マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八島町七日盆のお勤め六斎念仏

2013年12月01日 08時28分10秒 | 奈良市へ
奈良市八島町の盆入りは七日盆のお勤めから始まる。

県の指定文化財になってからは「八島の六斎念仏」の名称になっているが、地元では念仏講、鉦講でもなく、単に「チャンカラカン」の呼び名である。

私の調査範囲内では安堵町の東安堵や大和郡山市の井戸野町でも同じように「チャンカラカン」である。

「チャン」が「カン」になって、「カンカラカン」と呼んでいるのは桜井市の萱森と大和郡山市の上三橋町だ。

「カラカン」が濁音になって「チャンガラガン(ジャンガラガンとも)」の呼び名になるのは大和郡山市の白土町である。

奈良市教育委員会の調査によれば、かつてあった大和郡山市の今国府町でも同じように「チャンガラカン」で、額田部町では「チャンガラガン」であった。

地区によってそれぞれ呼び名が異なるのは、叩く六斎鉦の音色がそう聞こえたことになるのだろう。

夜になれば八島町の公民館に集まって会食をされる講中。

食事を済ませてから念仏を申す。

太鼓念仏と鉦念仏を一曲ずつ勤める。

鉦念仏には「ハクマイ(白舞)」、「シゼン(四遍)」、「バンド(板東)」の三曲が伝わる。

「シゼン」は「シセン」であろうと話す。

太鼓念仏も三曲で、太鼓念仏は若死にしたときには逆縁になる「地獄・地獄」で、順当な場合の順縁は「念仏行者」、さらに幼児の場合には「西院の河原」。

それぞれ亡くなられた場合によって供養される三曲である。

八島町の戸数は60戸であるが、そのうち36戸が融通念仏宗派。

このうちの20戸の戸主によって継承されてきた八島の六斎念仏。

現在の講中は15人になったと云う。

この夜の七日盆のお勤めは太鼓念仏が「念仏行者」で、鉦念仏は「シゼン」であった。

「八島鉦講」の文字がある法被を着用する講中。

三月彼岸前には2月、お盆のときには7月。

主に太鼓打ちを、それぞれのお勤め直前に毎週練習してきた。

「講中の先輩たちはもっと上手だった。リズムが違うくらいに太鼓打ちも念仏も上手かった」と話す。

13日は新仏参り。

この年は3軒。

2軒は順当な「念仏行者」となるが、1軒は逆縁であり、「地獄・地獄」の太鼓念仏で弔わなければならない。

「西院の河原」の場合なら、もっと悲しいと云う。

辛いことであるが、今年はやむなしの1曲をしなければならないと話す。

お勤めに集まったのは50歳代から70歳代の13人だ。

太鼓念仏は大太鼓とカンコ太鼓の大小二種類の鋲打ち胴長太鼓を打ちながら念仏詞章を唱える。



始めにウチコミ。

二本のバチを手にして打つ大太鼓。

ドン、ドン、ドンドンドンに合わせて、カンコ太鼓はしなりがあるバチでタン、タカ、タッタ、タン、タカ、タッタ、タン(と聞こえる)の連続打ち。

大太鼓はときおり胴の縁を打つ。

カンコの音色は心地良いリズムのように聞こえる。

しばらくすればウタヨミの詞章のお念仏。

チャンチャカチャンと聞こえる六斎鉦とともに打つ音色に詞章は耳を通り抜ける。

「念仏行者をたのむれば はりまの国のシヨシヤ(書写)の寺 紫硯に唐の墨 筆は何筆 おさま筆 鹿の蒔絵のその筆で あそばすお経はかげんの経 ひちくはちかん 八の巻 これぞ行者の 三ぶの経 助け給えや 地獄菩薩 たのめよたのめよ 念仏を はあなんまいだ はあなんまいだ」と念仏を唱えて再びウチコミに移る。

しばらく打って「願似此功徳一切同・・・行者安楽国(のように聞こえたが・・)」の念仏を申してから続けてウチコミ。

しばらくウチコミをされて、もう一回のお念仏を唱えて終えた「念仏行者」はおよそ4分間だった。

かつては隣町の藤原町・鹿野園町・山村町・横井町においても行われていた大小二種類の鋲打ち胴長太鼓を打つ太鼓念仏。

今では八島町だけになった。



引き継いで行われたのは鉦念仏の「シゼン」。

「シゼン」は「シセン」が濁ってそう呼ばれたのであろうと話す。

鉦念仏は全員が揃って六斎鉦を打って念仏を唱える。

壱番・導師 「あーみだんぶぅ なむあーみぃだあんぶー なむ あ あみだんぶうつ なむあみどおー」
壱番・平 「おー なむああみだーぶう なむあ あみだんーぶー なむあ あみだぁーぶうーつ なむあ あみどー」
弐番・導師 「おー なむああみだーあーあぁ なむあーみぃだあんぶうー なむああみだーぶぅーつ なむああみどおー」
弐番・平 「おー なむああみだーぶぅ なむあーみだんぶー はー なむああみだーぶぅーつ なむあ あみどー」

以下、参番から拾八番まである「シゼン」はおよそ18分間の長丁場だ。

太鼓念仏は早いリズムであるが、鉦念仏はもっと遅くてゆったりしている。

ときおり抑揚がついて調子が上がることもある。

ときには途中でチャチャチャと鉦を連打することも。

念仏を唱えるのはとても難しいと云う。

農業の合間に覚えてきた念仏は口伝えだった。

県指定されたことを機会に譜面に落としたそうだ。

最後に「願似此(がんいし) 功徳(くどく) 平等施(びょうどうせ) 一切同(いっさいどう) 発菩提心(ほつぼだしんん) 応生(おうじょう) 安楽国(あんらくこく)」を唱えて鉦連打で終えた。

お勤めを終えて拝見した大小二種類の鋲打ち胴長太鼓。

かつての太鼓は縄で縛ってオーコで担いでいた。

持ち運ぶには揺れが辛く、バンセンで止めて頑丈にしたそうだ。



重さを測る秤はない。

自ら持ちあげてみれば、およそ20kgのような重さを感じた。

(H25. 8. 7 EOS40D撮影)


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