マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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第47回奈良県美術人協会展in奈良県文化会館

2016年12月02日 09時20分50秒 | しゃしん
案内状が届いた第47回奈良県美術人協会展。

展示場は昨年同様の奈良県文化会館展示室。

フロアー全面借りての展示。

閲覧者迎えは中央ホールに並べられた彫刻である。

絵画の展示会場から移動していた男性がいた。

馴染みというか共に「大和の民俗」写真展に出展しているMさんだ。

私の病状に気遣ってくださる。

それはともかく今年のテーマに悩まされているという。

悩みながらも先日に出かけた今井町のイベント会場で目に入った煙りだし。

建物構造的にと思って撮っていたというが、これでは構造物で終わってしまう。

民俗を表現するにはこのままでは・・・と云う。

私もそう思う構造物。

得てしてコレクション的になりかねない。

「住」をとらえるにはなにも構造物でなければ、ということはない。

私はそう思っている。

「住まい」は暮らしであり生活、営みである。

自分自身が育ってきた建物からどういうものを類推するか、だと思っている。

Mさんが生まれて暮らしてきた住処。

随分前に建替え撤去したそうだ。

今から撮るということは不可能と云う。

それならと、私が狙いを広げる。

住まいはなくとも記憶はあるはずだ。

生まれたとき、幼少を育ったとき、青年、大人になったときなどそれぞれの時代には記憶があるはずだ。

それを創造的に膨らませることはできないか、である。

住処は十津川村に原点がある。

そう思いかけて、近日に発生した土砂崩れで足を阻まれる。

いたしかたないが締め切りに間に合うかどうかは疑問である。

それなら他の地域はどうなのか。

十津川以外に思い起こせないと云う。

Mさんが記憶にある心象的な情景はどのようなこのであるのか、私は存知しないが、Mさんが記憶の断片から糸を手繰るように導きだすしかないと思った。

私自身であればどうするか、である。

私が生まれ育った地域は大阪市内の町暮らし。

30年ほど前には住んでいた木造住宅は鉄筋コンクリート造りになった。

生活する建物は換わったが記憶にあるのは木造住宅時代だ。

火鉢があった。

円卓で食事をしていた。ト

イレはどっぽん便所だ。

お尻を拭くのは溶けにくい厚めのザラ紙だった。

新聞紙で代用したこともある。

炊事場はガスコンロ。

大阪市が発行した火の用心の札を貼っていた。

玄関には逆さにして貼った「十二月十二日」のお札もあった。

暮らしのなかの断片的な記憶である。

これを写真化するにはどうすればいいのか。

記憶に「デシャブ」もある。

実際に体験したのか、それとも夢の中に現われた情景なのか。

いわゆる既視体験、或は既視感である。

かつて住んでいた情景を描くにはその手があるが、場は大阪では大テーマの「大和の民俗」にあてはまらない。

既視体験、或は既視感を奈良大和の風景や情景など「民俗」に値する類似例があるものを現地で探す。

その方法も一つである。

そうであればすぐさま思いだすのが、火の用心や十二月十二日のお札である。

奈良でいくつか拝見したそれがある。

もう一つはどうするか。

田舎の母屋に囲炉裏はなかったが、竃や五右衛門風呂があった。

火をくべていた体験はある。

入浴したこともある。

我が家にあった丸型木製風呂も薪で炊いていた。

いただいたベニヤや割り木を斧で割っていた。

ガス風呂になるまでは子供の仕事だった。

それと同じような既視体験、或は既視感が想定される奈良の写真がある。

写真の良し悪しは別として、3枚組は想像の頭の中で展示された。

そんなことを思いだしながら展示品を拝見する。

作者の数だけ作品がある。

点数が多いものから順にあげる。

圧倒的に多いのは65点数の洋画だ。

次は44点数の書芸。

3番目は26点数の日本画。

4番目は21点数の写真。

5番目は15点数の彫刻。

一番、点数が少ないのは工芸の9点である。

私は一応のところ民俗写真家と名乗っている。

まずは本業の写真展である。

ざっと一巡して気に入った作品は一つ。

こういう映像を撮ってみたいと思った作品は久保田秀典氏の「SOUND」だ。

ただそれだけの一点。

全体を見させてもらった今回の展示。

感動しないのである。

ハートを揺らすような作品がない。

どれもこれも物足りなさを感じる。

どちらかといえば日本画、洋画作品に惚れてしまう。

絵がモノをいう作品に圧倒される。

こういう具合の情景を撮ってみたいと心を揺さぶるのだ。

「はァー」が漏れた。

とにかくため息がでてくる作品。

ため息は愕然としたという意味ではない。

展示された作品は挑戦的。

画に迫力を感じる「はァー」である。

絵画もそうだが、工芸も拝見したら写真がちっぽけに見える。

挑戦状を叩きつけられたようで、自分自身ももっと勉強しろよと云いたい。

コラージュでもない、全景を表現するでもない、記録写真的でもない、どちらかと云えば一発勝負。

眼前に飛び込んでくる局部的な写真。

そんなのがふと既視的に・・・出ては消えた。

(H28. 5.18 SB932SH撮影)
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