祭を営んでいる法蓮町の常陸(ひたち)神社。

参道や境内に幟を立てて参拝者を待つ「法蓮会所方」衆のうち65歳以上の男女で構成される「阿弥陀講」のみなさんだ。

別名に老人会とも呼ばれている講衆は約40人。

「法蓮会所方」は堺県から奈良県になった明治時代に字法蓮ができたときに組織されて以来奉仕してきた。

今日まで120年の歴史をみてきたという。

毎月の例祭には朝から綺麗に清掃して五色の幡を100円で売っている。

幡の収益は神社の管理費に充てている。

衆の役目は別段決まっていないのに統制がとれているとK会長は仰る。

幟が立ててある参道は県立奈良高校のグランド脇の道。

ぐるりと周回して神社にたどり着く。

かつて参道はグランド内だった。

大正13年開校に際して同神社の参道が校外に移された。

同神社が鎮座する山はひさご山。

別称はひょうたん山という。

神社付近は県営直轄の茶園だった。

そこにあったのが里道(りどう)と呼ばれていた参道。

当時は谷筋だったという。



グランドではポーン、ポーンとテニスボールを打つ音が響いている。

神社に向かう道は干支の石柱が立てられている。

買った幡は該当する干支柱の下に立てていく参拝者。

「ひたち」は「ひだち」に転じて「産後の肥立ち」へと語呂合わせ。

赤ちゃんが授かるようにと願う参拝者が多い。

今朝も早うから次々と訪れる。

五色の幡はいつの間にか本数が増えていっぱいになってきた。

若い人が見られないことから孫の誕生を願っているその親たちであろう。と、思っていたが実はそうではなかった。

「ひだったん」とか「ひだっつぁん」と愛称で呼ばれる同神社。

お参りは下の世話にならんようにと御利益を求める高齢のご婦人だった。

一方、直所でイロゴハンを作っているご婦人方。



ニンジン、ゴボウ、シイタケ、コンニャク、アブラゲに釜いっぱいに新米。

こぶ出汁にひたひた。醤油と少々のお酒で味付けて炊く。

出来上がったらコウコの漬け物を添えてパック詰め。

400パックも作るというイロゴハンは「ひだち御膳」と称して参拝者に配られる。

本殿では神事が始まった。

祓えの儀、奉幣振り、祝詞奏上などが執り行われている。

(H21.12.19 Kiss Digtal N撮影)

春日若宮おん祭お旅所祭

2010年01月13日 10時49分04秒 | 奈良市へ
春日若宮おん祭のお渡り式の稚児流鏑馬が演舞しているころにはお旅所祭が始まっている。

芝居の言葉の語源とされる芝舞台で厳粛に祭祀される。

染御供(そめごく)を神前に供えられ、宮司や日使(ひのつかい)の奉幣神事などが行われる。

そのあと、稚児や願主役、大和士などの拝礼を経て絢爛たるお旅所神事芸能の神遊(かみあそび)へと移る。


<神楽>
正装した巫女が舞う神楽。

笛、鼓、箏などの伴奏雅楽が奏でられ、二人舞の「神のます」、一人舞の「松のいはひ」、六人舞の「宮人」、四人舞の「千歳」が舞われる。


<東遊>
行宮に瓜提灯があげられ篝火に火が入ると「東遊(あずまあそび)」が始まった。

青摺りの袍に太刀姿の四人の舞人童児が凛々しく舞う。




<田楽>
本座、新座がそれぞれ五色の大幣を神前に奉幣献じる。

「中門口」の囃子を奏じて、神の前で「刀玉」、「高足」、そして「もどき開口」、「立合舞」と演じる田楽。

おん祭が始まった当初から奉納されている。




<細男>
神功皇后の新羅出兵に纏わる説話がある。

宇佐八幡宮の由緒書き「八幡愚童訓」に軍船の舵取りをする安曇の磯良(いそら)が海中から現れ、自分の醜さを恥じて衣の袖で顔を隠し、首にかけた鼓を打って舞ったと記されている。

これが細男(せいのう)といわれる舞の起源だとされる。

謎の多い細男(せいのう)の芸能が若宮おん祭に登場する。

白い布を目の下に垂らし、袖で顔を覆う所作は舞の起源を彷彿される。



大和芸能懇話会編集、春日若宮おん祭保存会発行の第二十四集、第二十五集「春日若宮おん祭」を参考、舞楽解説など一部を引用させていただきました。

(H21.12.17 Kiss Digtal N撮影)

くら寿司500円ランチ定食

2010年01月12日 07時19分18秒 | 食事が主な周辺をお散歩
クルクル寿司は家族でよく行った。

くら寿司もそのひとつ。

古市辺りの街道を走っていると眼にはいるのが幟幡。

平日は500円のランチ定食とある。

どんなものか一度は食べてみたかった。

2時を過ぎていた。

山添で寒さが身に凍みた。

暖まりたい。

それならうどんだと思考が固まった。

そこで決まったのがランチ定食。

席を案内されて早速注文。

と、するのだがどうしたらいい。

にぎり寿司を注文するのは判っている。

ランチはどうするのだ。

メニューをグルグル回したが判らない。

右横になにやら表示がある。

これだ。

(H21.12.17 SB912SH撮影)