マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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別所下之坊さる祭り

2011年01月16日 07時00分52秒 | 天理市へ
天理市福住町といえば寒冷地。盆地部よりは数度も低く雪が舞う日も度々ある。

金剛山で雪が積もったときは同期したかのように降るらしい。

同町の北部にあたるのが別所の地区。

つづら折りの「七曲りの道」が格好のハイキングコースになっているがこんな寒い日にはハイカーの姿は見かけない。

この日は市指定の「さる祭り」が行われている。

早朝から永照寺下之坊の境内に集まってきた地区の人は注連縄を編んでいく。

子供の姿も見られる注連縄作りは持ってきたモチワラで編んでいく。

たき火を焚いて暖をとりながら作業は1時間ほど続いた。

婆羅門杉と呼ばれている二本の大杉を通り抜けるほど長い注連縄だ。

長老らは「デンボ」と呼ばれる太い注連縄を2本作り。

僧侶は御幣を2本こしらえる。

それらが出来上がれば東向かい側の杜山にある「モリサン」に出かける。

注連縄はぐるぐる巻きにして一束にした7本程度の葉付きのススダケに通した。

本数に決まりはないそうだ。



出発間際にコメのとぎ汁を注連縄に注いだ。

清めの儀式なのであろうか。

デンボを持つ子供とその親は先頭に立った。



「えんざい まんざい どーくよっ あかめしくいたい はらへった」と唱和しながら山に向かっていった。

後方には巻いた注連縄を担ぐ人が続く。

囃子言葉は休むことなく発声される。



集落を離れ急坂の山道を登っていく。

崩れた岩の場所で一旦は休憩。

一気に登りたいところだがそうはいかない。山のモリサンはまだ先だ。

一行が到着するとデンボを置く。

担いできたススダケは立てた。



そうして始まった注連縄巻き。

昨年までの注連縄は残っている。

そこをぐるぐる巻きにする子供と親。

何重にも巻いていった結果は昨年同様に13巻きになった。

いつものように木にそれを書き記す。

ここには祠があったそうだ。

それはモリサンと関係があったかどうかは判らない。

五穀豊穣を祈るとはいえ供え物もない。

不思議な行事であるさる祭りが行われる聖地だ。



「天狗がでてくるどー」と掛け声がかかった。

その声を聞いた子供の足は早い。

転げるように山を下っていった。

かつてのさる祭りは子供たちだけで行われていた。

少なくなってからは長寿会が中心となって行事を継承してきた。

これからもそうであろう。

嬉しいことにこの年に参加した子供に三男が生まれた。

兄ちゃんが卒業するころにはあとを継いでいることだろう。

山を下りたら公民館の座敷で暖をとる。

ストーブの前で座布団が置かれた。



5、6人ぐらいが座った中央にはショウユメシがいっぱい入ったお櫃が運ばれた。

朝から作っていたのはこの日の当番のニンニョウさん。縮まってニンニョとも呼ばれる。

小皿や漬け物も席に配られた。

別所の人たちは円座になってショウユメシをよばれる。

これも縮まってショメシと呼ばれた。

イロゴハンとも呼ばれるショメシは、その昔にセキハンと呼んでいたそうだ。

これが唱和に出てくるアカメシのことなのであろう。

そういえばなんとなくそのような色に見えてくる。

ゴボウ、ニンジン、コンニャク、アゲ、チクワ、カマボコ、シイタケまでが入っているショメシの味は濃い。

ふだんなら3升だが今回は4升も炊いたそうだ。

出汁は入れているものの味付けは名前がついている通りの醤油だ。



「一人で食べていたら一杯しか入らんが、皆でわいわい言いながらよばれると2杯、3杯になってしまう」と笑みがこぼれる年配者。

昔は漬け物も家から持ってきたそうだ。

今では支援している大人たちで食べているが、昔は子供だけだった。

大勢の子供が会食するのはお寺の坊。

学校を終えた年長者も加わって夜なべまで遊んだそうだ。

それもこれも男性ばかり。

女性の姿は見られない。

(H22.12.23 EOS40D撮影)


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