マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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野依の亥の子

2017年07月18日 09時02分35秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
この年は11月1日が「亥」の日。

11月に「亥」の日が2回あれば初めの「亥」の日。

3回ある場合は2回目の「亥」の日に亥の子行事をすると聞いていた宇陀市大宇陀の野依。

万が一、初回の「亥」の日にするのかもと思って訪れた。

結果的にいえばこの年の「亥」の日は3回あるから2回目の「亥」の日だった。

時間帯は夜と云っていたので夕方の日暮れ前に神社で待機していた。

刻々と時間が経過するがどなたも来られない。

次の「亥」の日は13日である。

粘りたくはないから帰宅しようと思った矢先に車の窓をドンドンと叩く男性がいた。

窓を開ければ今日ではないという。

たしか回覧文書にそう書いてあったという。

それよりも「こんなところにヘッドライトも点けずおったら不審者と間違われる」とアドバイスされた。

しばらくしてその文書をもってきた。

前月の18日に回された文書は「亥の子について」だ。

芋の餅をお供えして万病を除く。

子孫繁栄を祝うとあれる亥の子の行事を13日の日曜にするので多数お参りくださいますようにと書いてあった。

文書はもう一件の連絡事項がある。

その夜は亥の子行事の前に地区懇談会もある。

内容は書いていないが宇陀市身体障がい者福祉協会長の講話があるようだ。

野依の亥の子行事に子どもは登場しない。

県内事例の亥の子に子どもが集落を巡って槌を打つように土を叩きつけるイノコの藁棒打ちがある。

明日香村の下平田や大淀町の上比曽、高取町の森、佐田がそうであるが、亥の日にイノコモチを氏神さんに供えるとか、作ったイノコモチを家で食べたりする風習の方が多くみられる。

これまで取材先でよばれたイノコのクルミモチは懐かしい郷土料理。

美味しさいっぱいが口内に広がる旨さである。

祭りの在り方は区々であるが、行事の日は「亥」のつく日は村行事であっても民家の習俗であっても同じである。

あらためて再訪した野依の亥の日。

亥の日に作って氏神さんに捧げる芋の餅御供を拝見したくて訪れた。

今夜は地区懇談会が開催される。

その会合が始まる前に着いておいた。

内容は宇陀市生涯学習課の教材である身体障害者を支援するビデオ学習会だった。

映し出すスクリーンの後方は旧仏母寺に安置する観音立像。

ローソクを灯したところにあるお供えは亥の子の芋の餅。

小頭家の両隣の家も支援して作った芋の餅はチンゲン菜やカブラ菜とともに供えていた。

予めに聞いていた芋の餅の作り方。

神事が始まる数時間前に作っておく。

粳米とサイの目に刻んだサトイモを炊いて芋を潰す。

それを小豆で作ったコシ餡でくるむと話していた。



講話が終わって配られたバッジがある。

白色とオレンジ色のハートが重なるようなデザインのバッジに[SUPPORTER]の英文字がある。

このバッジは鳥取県が発祥の、私は障がい者をサポートしますという意思表示を表現している。

白い色は障がい者。

温かいオレンジ色の私がサポートしますというデザイン。

例えば階段の上り下りで苦労されている人を支援するようなものでもいいのである。

かたぐるしくとらえるのではなく、手を添えるだけでもいいのである。

心臓を手術した関係で務めていた接骨鍼灸院の仕事ができなくなった。

仕事は患者さんの送迎である。

大多数が80歳前後の高齢者。

車に乗り込むときに支援する足踏み台を用意する。

それだけでも充分な行為である。

身体を支えるには介護士の免許がいるが、それぐらいであればドライバーでもできる。

90歳になるおふくろは自力で歩けるが、心もとない。

私が運転する軽バンに乗ってもらうときも足踏み台を添えてあげる。

そういうものでもサポートである。

それに近い話しをしてはった宇陀市の職員にありがとうである。

帰宅した後日。

普段着ではないが、おしゃれする日に着る一張羅の上着にピン止めした。

それからというものは「あいサポーター」バッジを見つけた知人たちに説明を繰り返すようになったことを付記しておく。

講話が終われば村の人らが動き出す。

場は移動して白山神社の社殿前。

いつもの神事ごとである。

お供えをしてローソクに火を灯す。



導師が一人前に出て般若心経を唱える。

鉦打ちもなく坦々と唱える導師に合わせて村の人らも唱える般若心経は五巻。

いつもそうしているという。



ローソクの灯りが消えると辺りは真っ暗だ。

月夜であれば・・と思ったら今夜は満月の数日手前。

履物を脱いだところは月明かりが照らしていた。

神事を終えれば下って、旧仏母寺でもある参籠所の場で直会。



お菓子をつまみに下げたお神酒をいただく。

かつては直会に芋の餅を食べていたという。

小頭家が作る50個の芋の餅を食べていた。

お重に詰めていたというからお重の個数も結構な量である。



今では本社殿や仏さんだけになったお供えであるが、野依では秋に行われる頭家渡し以降の行事は大改革をする方向で検討している。

特に手間のかかる直会関係の食事や御供は大幅に削減するそうだ。

翌日の14日によばれた御供下げの芋の餅。

帰宅してすぐさま冷蔵庫に入れていた。

芋の餅はどのように作られたのかは小頭がお話してくださったからだいたいのところはわかっている。

わかってはいても、たっぷりのコシ餡でくるんでいるから中身は見えない。

割ってみないと中身は見えない。

そう思って切り分ける。

包丁で切れば断面は平面になる。

ご飯粒に細かくしたというサトイモの形が見えるだろうか。

粒々を見るなら手で割ったらいいだろう。

いや、それでは真心こめて作った芋の餅に失礼してしまう。

ならば、と箸で割ってみることに決定した。



作り方を話してくださった状況から、また、外面から俵型に握っていることから柔らかいボタモチのような感じだと思っていた。

そうであれば箸で難なく割れるはず。

ところが箸を挿しても突っ込んでも堅いのである。

力を入れて作ったおにぎりは堅め。

そうして出来上がったのではと思うぐらいに堅い。

二本の箸を巧みに動かしてなんとか割った芋の餅。

断面にご飯の粒々が現われた。

細かく刻んで粳米とともに一般的な炊き方で、ご飯を炊くように炊飯器で作った餅は、つまりのところはおはぎである。

写真ではわかり難いが薄めの黄色がサトイモである。

丁寧にしぼりだした小豆の汁とともに炊いた殻剥き小豆は漉し餡にした。

手間がかかっている漉し餡をくるんだ芋の餅はがっつり歯ごたえがある。

小粒が歯にあたる食感がなんともいえない。

漉し餡は甘さを控えた上品な味。

商売屋さんでも売っていけるような出来の小豆の漉し餡。

食感が面白い芋の餅はこれが最後。

来年の亥の子行事には出ないようになるらしい。

(H28.11.13 EOS40D撮影)
(H28.11.14 EOS40D撮影)
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